jazztoday

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M&Iオールスターズ的ライヴを愉しむ!

2006-02-25 06:30:57 | Weblog
 そんなわけで昨朝は「荒川、金メダル!!」の余韻に浸り、そのまま読書しながら起きていて出社しようかと思ったが、『裸体の森へ』を読了して少し眼を瞑っていたら寝てしまい、連日の五輪LIVE鑑賞の疲れからか、日暮れ前まで寝てしまい出社は諦めた…。

 で、17時台のニュースを観てから仕事場を出て、岩本町のTUCへ川上さとみ(p)+井上陽介(b)+大坂昌彦(ds)のスペシャル・トリオに「ゲスト:川嶋哲郎(ts,ss)」といふ豪華なライヴを観に行く。いずれもこの1年間でM&Iから自己名義ないしはユニット作品をリリースした面々の競演、いわば“M&Iオールスターズ”的な一夜の音宴であったが、期待以上の良さで(また、観てみたい。ぜひ、このカルテットで録音を!!)と思った。

 じぶんとしては全員が取材で交流済みの面々といふ編成のライヴもまた珍しい。客席には昨秋、eweの連続ライヴ(@STB139)の鑑賞記を寄稿してくれたMOONKSの方々も来ていて再会の挨拶を交わす。で、生麦酒2杯のほろ酔いで帰宅し、エキシビションまで仮眠して起きた。
 
 そういえばひさしぶりに観たNEWS23で(先日当欄で紹介した)茨木のり子の2編を朗読していたが、草野アナが読んだ<わたしが一番~>はなぜか(おそらく時間の関係だろう)、ジャズとの邂逅を描いた行が「中略」されていた…。 

たかがテレビに集中した時期の…。

2006-02-25 06:12:53 | Weblog
 そんな父親(=じぶん)が家で仕事をしていた時期はよく、はしゃぎ盛りの子供たちも理不尽に怒鳴られた。それぞれが就学した現在は「そんな日々」があったコトを誰も覚えてはいないだろうが、ふだんは口数の少ない人並みに温厚な(と、じぶんでは思う:笑)父親がニュース番組や臨時ニュース、あるいは芸能の会見中継などになると突然「うるさい!!」「向うで遊んで!!」とか「聴こえないから静かにして!!」と叫ぶのだから、当時の子供たちはその度、おそらく点目になっていたのではなかろうか(じぶんは画面に集中しているから子供たちの反応は推測でしかないのだが…)。

 その点、日々の新聞や週刊誌を広げて赤線を引いたり、定規でひっちゃぶいたり、日付けを記している時のじぶんは「じつに物静かなパパ」であったから、子供たちも安心してはしゃいでいたものである。なんでそんなコトを思い出し書いたのかといえば、(仕事の質が転換した)昨年来、もうじぶんはテレビの観方が全然違ってきたといふ事実に気づいたからに他ならない。

もはや発言者のコメントを具にキャッチしようとするじぶんはいない。主役の表情を見逃すまいとして(職業意識から)画面に集中しているじぶんも最近は消えうせた。そうなるとスポーツ中継の感じ方も随分違う。要はどこか義務感から観ていた時期に較べ、純粋に「愉しんでいる」じぶんがいたりする。それはどこか「御隠居の暇つぶし鑑賞」にも似て、ある種「贅沢な時間」でもあるのだ。じぶんでもかなりお安くできている性格だとは思うけれども(笑)、この開放感は元アンカーゆえの特権だとも思うのだがどうだろう…。

エキシビションを観ながら思ったコトは…。

2006-02-25 05:54:30 | Weblog
 昨朝は荒川静香選手の金メダル演技に酔い、今朝はメダリスト競演のエキシビションに魅せられて眼が冴えまくっている。冬季五輪ウォッチャーの見解は分からないが、今回のスケート競技はかなり秀逸な内容満載なのではなかろうか。じぶんとしては本番&エキシビションを(早朝に起床して)こんなに真剣に観た記憶は過去においてない。理由を考えているに内容の素晴らしさはもちろんのコト、やはり個人的には週刊誌のアンカーの仕事を退いた点が大きいと思う。

 確か新春のblogに書いたと思うが、この年末年始は妙にイチローや松井、愛ちゃんや藍ちゃんの関連番組をよく観た。もちろんそれは彼らの現在進行形の輝きに魅せられてのコトだが、昔のじぶんは(といふか、アンカーの仕事をしていたこの四半世紀は)どこか、そのテの番組を無心には鑑賞できなかった。アンカー時代は政治・宗教・芸能・スポーツ・風俗・事件・各種の街ネタ…ジャンルを問わず頼まれれば何でもリライトしたものだが、とりわけ芸能とスポーツ記事は「ない週がない」分野だから、ワイドショーやスポーツ番組は可能な範囲で視聴し、常に万全の体制を整えて毎週の発注を待ったものである。

 となると、記者会見や試合後のコメントも「流して」は聞けず、人にとっては取るに足らない発言でも常に耳を集中させ、(決して大袈裟にではなく)他愛ない表情の一つひとつに神経を集中させ、「手抜きのない」視聴をしていた。いわばこれは職業病のようなもので、ある言葉や決定的瞬間を聞き逃したり見逃したりしてもそれで死ぬの生きるのといふ問題に発展するわけではないのだが…記者のデータはやはり(発言を正確に再現化してくれていても)その場の空気感やひとつの表情から発言者の胸中までは読み込んでいない表層データが多いものだから、アンカー自身がブラウン管から深読みし、その「瞬間」の描写を以って記事のヤマ場を構成する場合もあったりする。だからこその「集中」なのだった…。