使徒言行録

Spiritual Bible Session 聖書の霊的講解

使徒12章 霊の戦い

2007年03月14日 | 使徒言行録
今日のSBSでは、『ヤコブの殉教』と『ペテロの投獄』、リーダー格の2人が取り去られる大きな危機を前に、初代教会がどうあったか、を読む。そして、そこから『キリスト者=霊の戦士』であることを学んだ。

 『教会』とは建物でも、組織でもない。神様に従う人の群れであり、この世で御国に接する唯一の場、永遠の命へ通じるところだ。当然、その本質は『霊的世界』に属する。その反対にある『この世』に生きる時、人間はしばしば目に見えるものだけに囚われる。ヘロデはその典型だ。人間的に言えば、「ヘロデさんは結構なお家柄に生まれ、王様として慈善も施し、民にも慕われ、ぽっくり苦しまずに逝けて、幸せでしたねぇ。」となるはず。。。人間の幸せはそんなものだろうか。

 『金持ちとラザロ』の喩を思い出した。金持ちはラザロを殺したわけではない。ただ、「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」だけだ。現代先進国にいる多くの人の姿をそこに見ないだろうか。もちろん、私自身も含めて。しかし、彼はどうだっただろう。であれば、ヤコブを殺したヘロデがどうしているか、キリスト者には容易にわかる。一方、殺されたヤコブが御国で得ている大いなる報いもわかる。

友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。(ルカ12:4-5)

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。(エフェソ6:12)

 そしてペテロの脱獄劇から、キリスト者の生き方の本質を知る。ペテロは「通るべき道」を「自らの足」で歩き、理解するよりも先に「御声に聞き従った」。そして「門」は次々に開かれた。その背後には、教会の祈りがある。祈りは、単に願いを叶えてもらう手段でなく、状況変化のための一時的回避でもない。

 永遠の時の中の神様の思い、神様の計画に自らを従わせていくためのステップだ。祈りによって、神様の御旨を知り、そして仕えていくことができるのだ。そういう祈りを捧げる教会に、神様のパワーが注がれる。この世の力が及ぶことのない、霊的な権威を与えられている場所、それが教会だ。そして『神の言葉を広げる』使命の下、キリスト者は戦う。霊の戦士として。(みみた

 〔写真:アンティオケ教会の背景〕

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