名もなき批評家のあしあと

誰かに聞いてもらいたくなったことを書きます。

いったんやめて、また戻ってくるの巻。

2020-07-11 01:48:04 | 日記
アンインストールして再インストールしてログインして13日ぶりに更新です。

俺はなんでも途中で辞めて、それでまたその場所に戻ってくるような癖がある。
高校もそうだったし、バイトも、中学の部活もそうだった。

ギターも何度売って買ったことやら。ゲームソフトもそうだったな。同じゲーム機やソフトを繰り返し購入した。

これは本当に癖としか言いようがない。俺のような人間はとくに珍しいというわけではないと思うが、くせ者だと自負している。

先週は寝てばかりいたが、今週に入ってからまた動き出した。疲れるが楽しい。


今日はバイトから帰って、家の冷蔵庫を掃除した。いったん気になるともう駄目だ。消費期限切れの調味料がたくさんあって捨てた。役に立ったかな。疲れた。少しお酒を飲もう。

映画・霧の旗(主演・山口百恵)を観た。

2020-06-27 06:16:19 | 映画
最近なんとなく山口百恵にはまっていて、この映画もそれがきっかけで観ました。


ある一つの事件から狂い始めた(?)ある女の一生を通して、現実のもの悲しさを映す。
悲しい話だと思った。
やはり人は正直に、人に優しく生きていくことは不可能なのだろうか。

でも、良い映画だった。昔の映画は(映画に限らず)、素晴らしい。
これは別にノスタルジーの幻想ということではないと、私は思う。
昔の作品は言葉遣いが綺麗だ。
創作物が人に与える影響を考えてつくられていると思う。

「キモい」「殺す」「死ね」こんなネガティブな言葉が定番化されたギャグのように使われ、それについて追及する方がおかしいとされる世の中はなにか間違っている気がする。
例えば、今朝YouTubeの広告でみた教育実習生のアニメ。女子高生たちがイケメンの教師に対して、点数をつけ「抱かれたい」と談笑するシーンはどう考えてもおかしい。

創作物における青少年への有害性。
なんだか頭の固いPTAになった気分だ。私も若いつもりが年をとった。
ハハハ。

おはようございます😃
明るい一日を願って。

10日前のじぶんといま。

2020-06-22 12:27:13 | 日記
バイクの免許取る気なくなった
それでなにをしてるかというと、作曲をはじめました。
やっぱ音楽は好きだなあ。
なにか書こうとしたけど、忘れた。








バイクの免許をとる、そう決めた。

2020-06-09 09:16:51 | 日記
決めてしまったからには、やるしかない。








いじめられていた過去について(長文です)

2020-06-06 09:55:30 | 日記
僕、いじめられてました。
まあ、珍しいことではないし、自慢できるようなことではないけど(えぇー) 
相手は仲良かった友達でもありました。
T君。最近、気になって調べてみたら(怖いな…)SNSやっていて、顔見たら、結構やつれてた‥
クロマニヨンズ(元ブルーハーツの)の曲で“スピードとナイフ”という曲がある。

♪心を切るナイハゥ ためらい知らぬナイハゥ
ひと降るぃひとたちで別々の傷をつけつぁ
ジャスルァックなんて俺の敵ではないぜ

その相手の顔を見たときそう思った。
もちろん俺の思い過ごしかも知れないが、ツイート内容を見る限り夢も叶えたようだし、まあ頑張ったんだと思うが、やはり、許せなかった。
俺の人生、俺の精神、俺の運命、俺の自尊心(意味がダブってる気がするが)を傷つけられた訳だし。
自分で言うのはアレだが、俺は顔は悪くないし、懐も深くいい人だと思う。
△自分をいい人と思った瞬間から、いい人ではなくなるのだ。顔も同じく。(ヤング人間心理学P3699より)

冗談の言い過ぎは、砂糖のいれすぎみたいなもんだな。やめとこう。

ええーと、脱線してしまった。何が言いたかったのかな。
最近、いやーな夢をよく見ます。今日は夢の中で殺人してました。夢占い的には悪い夢ではないみたいですけど。たしかに目覚めは良かったです。
いま、不満があるとしたら、やはり対人関係です。悪い人ではないと思うんですけど、職場の人で、否定が多い人がいて、喋ると気分が悪くなってしまって(こちらも萎縮してしまい)余計に頓珍漢になってしまう。とにかく、上げていた気分が一気に下がってしまう。
それと、同じ年の挨拶を無視する女の子。露骨に避けられてます。まあ、会う時間は少ないのですが。なんか、たぶん、こっちが一方的に好きだったんです。
それがダメだったんだろうな。俺はわかりやすいし。
最近は俺の方も目を合わせない、挨拶もしない(面と向かって挨拶して横目で逸らされたんで、折れました)感じで、もういいやってなって、それでもやっぱり気にしてしまう部分があって、なんでかなっていう。しんどいです、正直に。
俺はちょっと変わってて、嫌われたりした方が気になってしまう。
やっぱりこれは過去のいじめ体験から来るものかと思ったり。
あの時、なんで、ああいうことされたんだろうっていう、そういう原因を探っているのかも知れないなって思って。
だから俺も、結局自分で不幸になる方を選んでる。
そんな気がします。

もし、俺があのときいじめられて無かったらと思うけど、それはそれで嫌なやつになってたかもと思うと、まあこれでよかったのかも。
恥ずかしい話、小学生の頃、いじめに参加してしまったし。無視くらいだったと思うんですが(出たよ!俺もしてるじゃん!)、それで、あのT松君がクラス会議みたいな時に、俺を張本人だと言って。それで先生にすごく怒られて、泣きながら反省文を書いて。
それが四年生の時で、俺はもういじめに関わらないと腹に決めて、過ごしていて。
でもやっぱりいじめは続いていたみたいで。
そのいじめられていたK君(真面目だったし、良い子だったし、心が強かったな)が劇みたいなのを班ごとにやるときに、いじめをテーマに脚本を書いてきて、俺も参加して、でその時もやっぱりクラス会議が開いて、俺はやっぱり泣きながら文章を書いて。もういじめはないと思っていたのに、って書いて。
いじめとかって本当に嫌だな。いじめに限らず、良くないことは嫌だ。


人間が人間である限り、不満と憂鬱はどんなとき、どんな場所でもずっとある。
それとどう向き合っていくか、たたかっていくかどうか、運命はそれにかかっている。

俺はいつか、弱ってる人を救いたいと思って生きてきたけど、救いたいという気持ちは、自分が救われたいと思ってるから湧いてくるんだと、最近気づいた。
まず自分を救ってやろう。

長文につきあってくださり、ありがとうございました。