jazztoday

MONTHLY FREE MAGAZINE
ブログに登場

日帰りのつもりが宇都宮の夜は更けて…。

2006-02-28 06:21:44 | Weblog
 夕方に起きた日曜日は近所でほたてのリゾット+ミートスパ+生麦酒(中)2杯を飲んで、山路和広著『フライング・ブックス~本とことばと音楽の交差点』を読み終える。ふと点けたNHKで永ちゃんの姿が映り、次いでインタビュアーの重松清も出てきたので思わず観る。まあ、いつもの永ちゃん節が健在だったが、このスペシャル番組を観て知ったのは矢沢フリークの中心が現在45才を中心とする世代であるコト。彼らと半周り違うじぶんの世代はリアルタイムでキャロル登場の衝撃を受け止め、文京公会堂などにも足を運んだクチだが、彼らは<I Love You,OK>以降の、要はソロになってからの永ちゃん命派なのかもしれない。

 その後仮眠し、早朝から借りている5本のアルゼンチン映画の最後の一本、『タンゴ~ガルデルの亡命』を観る。昨年6月のブエノス行きを要所要所で思い出し、(日本には=)東京には“音楽”がないなとつくづく想ふ。商店街のスピーカーからも、各店頭(内)からも、隣席のヘッドフォンからもあさまざまな音楽が零れてくるが、要は世代や分野を超えて“これが東京の音楽!”と名指しできるものがない。なんでもアリだが、それが不在といふ…。

 で、映画を観終われば早8時半。急いで身支度をし、まずは担当医の元を訪れ、切れた薬の補充を取りに行く。受付で「すぐ順番が来るから前回の検査結果を聴いていったら?」と薦められ、先生に会ったら「年末の数値と変わらないので、もう少し強い薬を差し上げましょう」と言われる。ついでに花粉症の薬ももらって、上野駅に向かふ。9時29分発の宇都宮行きに乗り込んで、アルベルト松本著『アルゼンチンを知るための54章』を読み始める。今日は今年初めての宇都宮行き、某AMラジオの編成関係の方&某リゾートホテルの関係者と会って、ある打ち合わせをするのが目的だ。

 そのランチミーティングのあと、某医師や某ビル持ちの方を紹介され、岡本Dとの打ち合わせ後「私の知り合いのJAZZの店でぜひ再会しましょう」と誘われ、「では、ぜひ」と約束を交わして一旦別れる。が、岡本Dと打ち合わせを終え、あまりにも睡魔が著しいので床で仮眠し起きれば19時前。先方の用事が長引いているようなので「東京でも打ち合わせがあるのでそろそろ…またの機会に誘ってください」と電話したら、「今日休みの店をわざわざ開けてもらったので30分だけでも寄りませんか?」と説得されて、件のJAZZ SPOT『ROYAL』へと向かふ。オーディオ設備が充実し、落ち着いた内装の素敵な店だった。お世辞ではなく(また、来よう)と想った。

 で、乾杯の段になり、これは嘘でなく「帰京後、車を運転する用事があるのでボクはソフトドリンクで…」と言いかけたが、ぞくぞくと集ってくる仲間勢の手前、「じゃあ、生麦酒を一杯だけ…」から「そのハーパーをソーダ割で(笑)」、さらには「カラオケですか? いいスッねえ!!」となって(笑)、気づけば次のスナックへ移動し、じぶんも数曲歌っていた次第。その先生方と深夜0時過ぎに別れ、岡本Dたちの事務所で仮眠し、先程5時26分発の上野行きに飛び乗って、これを書いた。ああ、今日は忙しいぞぉ~。

 

静香、熊野、デ・ニーロ、そして惑星から来たキリスト…。

2006-02-26 08:32:07 | Weblog
 最近の「何もない土曜日」の定番で夕暮れ過ぎに起床。『人類の月面着陸はあったんだ論』の残り章を読了後、これまた規律のようにホームセンターにフェイルの買い出しに行き、スーパーで天然水を補給して焼き鳥を購入し、寿司屋で持ち帰りを握ってもらって帰宅。

