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HappyChristmas

夜明けの光の道へ

あるお金持ちがわたしたちのところへきて、
家とか、車とか、彼の生活の中の何かを差し上げたいと言いました。
わたしはこう勧めました。
「あなたがお店で、新しいスーツとか、何か衣類を買うとき、
いちばんいいものを買う代わりに、
少し安いのを買うようにして、
その残ったお金で、
誰かに何かを買って差し上げたらどうでしょうか。
貧しい人たちになら、もっといいですけれど。」
わたしがこう言い終わるや否や、
彼はほんとうに驚いた様子で、こう叫びました。
「ええ、それでいいんですか、マザー?
今までそんなふうに思ったことはなかった。」
彼が立ち去るとき、他の人の役に立つことを考えて、
彼はほんとうに幸せそうで、喜びに満ちあふれていました。
(マザー・テレサ)



今朝、兄からの連絡で、
熊本の同じ街に住む従兄がコロナで亡くなったことを知らされました。
ワクチンを4回接種していたとのこと。
感染発覚で入院した翌日の朝、5日に亡くなったとのことでした。

彼が運ばれたのは、遠い昔に祖母が入院していた病院でした。
68歳だったそうです。

従兄に最後に会ったのは、2015年11月、母の告別式だったかと思い出しています。
昔、私が憧れていた真っ赤なファレディZ
彼はそのZの白に乗っていました。
お仕事が順調だったようでした。

苦労してきたけど、Zに乗れるようになって良かったね!!

私は車の話が好きなので、しばらく従兄と会話をしました。
それから親族と一緒に母を主のもとに見送りました。

イエス様のことも、
安全な生活習慣のことも、
話す機会、接点はなかった従兄でした。

「コロナであっという間に亡くなった。
入院してから、たった一日も経っていなかった」
従兄の兄で、この家族では一番親しい従兄に電話をしたら、そう話していました。

静かに祈りました。
コロナではじめて、親族が亡くなった。
悔しい思いと悲しみとがこみあげました。

亡くなった人の世界は主の御手の中。
主に委ねる祈りを捧げました。

彼の家族はみんな熱心な仏教徒でした。

どこに行くの?
わからない・・・

祈っても風の音だけ。

長男の起こした交通事故の相手が、ゆるしと共に仏教に入信させたことから、
私の父にも勧められたことが我が家に3つ目の宗教が入ってきた始まりでした。
この仏教が我が家に入ってから、浄土真宗と神道、
日本の一般家庭の宗教を祀っていた私の祖父母は悲しみの生活を過ごしていました。
新しい仏教、しかも日蓮宗の、南無妙法蓮華経を書いたたすきを掛けて、
毎朝毎晩、お経を唱えなければならなくなったからです。
日蓮は激しい面も持っていたのか、幼かった私は仏教の教えに、激しさ、恐怖を感じました。
両親が山に仕事に出ている間、祖父母は悲しんでいました。
でも、一家の長には逆らえず、家族全員、朝と夜、大きな仏壇の前でお経をあげていました。

けれど、その意味はいま、統一協会の問題や創価学会が言ってるカルトと同じことで、
「先祖鏡をしなければ、あなたのご先祖は成仏できない」
というものでした。
イズムの世界で、
何かをしなければ救われない。
供養もお金も因縁の断ち切りも・・・
あらゆることを言ってくる世界。
まして、
我が家では、その原因が私にあるとまで言われたのでした。

「この娘が先祖供養をしないから先祖が成仏できない」

私は幼心に傷つきました。

私が何をしたというの?
私は生まれてこなければよかったの?
ご先祖って、どこまでを私が供養しないと成仏できないの?

