初期土偶は造形が具象的
人体そのまま
存在するものそのものを造形していた
これらのものは縄文時代早期までであるようだ
列島全域的に同じ様子が見える
何時から変化するのか
農耕により巨大集団社会が成立して
縄文時代早期半ばから前期までには、太陽暦を利用する農耕により食料が増産できて、巨大集団社会が出来てからでは無いだろうか。
その後具象性土偶は、巨大集団社会が出来て、抽象心理的精霊的なものに変化
社会集団の成立と食糧事情の変化
対象とするそのものの、またその後ろにいる精霊の象徴として
農耕を開始してからなのではないのか
突起土器の発生も同様な時期であるので、巨大集団が形成されて、祭祀が始まったのでは、
具象的造形土偶はその後も動物などでは作られ続けていた
何故か
農耕牧畜でなかったからなのでは
農耕作物と海産物は土偶としては精霊として扱われていたように見えるから
栗と蛤にはそれの象徴となる精霊がいるのでは
農耕用具とされる打製石斧なども縄文早期から確立されているようで、
大豆族では早期後半には栽培型が出現、中期初頭に顕在化・複数化することがとらえられているようだ。太陽暦の確立と伴に早期末から前期には農耕は巨大集団を支える一翼となっていたものと考える。
貝塚の発生も早期からのようだ、それは太陰暦の完成により、海辺の採取作業が干満を見極めて集団的な作業として、合理的効率的に行えるようになったからでは無いだろうか。
図はお借りしました