 それらをつまみながらNHKスペシャル<荒川静香・金メダルへの道>、次いでETV特集<大森林の小さな家~熊野・野尻さん一家の十年>を観る。その後、一服してから『ニューヨーク・ニューヨーク』の本編と各種特典メニューを鑑賞し、さらに“惑星から来たキリスト”にふり回される精神科医の戸惑いを描いたミステリアスなアルゼンチン映画『南東から来た男』も観てしまう。さて、雨の日と「何もない」日曜日は何をしよう…。

M&Iオールスターズ的ライヴを愉しむ!

2006-02-25 06:30:57 | Weblog
 そんなわけで昨朝は「荒川、金メダル!!」の余韻に浸り、そのまま読書しながら起きていて出社しようかと思ったが、『裸体の森へ』を読了して少し眼を瞑っていたら寝てしまい、連日の五輪LIVE鑑賞の疲れからか、日暮れ前まで寝てしまい出社は諦めた…。

 で、17時台のニュースを観てから仕事場を出て、岩本町のTUCへ川上さとみ(p)+井上陽介(b)+大坂昌彦(ds)のスペシャル・トリオに「ゲスト:川嶋哲郎(ts,ss)」といふ豪華なライヴを観に行く。いずれもこの1年間でM&Iから自己名義ないしはユニット作品をリリースした面々の競演、いわば“M&Iオールスターズ”的な一夜の音宴であったが、期待以上の良さで(また、観てみたい。ぜひ、このカルテットで録音を!!)と思った。

 じぶんとしては全員が取材で交流済みの面々といふ編成のライヴもまた珍しい。客席には昨秋、eweの連続ライヴ(@STB139)の鑑賞記を寄稿してくれたMOONKSの方々も来ていて再会の挨拶を交わす。で、生麦酒2杯のほろ酔いで帰宅し、エキシビションまで仮眠して起きた。
 
 そういえばひさしぶりに観たNEWS23で(先日当欄で紹介した)茨木のり子の2編を朗読していたが、草野アナが読んだ<わたしが一番~>はなぜか(おそらく時間の関係だろう)、ジャズとの邂逅を描いた行が「中略」されていた…。 

たかがテレビに集中した時期の…。

2006-02-25 06:12:53 | Weblog
 そんな父親(=じぶん)が家で仕事をしていた時期はよく、はしゃぎ盛りの子供たちも理不尽に怒鳴られた。それぞれが就学した現在は「そんな日々」があったコトを誰も覚えてはいないだろうが、ふだんは口数の少ない人並みに温厚な(と、じぶんでは思う:笑)父親がニュース番組や臨時ニュース、あるいは芸能の会見中継などになると突然「うるさい!!」「向うで遊んで!!」とか「聴こえないから静かにして!!」と叫ぶのだから、当時の子供たちはその度、おそらく点目になっていたのではなかろうか(じぶんは画面に集中しているから子供たちの反応は推測でしかないのだが…)。

 その点、日々の新聞や週刊誌を広げて赤線を引いたり、定規でひっちゃぶいたり、日付けを記している時のじぶんは「じつに物静かなパパ」であったから、子供たちも安心してはしゃいでいたものである。なんでそんなコトを思い出し書いたのかといえば、(仕事の質が転換した)昨年来、もうじぶんはテレビの観方が全然違ってきたといふ事実に気づいたからに他ならない。

もはや発言者のコメントを具にキャッチしようとするじぶんはいない。主役の表情を見逃すまいとして(職業意識から)画面に集中しているじぶんも最近は消えうせた。そうなるとスポーツ中継の感じ方も随分違う。要はどこか義務感から観ていた時期に較べ、純粋に「愉しんでいる」じぶんがいたりする。それはどこか「御隠居の暇つぶし鑑賞」にも似て、ある種「贅沢な時間」でもあるのだ。じぶんでもかなりお安くできている性格だとは思うけれども(笑)、この開放感は元アンカーゆえの特権だとも思うのだがどうだろう…。

