朝刊に「大王の石棺ソロリ」の記事が載った。大阪は高槻市にある継体天皇陵とおぼしき今城塚古墳から出土した石棺の石が、熊本県の宇土地方にしか無いピンク石=馬門石(まかど石)で作られた物であることから石棺と古代舟を復元して運搬するという実験の終着点の記事である。7月24日、宇土を出発し有明~関門海峡~瀬戸内海~大阪湾と800キロを移動。詳細はヤフーで継体天皇を検索しyahoo!ニュース日本史をクリック、大王の棺実験航海をクリックすると見られます。8年前に高槻の今城塚古墳を見た際にオットットはこれが継体天皇の陵墓だと思うよと言っていた。当時、600mほど離れた茨木市の太田茶臼山古墳が継体陵として宮内庁に管理されていたのだ。高槻の陵はだいぶ形が崩れてはいたがうっそうとした木々の間に池が有り、子供達がかけまわっており地元の人の散歩道という風情であった。宮内庁はこの陵墓を頑として継体陵と認めなかったが、それが幸いして発掘調査が行われ、現在の通説としては継体陵にほぼ間違いないらしい。宮内庁管轄の天皇陵が発掘されれば日本の古代史、考古学がもっと明確になるだろうに残念ながらその時はいつ来るのやら…


ささら様のblogを参考書に、勉強いたしま~す。
ボ~~トしないよう気をつけま~す。。。。?
(問題児より)
質問があります
その一
継体天皇陵は今城塚古墳(高槻市)か太田茶臼山古墳(茨木市)か ですが、
学者の検証が真実となれば、宮内庁さんの権威は丸つぶれになりましょうがの?
宮内庁さん どない対応をしますでしょうか?
その二
日本史、古代史は曖昧が多いですわん
言い伝えられていくから途中で尾ひれも付くし、
それを民はそのまんま信じ込んでしまうことも多いし 宮内庁さんが言わはるから「ごもっとも!」ってね
どうして、「名前を付けて保存」「上書きして保存」をしなかったんでしょうか?
これさえしておけばね 明確さ間違い無し なんですがね?!