Simple is Best & 間

空間と時間と人間と・・・
世間と行間はどんな間違いと関係ある?

麟太郎君の学芸会

2005-11-27 09:44:13 | Weblog

昨日の発表会の報告である
保育園に通うのもあと一年・・・来年は最年長組である
しかし、6歳と5歳そして同学年の仲間同士で
当然ながらかなりの成長の差がある
縄跳びができ台詞が読めそれなりのレベルで・・・
それに引き替え
わが麟太郎君はのんびりゆったり・・・
好き嫌いが激しく
きかん気は強いのに甘えん坊で典型的なひとりっ子・・・
まだ保育園の先生に抱っこをねだり
体が重く感じられ運動能力もない
子ども同士で遊ぶ機会が保育園だけであり
粘りあるかけっことかの経験がない
マラソンを教えたり自転車を教えたり
ねばり強い取り組みが必要だ
それでも、根っからの明るさが取り柄・・・
笑いをとろうとする
喜ばす術は身につけている
しかし、祖父母はレベルの高い完成度に満足し喜びたい・・・
という期待はナッシングでしょうが・・・
終了後にファクトリーのトイザらスに買い物に行った
その時のスナップを


引っ越し、一段落・・・

2005-11-06 19:22:12 | Weblog
去年の7月末に18年間住み慣れた家を出て引っ越した
もう1年が過ぎたが
前の旧い家が売れたので
その資金で娘親子に中古マンションを買った
孫の引っ越しがこの4日にあり
5日、6日と家具その他の買い物につきあわされた
昨日はホーマックに始まり洗濯機のホース部品を手に入れて接続・・・
今日はニトリ、デザイン家具センター、セーヌインテリア
昼食後、ホクレンホームセンター、東急ハンズと
札幌市内を駆け回って買い物アッシーを担当した
家内と娘は買い物に夢中になるが
ボクと孫(男5歳)は店の中でかくれんぼをしたり
すべてのフロアをくまなく探検・・・
歩数計はつけなかったが1日1万歩は歩いたろう・・・
登山よりは疲れないが
今自宅に帰ってきてアルコールを入れると
すごく心地よい疲労感が襲ってきている・・・
明日も休みなので早く眠りの床に伏し
初雪がまだ降らない日の晩秋を定山渓めざして走ってみようか・・・

ボリボリというキノコ

2005-10-10 20:51:16 | Weblog


ここ北国、北海道の10月の山々からは初雪の便りがチラホラ・・・
それでも3日の月曜日に、土・日の喧噪を避けての登山をしてきた
「余市岳」という石狩管内の最高峰・・・

1488?ある登山入り口が この6月からキロロスキー場の駐車場に変更なり
ガイドブックの登山口まで4キロメートルもの道のりを余計歩くこととなった
(それなら予定の計画を早くもできたろうに・・・知らなかった・・・)

とりあえず紅葉はある程度すすみ 目に映えて美しさを感じた

デジカメでその一こまを切り取ってきた

それよりも下山の登山道でキノコの群生を見つけた
見た目に食べられそうなので夢中で採ってきた・・・

キシメジ科の「オシロイシメジ」という名前だと知ったのは
登山仲間のKさんによる電話による情報だった

しかし、実は朝里川温泉で入浴後 札樽高速道で帰ってきたのだが
江別西インターへ出た後 車の後ろの左タイヤがパンクして走れなくなった

急遽 携帯でライラック自交のK君に助っ人を頼み
何とか難を逃れたので そのキノコを会社の人に持たせてあげた

何とかリベンジでキノコを口にしたい・・・ という思いがつのった・・・
(リベンジの意味合いはパンクかキノコか不明・・・)

今日(10日)、ある沢へ入った落ち葉が重なり始めていた秋もかなりの「晩秋」・・・
といっていいだろう・・・
落ち葉の色とキノコの色が区別がつきにくかった

しかし、確かにキノコのほほ笑みがこちらに呼びかけていた
よくよく目をこらすと
久しく(20年ぶりくらい)お目にかかったことのない「ボリボリ」ではないか

夕張時代に滝の上で採って以来・・・の懐かしさで
初恋の人に出逢った「ドキドキ」感が生じた・・・

家内に携帯で連絡して 大根を買ってくるように頼んだ
三杯酢で食べたかった・・・

買い物袋に一杯になるくらいに採ったのにまだ採りきれないくらいにある・・・
この現実・・・

来年 果たしてここへまた来られるだろうか・・・
と思いつつ・・・
欲望をかなぐり捨てて帰途についた

みそ汁と三杯酢にしても まだ余りあるくらいの収穫・・・
冷凍保存などしたくなく 新鮮なうちに食べたいので
近所の知人のKさんと
千歳の家内の実家へお裾分けした

満足感で一杯だが何の「リベンジ」だったのか・・・
まだまだ10月でも北海道のキノコは採れるのかも知れない


イタリア旅行で・・・

2005-08-21 22:26:49 | Weblog

36人という大ツアーであった

当然、上は70代の女性から下は12歳の小学生の男子・・・

と多彩だった 36人全員と話し合う機会はなかったが

レストランで同席した人たちとは話し合うことができた

しかし 海外旅行組のことばの端々に 何を目的として参加しているのか理解にどうも苦しむ人がいる・・・

たとえば シエナという町のカンポ広場で

17地区の代表が抽選で選ばれて 地区対抗の裸馬の競馬(パリオ)が行われるのが有名なところがある

そこの17地区の町内の名前がおかしい・・・と

バカにして笑いをとる人がいる

一見、実業家風・・・中小企業の社長さんだろうか・・・

 