エキシビションを観ながら思ったコトは…。

2006-02-25 05:54:30 | Weblog
 昨朝は荒川静香選手の金メダル演技に酔い、今朝はメダリスト競演のエキシビションに魅せられて眼が冴えまくっている。冬季五輪ウォッチャーの見解は分からないが、今回のスケート競技はかなり秀逸な内容満載なのではなかろうか。じぶんとしては本番&エキシビションを(早朝に起床して)こんなに真剣に観た記憶は過去においてない。理由を考えているに内容の素晴らしさはもちろんのコト、やはり個人的には週刊誌のアンカーの仕事を退いた点が大きいと思う。

 確か新春のblogに書いたと思うが、この年末年始は妙にイチローや松井、愛ちゃんや藍ちゃんの関連番組をよく観た。もちろんそれは彼らの現在進行形の輝きに魅せられてのコトだが、昔のじぶんは(といふか、アンカーの仕事をしていたこの四半世紀は)どこか、そのテの番組を無心には鑑賞できなかった。アンカー時代は政治・宗教・芸能・スポーツ・風俗・事件・各種の街ネタ…ジャンルを問わず頼まれれば何でもリライトしたものだが、とりわけ芸能とスポーツ記事は「ない週がない」分野だから、ワイドショーやスポーツ番組は可能な範囲で視聴し、常に万全の体制を整えて毎週の発注を待ったものである。

 となると、記者会見や試合後のコメントも「流して」は聞けず、人にとっては取るに足らない発言でも常に耳を集中させ、(決して大袈裟にではなく)他愛ない表情の一つひとつに神経を集中させ、「手抜きのない」視聴をしていた。いわばこれは職業病のようなもので、ある言葉や決定的瞬間を聞き逃したり見逃したりしてもそれで死ぬの生きるのといふ問題に発展するわけではないのだが…記者のデータはやはり(発言を正確に再現化してくれていても)その場の空気感やひとつの表情から発言者の胸中までは読み込んでいない表層データが多いものだから、アンカー自身がブラウン管から深読みし、その「瞬間」の描写を以って記事のヤマ場を構成する場合もあったりする。だからこその「集中」なのだった…。

南米映画の“光と影の詩”に酔う!

2006-02-23 06:19:04 | Weblog
 前の投稿をしたあと、フェルナンド・ソラナス監督の『ラテンアメリカ 光と影の詩』を観た。面白すぎる、大好きな作品だ。南米特有のマジック・リアリズムが随所で炸裂、文字どおり「最果ての町」の風景が素晴らしく、水没したブエノス・アイレスの光景やアルゼンチンの人々の人生観、南米の歴史や誇り、音楽や文化が幕の内弁当的に詰め込まれ俯瞰できる快作!! じぶんとしては(こういふ映画こそ観たかった!!)といふビンゴ作品だ。

 映画に関するじぶんのスタンスは「失われた10年」どころか「失われた四半世紀」といえる程、この25年程はほとんど映画館に足を運んでいない。もちろん仕事 絡みで試写会には何度も足を運んでいるし、意外と出不精なじぶんをして「これは見逃さない!! 劇場で観る!!」といつになくアグレッシブな行動力を喚起した映画も何本かはあるが、レンタル映画にしても近年はかなり観るようになったものの、いわゆる映画ファンからしたら(えぇ…アレさえも観てないのぉ!?)と呆れられてもしょうがないくらい観ていない。

 要は40代後半から50歳の壁を越えてから“娯楽に飢えていた復員兵”の如く、青春を取り戻す勢いで貪欲に観そびれた映画を観ているわけだが、正直、年間で映画館に足を運ぶ回数は今だに少ない。が、こういふ作品に出遭うとまた、学生時代のような劇場通いを習慣化しようかとも思ふのだ。同作品の音楽は、エグバルト・ジスモンチ、アストル・ピアソラ、フェルナンド・ソラナス…早く読みたい音楽本が何冊もむくむくと浮上してくる映画作品だ。明日は同監督の『タンゴ~ガルデルの亡命』を観ようと思う。朝が明ける…。

