日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂

日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂の最新情報です。

教会学校 午前9時より 主日礼拝 午前10時半より

「英語の本を読む会」が始まります

2008年10月30日 | 札幌礼拝堂

11月8日(土)から「英語の本を読む会」が月2回の予定で始まります。

   会場は 札幌教会札幌礼拝堂ルーテル会館(南12西12-2-27)

   時間は 17時半から

   費用は 教材費と茶菓代として月1000円

   講師は 北村正直氏 (北大名誉教授 元拓殖大学北海道短期大学副学長

                  哲学博士~ワシントン大学 1962)

   テキストは 「ソフィーの世界」  ヨーシタイン・ゴルデル著 

   申し込み先は 日本福音ルーテル札幌教会 電話 561-9516

「英語の本を読む会について」

  英語を習得する基本は声を出して英文を読むことです。子どもは言葉を耳で聞

き、聞いた言葉を真似し、その言葉を使って覚えていきます。英語(外国語)を学ぶ

とき、同じように耳で聞き、真似し、使うようにすると英語の学習が楽しくなります。

「英語の本を読む会」では、やさしい英語で書かれた本を、声を出して読む(音読)

ことから始めます。しかし、英語はやさしくても内容が良いものでなければ長続きし

ません。この「ソフィーの世界」Sophie's World は、ノルウェイの高等学校の先生

が中学生くらいの子ども達のために書いた哲学を紹介する本です。専門家が読ん

でも楽しめるほど良い本です。しかも、難しい概念をとても平易な言葉で表現して

いるので、英語の初心者でも内容の理解につまづくことはないと思います。

  どうぞ、希望を持ってお集まり下さい!

 


11月2日の礼拝案内

2008年10月30日 | 札幌礼拝堂

全聖徒主日

 説教題 「悲しみと幸い」    重富克彦牧師

 讃美歌 : 教会讃美歌238番 讃美歌21から385番  教会讃美歌501番

 聖 書 : 旧約聖書 「イザヤ書」   26章1~13節

        新約聖書 「黙示録」    21章22~27節

               「マタイによる福音書」 5章1~12節

    「心の貧しい人々は、幸いである、

           天の国はその人たちのものである。

     悲しむ人々は、幸いである、

           その人たちは慰められる。

     柔和な人々は、幸いである、

           その人たちは地を受け継ぐ。

     義に飢え渇く人々は、幸いである、

           その人たちは満たされる。

     憐れみ深い人々は、幸いである、

           その人たちは憐れみを受ける。

     心の清い人々は、幸いである、

           その人たちは神を見る。

     平和を実現する人々は、幸いである、

           その人たちは神の子と呼ばれる。

     義のために迫害される人々は、幸いである、

           天の国はその人たちのものである。」   マタイ5章3~10


一日神学校イン北海道

2008年10月30日 | 札幌礼拝堂

10月13日、久しぶりに札幌礼拝堂で一日神学校が開かれました。道内各地から老若男女

66名が集い、礼拝を共にしてから、熱心に日本ルーテル神学校から派遣された3人の先生

の講義に耳を傾けました。

 午前は礼拝学の平岡仁子先生、午後からは、どちらか受講選択で臨床牧会カウンセリング

のジェームズ・サック先生と社会福祉の西原雄次郎先生。優れた研究者であると同時に、現

場を良く知る実践家でもある先生方のお話は、説得力のあること、魅力のあること、皆を惹き

つけてやまないものでした。ユーモアたっぷりな語り口のうちに差し出される課題に納得!