わかりませんでした。
誰に聴いても答えはなかった。
父もわからない・・・だから、集会や本山に行こうと言って私を連れてあちこち、出かけました。

静かで優しそうな人が多い仏教でしたが、
私の心はいつも暗い闇の中にいる気がしました。

私に供養なんてできっこない。
知らないんだもの。
私が先祖だったら、そんなことは絶対しない。
子孫が良くなることをしていく。

仏教の本を読んでも、ちんぷんかんぷん。
お話を聞いても、ほんとに???
あなたは死んでいないのに、そんなことがよくいえますね?

なんて猜疑心。
お寺のお坊さんも、集会の司会やお話をされるかたも、
見透かされているのを知ってか、目を合わせない。

やがて、トップの恩師という方が死亡されて、
父はなぜその仏教を信じているのかをあるとき、私に話してくれました。

「そなたの罪は全部、わしが引き受けた、安心しなさい」
恩師と呼ぶ方が父にそう言われたそうでした。

父は祖父とのあいだにあった確執を恩師様が取ってくれたと言って、
畑の真ん中で大泣きした事を話してくれました。
何度も何度も嬉しい喜びがこみ上げてきたと。

まるでイエス様?
人間はそんなことできないのに・・・。

クリスチャンになってから聞いた父の証に、私は唖然としました。
間違ったことを信徒に伝えていくとどうなるのでしょう?

そんな父も1997年に、神さまの側から、
一方的なお働きによるタッチで救われました。
解放された父は涙を流していました。

自分の罪がすべて、神が人となって来てくださったイエス様を信じるだけでゆるされることを知ったのでした。
神様に感謝していました。

人が解放されるのは行いではなく、
信仰を受け取るだけで良いのです。

神の愛はどこまでも無条件です。
信じるだけ、
イエス様がなさった十字架の身代わりの死は、すべての人の救いのためです。

じゃあ、信じない人は?

仏教を家にもたらした家族、
その叔父が亡くなった直後,
次の日曜日の礼拝の中で幻を見たのは本当に不思議でした。

いつもお酒を飲んで真っ赤な顔をしていた叔父が現れたのでした。
そして、
「あんたが言ってたことが本物だった。ありがとうな」
そんな言葉を聴きました。

妹も娘も一緒に礼拝していたので、すぐにそのことを伝えました。
「おじちゃん、天国に行ったんだね。よかったね!」
二人は神様に感謝していました。


『主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたもあなたの家族も救われる。』
(使徒16:31)
この御言葉をイエス様が仰ってるから、
家族伝道は大切なことだと知らされます。

従兄も、もしかしたら、私のように、
あなたが先祖供養しないとあなたの先祖は成仏できないと言われていたのかもしれません。

やっと、解放された世界にいるのかも???

従兄の霊はセカンドチャンス?
私にはわかりません。
大川牧師は永遠と復活の本の中で、
イエス様が黄泉にくだって行って救ってくださると仰っています。

わたしにはわかりません。
わかるのは、キリストの愛は人間にはわかるようなものではない。
神の愛を理解できる人はひとりもいない。
それほど、神が人となっていのちを捨ててくださった愛があるから、
重荷ともなる、私の思いもすべて十字架にお返しします。
ただ、神の恵みとあわれみ、慈しみを祈ります。

亡くなった人のことは、私たちの知る範囲、知る領域ではありません。

神の領域に、人は入れません。
入ってはいけない世界です。

従兄の親族に、
慰めと平安が与えられますように。
コロナ感染が止まりますように。

そして、毒性の原料を含まないワクチンが開発されることを
切に祈ります。
できるのにつくらない?
つくれない?
できるのに・・・。

彼の霊が主の憐れみといつくしみによって、
親族として信じた私たちの主イエス・キリストによる信仰の恵みの中で、
天に引き上げられますように。
主イエスキリストの御名で祈ります。
Amen.


”正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。
悪しき人の道は暗やみのようだ、彼らは何につまずくかを知らない。
わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。
それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。
それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。
(箴言4:18~22)”



9月6日の花言葉
ナスタチウム
愛国心・勝利
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