経済的不安たち(笑)の黄昏時は…。

2006-02-23 02:26:19 | Weblog
 そうそう、今日も今日とてなんで外苑前には足を向けず、黄昏の荷風暮らしを満喫しているかといえば、今号の校了以降は(入稿時期のまんま)完全に昼夜が逆転し、加えてDVD三昧なのでそのまま五輪中継に突入し、読書しながら眠りについて起きれば夕暮れ…といふ日々が続いているからなのだ。で、今みたいに午前2時前後にこのblogを書いて投稿するとまた映画を観て、五輪を観て、のくり返し。明日は外苑前に行くけれども…。

 さて、ハートランドで串を片付けていたら数本の仕事電話が入り、取材依頼が2本と面談希望が1本、それに某案件に関する問い合わせが一件だったので慌てるコトもなく、「同じの、おかわり!」をする。結局はミキティは…とか、さすが荒川は…とか、村主ってやはり…とか、早朝の規定演技なんぞを暫しふり返りつつ、今度はDIMEをパラパラ読み。

 で、焼きおにぎりと味噌汁で締めるといふ先回とまるで同じメニュー展開で会計をし、対面の古書店を覗く。買ったのは1963年刊行の新潮ポケット・ライブラリ、天野光三著『東京診断~一千万都市の現実と未来』(これだけ定価よりも高かったが、それでも500円)、パラパラ捲ったら懐かしいモノレールの写真と透視図が載っており、その章の小見出しが<モノレールはまだ未知数>だったので迷わず購入を。

 それからもう一冊「東京本」の名著で最近文庫化された嵐山光三郎の親本『東京旅行記』(1991年10月刊)。さらに山下洋輔著『ピアノ弾き乱入元年』(徳間書店)と、これまた読み逃していた東浩紀著『郵便的不安たち』(朝日新聞社)の親本が新刊文庫よりも安かったので買う。どの順番で読もうか?

“ノイズの妾腹”とはどんな音楽なのか!?

2006-02-23 02:03:51 | Weblog
 肩透かしのような党首討論を観終えて、晩年の荷風が住んでいた街まで一杯呑むつもりで電車に乗る。昨晩観た映画『エバ・ペロン~エビータの真実』があまりにも歴史教科書的な内容だったので、何やら口直し(?)作品を探したいといふ思いも胸中に抱いていた。で、まずは駅ビルの新星堂に行き、DVDの棚を丁寧にチェック。したら、以前から再見購入したと思っていたスコセッシ監督『ニューヨークニューヨーク』のアルティメット・エディション(初回生産限定)などといふものが眼に飛び込んでしまい、しかも新星堂特典で「さらに1,000円OFF」といふので買ってしまう。メイキング他の2枚目も愉しみだ。

 で、次に書店を覗き、<急増中の「キバ女」に“おひとりさま”の縮図を見た>他の記事に惹かれてDIME最新号、それとCDJを購入。キバ女って…TX(つくばエクスプレス)開通で激変する街・アキバに住む女性のコトなんだとか。記事のリードに曰く、「オタクでもメイドでもない、次なる新興勢力」なんだそうな(笑)。なんでも「高セキュリティー・好立地、キバ女向けマンション続々建設中」らしいぞ。送り狼もキバなしか!?

