汽車でダージリンへ向かう旅の途中でした。
わたしには、神の声であることが、はっきりとわかりました。
神が呼んでおられると、わたしは確信しました。
メッセージは、ハッキリとしていました。
貧しい人たちの中に住んで彼らを助けるために、
修道会を去らなければなりません。
これは神のご命令であり、
実行されなくてはならない、
はっきりしたことだったのです。
招きは、神とわたしの間のことです。
大事なことは、
神がわたしたちをそれぞれ違う方法で
お呼びになるということです。
あの困難で劇的な日々に、
これは神のなさるみ業であって、
わたしの働きではないということは確信していましたし、
今もそう信じています。
これは神の業です。
そして、世界はそこから恵みを受けるであろうということが、
わたしにはわかっていたのです。
(マザー・テレサ)
神のコーリングはそれぞれに時にかなった方法で。
一人で歩くのではなく
わたしがいつも共にいる、という保証つきで。
すべては神の栄光のために。
おことばどおり、この身になりますように。
Amen.
義に飢え渇く人々は、
幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、
幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
(マタイ5:6~7)
9月10日の花言葉
ダリア(赤)
栄華・華麗
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