平岡仁子先生の講義は「式文について」。礼拝とは神の理解の中心的出来事、神様からの

無償の恵みを受け取るために集められるもの、更に、この世の小さき人々に仕えるために派

遣されていく、招かれることは派遣されることと解き明かしてくださり、そのように式文は構成

されていると語られました。

サック先生の講義は「カウンセリングと援助」。このリポートを書いている私はお聞きすること

が出来ませんでしたが、参加された方々は、ものすごく楽しく、それでいてとても大切なことを

話してしてくださったと興奮気味でした。

西原雄次郎先生は「教会における隣人支援」。人生の途上で自力解決が困難な状況に直面

することは誰にでも起こりえる。審くことではなく、待つこと、聴くこと、理解すること、反射する

こと、遠回りする勇気が必要。教会で抱え込んでしまうのではなく、専門機関につなぐことも。

そのためには地域の専門職集団とのネットワークを作っておくこと。さまざまな社会福祉制度

を活用することで乗り越えられることは沢山ある。しかし福祉への認識が薄い日本の現状は

課題が山積。福祉科で有能な人材を育て社会に送り出しても、福祉が大ピンチの日本の状

況では、きちんとした待遇を受けることが出来ず若い人たちが希望を持てないでいる。

しかし、社会的な使命を教会は持っている。ルーテル教会にも社会福祉法人として専門的な

取り組みをしている施設が沢山ある。「こんなことが出来たらなあ」と思うことが大切。

閉会礼拝の後、帰途に着く人々の顔は「一日神学校」の喜びで輝いていました。

三人の先生そして派遣してくださった神学校、後援会の皆さん、ありがとうございました。

プログラム終了後、ルーテル会館で神学校後援世話人会がありました。

神学校は2009年に創立百周年を迎えます。小さな学校ですが、目的意識が明確だと伸びま

す。卒業後も伸びて活躍している人が多くいます。学ぶのには時があるとつくづく感じますと

大学・神学校報告がなされました。後援会からは石原、小澤お二人の推進委員がおいでくだ

さり、一日神学校にも同席されました。月一度の委員会開催やチャリティコンサートなどの活

動を行なっている由。神学生寮設置募金に北海道も赤いミニポスト献金で協力感謝します。

牧会研修に来ている高村神学生の報告にあったように勉強しやすい環境が整えられたこと、

また神学校を卒業した若い牧師たちが活躍しているのを目の当たりに見て、とても嬉しいと

ご挨拶されました。

一日神学校で、私たちは神学校がとても身近に感じられました。学ぶ機会が欲しいと切実に

感じている群れが北海道にはあります。また次の機会をと願っています。


宗教改革と全聖徒の日

2008年10月24日 | 札幌礼拝堂

 10月31日は「宗教改革記念日」、続いて11月1日は、「全聖徒の日」である。

 10月31日というのは、1517年10月31日に、マルチン・ルターが、ローマ教皇に

た95箇条の「提題」、つまり、救いと教会に関する公開質問状ないし意見書の

ようなものを、ヴィッテンベルグの城教会の扉に掲示したことに由来する。これが

宗教改革の発火点となった。

 当時ローマ教皇に公然とものを申すことが、命がけのことであったことは言うまで

もない。異端のレッテルを貼られたら、火あぶりの刑も覚悟しなければならない。

ルターが意を決して起こった日が、なぜ10月31日だったのだろうか。当然ルター

は、この日が、11月1日の「全聖人の日」の前日であることを意識していた。おそら

く「全聖人」が証人となってくれるとの願いと主張を、そこに込めていたのだ。

 プロテスタントに「聖人」の思想はない。だから、この日は、後に「全聖徒の日」と

名付けられた。「全聖徒」と言うのは、聖なるキリストに連なるすべての人という意

味である。「聖」なのはキリストのみで「聖徒」は「聖人」ではない。

 現在、ルター派とカトリックとの関係も大きく変化してきた。救いの理解に関して

は、ほとんど差異が目立たないまでに対話が進み、共同宣言も出された。

 ルターは自分の魂の苦悩に最も誠実であることを通して、時代の魂の苦悩と

正面から向き合った。今わたしたちが、宗教改革の精神を受け継ぐとすれば、

もとめられているのはそのことである。

             日本福音ルーテル札幌教会月報「Kairos」第19号より

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   「宗教改革主日礼拝」    10月26日(日)10時半 札幌礼拝堂

   「宗教改革記念合同礼拝」 10月31日(金) 19時 新札幌礼拝堂

               *日本ルーテル教団と合同の礼拝

   「召天者記念礼拝」(全聖徒の日)11月2日(日)10時半 札幌礼拝堂  


10月26日の礼拝の讃美歌と聖書

2008年10月23日 | 札幌礼拝堂

宗教改革主日 

  説教題 「真理は自由にする」   重富克彦牧師

  讃美歌 : 教会讃美歌122番、240番、320番、420番

  聖 書 : 旧約聖書  「エレミヤ書」        31章31~34節

         新約聖書  「ローマの信徒への手紙」 3章19~28節

                 「ヨハネによる福音書」   8章31~36節

   「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとど

   まるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を

   知り、真理はあなたたちを自由にする。」        ヨハネ8:31