 踏み切りの側にある、以前一度呑んだコトのある、AORの流れる串焼き居酒屋に入り、まずはハートランドのジョッキに焼き鳥を4本頼んで雑誌を拾い読みする。CDJの連載コラム、松山晋也のインディーズ・ファイル(といふ正式タイトルだったとは今日初めて知ったが…)『よろしく哀愁!』は毎回愉しみに愛読し、オルタナ系新譜の耳学問として学ぶコトも多々あるが、今回の出だしは(先日再会したばかりの本人が)長男の入学準備をめぐる家庭の事情が書かれており、大いに笑う。

 先日のロビー対談でこの稼業のやるせなさを語り合ったばかりゆえ、または子育ての先輩として彼の年頃の光景をふと思い出した。それにしても記事中に登場するバンド名が凄いネ、“穴奴隷”だってさ…キバ女の顔色なしだな。プレス資料に曰く、“ノイズの妾腹”的ハードコア・パンク一直線…聴いてみたい!!


アルゼンチン映画のVHSを5本借りる。

2006-02-22 02:22:31 | Weblog
 で、夜は新宿まで愛車で出かける用事があったので、ひさしぶりに新宿TSUTAYAに寄り、アルゼンチン映画の棚から以下の5本のVHS作品を借りる。
 ①王様の映画
 ②ラテンアメリカ 光と影の詩
 ③南東からきた男
 ④エバ・ペロン~エビータの真実~
 ⑤タンゴ~ガルデルの亡命~

 その後、長春館に寄って、わが定番の豚足+テグタン+カルビで夜食を採り、クラヴェを聴きながら深夜の国道を戻ってくる。駐車場に滑り込んだら丁度、NHKで『ジュリエッタ・ビノシュ、自ら語る』が始まったので急いで部屋に戻って、続きを観る。そういえば先週末はETV特集で照屋林助の回顧ドキュメンタリーを観たが、テレビへの興味は失せてもやはりテレビ番組表は毎日チェックしないと貴重なプログラムを見逃してしまうもの…。

 ビノシュの番組を観終えて即、映画『王様の映画』を観る。トリュフォーの『アメリカの夜』やヴェンダースの『事の次第』のようないわゆる「映画を作る映画」だが、冒頭は企画会議の場面。先日観た『火星人メルカーノ』も火星人たちがやたらと卓を囲んでは討議するシーンが頻出し、(これはアルゼンチン映画の定石なのか:笑)とも半ば本気で思ふが、他の4本ではどうだろう。で、『王様の映画』だがシリアスなのに笑える佳作だった。サントラもやはり奇妙な魅力に満ちていてヨカッタ。今夜は就寝前にどれを観ようか?

“同級生”だったシンディ・シャーマン。

2006-02-22 02:03:03 | Weblog
 朝日新聞を一通り読んでから、伊藤俊治著『裸体の森へ』の残り章を読み進めていたら、私肖像写真家のシンディ・シャーマンがじぶんと同じ1954年(ニュージャージー州グレンリッジ)生まれだと改めて知った(忘れていただけかもしれないが)。「この時代とこの場所に生まれていなければこの表現形式をとらなかったろうし、また男だったら自分の体験を土台にするような作品をつくらなかったでしょう」というシンディの言葉を引き、伊藤も「彼女の言葉は印象的だ」と付け加えている。

 これはかつてCD-ROM全盛期にどこかの専門誌に書いたが、この伊藤俊治や飯沢耕太郎、伴田良輔ら、写真や図像系の著書を多く持つ精力派はいずれも1953年か1954年生まれ。それぞれの視点や課題は三者三様だが、どこか共通するヴィジュアル・ジャンキーぶりは同じ昭和20年代後半生まれとしてよくわかる。

 で、伊藤の文章に誘われ、シンディの写真集をひさしぶりに鑑賞しようと思って帰宅後、棚の奥まで探すが見つからない…もしかしたら、半生で初めて書籍を大量処分した際(なかでも写真集が最も多かった)、エイヤッと潔く売るコトにした中に含まれていたのかもしれない。確か(こんな日のために)海外写真集に関しては処分対象のリストをエクセルに記録したような記憶もあるが、そこまで調べるほどでもない。そもそもシンディの写真集については(作品それ自体への不満ではなく)装丁の気に入ったものがなかなか見つからず、暫定的な購入品を持っていたから、今度写真専門店でいいのがあれば買ってみよう。