共和制を守る伝統ある政治風土のシエナの街・・・

話し合いで決着がつかない問題があったからか・・・

こういう競技で解決をつけ、それが街の祭りとしての歴史的な伝統となる・・・

日本にも「けんか御輿」に代表されたり

「けんか凧」にうかがえるように似た風習はある

御輿や凧の名前には もちろん 「ホタテ」とか「イモムシ」などとはついてはいないが

それがどうして

バカにしたように ツアー客のレストランでの話題にするのだろうか・・・

海外旅行に行くと必ずそういう人・・・

日本人の優越感いっぱいの人に出会う

どうも、海外旅行することでの自分の成功の確認作業に来ているようだ・・・

 

以前 旅行中の飛行機やバスの中で酒盛りをする一団に会ったことがある

会社ぐるみで海外旅行(その時はスペインであったが)へ来ている・・・

このことは、会社の姿勢として評価できること

しかし、何で移動最中に酒盛りなのか理解に苦しむ・・・

この時も 他のツアー客にアルコールを振る舞うことで 不思議と受け入れられている

 

シエナの町内会の名前が昆虫であろうと鳥であろうと貝殻であろうと

それがどうしてツアー客に気を遣う盛り上げ(笑いをとる)なのだろうか・・・

確かに 「すごい・・・すごい・・・」と

感動の連続だけで終わる必要はない

現在のイタリアが 必ずしも日本という国より経済的に優れているというわけでもない・・・

しかし 経済的基準だけが価値判断の基準ではないだろう

このたびの旅行のツアー添乗員の話に・・・ こんなのがあった・・・

第2次世界大戦・・・というか太平洋戦争というか・・・

日独伊三国同盟でイタリアと同盟を組んだから戦争に負けた・・・と

以前のイタリアツアーの時に話していた人がいる・・・と

 

どうも 日本の旅行参加者がツアー客に得々と言っているようだ・・・

これって、一体何なのだろうか?

こんな発言をイタリア人が聞いたらまた外交問題に発展する・・・かも

 

人生は自分も含めて ただの「自己満足」の歩みだけで終わってしまうのだろうか・・・

開いた口がふさがらず・・・

ことばを飲み込むだけ・・・

 


弁証法・・・過去の清算

2005-05-08 21:45:10 | Weblog
日本民族は滅んだことはない
しかし、一度日本民族的に、滅んでみたらといい・・・と思う
実際的な歴史(1945年8月)でみると
15年戦争で滅んだ状態になり
再生された民族が、今ここに在る・・・ということになろう

その滅びから生まれた日本国憲法
主権在民と永久平和および基本的人権は
戦争で滅んだ後の日本民族の希望であった
その憲法の改正を巡ってかまびすしい・・・

そこに歴史の弁証法は働いているか?

滅びに至った過去に対して
教育勅語的な民族の回帰での再生を望んでいるのか・・・
滅私奉公、背私向公の忠義の思想
「日本国家のために立ち上がり、天皇陛下のために死ね!!」という
教育の再生をもう一度もくろんでいるのだろうか?

しかし、ここに弁証法的発展が潜んでいる
再生しようとするその過去の滅びは、アメリカによりもたらされた
もたらされたのは滅びとともに自由という名の民主主義・・・
単純なる過去への郷愁としての帰還ではなく
アメリカに庇護を受けた60年という平和である
この再生には弁証法の力が働いているだろう・・・

この弁証法的発展のもとで
国連での常任理事国入りを目指しても
グローバル化してしまった世界情勢の中で
どれだけ滅んだ過去の伝統をよみがえらせる効果
民族としての存在価値が在るだろう?

日本は独立国としての過去の歴史にどのように向き合ってきたか
たとえ、悲願の常任理事国入りを果たしたとして
日本民族が国際社会で果たすべき役割・・・
戦争のない永久平和な地球をもたらす国連での発言につながるだろうか・・・
そこに日本独自の哲学が展開されることは望み薄・・・である

弁証法とは・・・
一体どのような哲学的生き物であるのか
少なくとも、日本の哲学者の意見が聞きたい
今日この頃である

初めてのブログ

2005-05-04 20:54:59 | Weblog
ブログという単語に出会ってからまだ間がない
間が抜けないうちにブログしよう・・・と人間が考えた
「たまたま・・・」の「ま」は人間の「間」なのだろうか?
たまたまの思いつきが「たま」について考え始めた・・・
どんなブログになるやら自分発想が「まま」ならないのに
禅の公案的には「間・ま・マ」について考えていきたいものと・・・