コメント 2021年3月25日 5:28 AM
拝見いたしました。大変参考になりました。有り難うございます。
ところで当方 2020.12.21日の冬至に山梨県北杜市大泉町にある後期から晩期とされる縄文時代の金生遺跡で日の出を観測しました結果、遺跡の配石遺構が日の出方向を示していることを知りました。
そして甲斐駒ヶ岳右肩への日の入りの写真などからこの遺跡は縄文人の太陽運行観測天文台で有り、縄文人のカレンダーを示す地形で有ると推察しました。
その後、今年2021年2月4日に金生遺跡において四立の立春に通称茅が岳の峰からの日の出があることが分かりました。一般的に縄文遺跡では二至二分を祭りとしてみていたとされているようですが、この金生遺跡の縄文人は冬至、夏至、春分、秋分の二至二分を見ていたばかりでなく四立 八節をはっきり意識していたものと考えます。
それは配石の中にある石棒が指す方向が茅が岳の峰 立春、立冬の日の出位置を指していることから分りました。
縄文人は山の麓からの冬至の日の出を見た後、次の日からの稜線を上ってくる日の出を追って太陽の回復を確認し、立春に茅が岳の峰から出る太陽を見て新年の初日を祝ったものと推察します。
縄文人は365日、夏至までの182日、春分の91日、立春の45日を計算してしたものと考えます。
冬至の日の入りは甲斐駒ヶ岳の右肩に外してありその後の日の入りは立春には鋸岳にと続く山稜で夏至までのカレンダーが出来上がることが分ります。
ということからこの縄文時代の金生遺跡はその位置と周囲の山脈の眺望から暦を意識しており、天文台であると考えます。時期的には西周の四立 八節に先んじていたものでは無いかと思います。
2013/10/19
ストーンサークルにもレイラインが存在するか 中島尚彦 へのコメント
写真お借りしました。