Ciemlandの悲哀

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シエムランド慨史

2006-06-10 09:36:49 | History of Ciemland
シエムランドとは、中央ヨーロッパ山間部にある小さな独立国家である。国内にはドナウ河支流であるシエム川が流れている。
シエム人とは民族ではない。古代から存続するシエムランド国に属する人々を指す。シエムランドとは民族国家ではなくコスモポリタンな国家と言えよう。

発祥は定かではないが、紀元前1000年前には存続しているというのが有力な説である。
ヒッタイトが海の民族に滅ぼされたときに逸散した一部のヒッタイト人が鉄の情報を武器として国家を打ちたてたとも言われている。
いずれにせよ文献に登場するのは、共和制ローマの執政官がパンノニア外縁の状況を元老院に送った報告書が最初である。「シエム人は山の民である。貧しき土地にて作物は期待できず、猟が主である。弓の技術は高く、獣を罠へと導く策略は見事である。そのため、傭兵としても富を得ている」

古代の戦闘にシエム人が関係していたとする説は根強い。アレクサンダー大王の大遠征、ハンニバルの緒戦の勢いなどは彼らの助力があったというのだ。
このような戦績を耳にして、各地の腕利きたちがシエムランドに集まり、やがて都ができた。その名をリョーザン・パークという。潰すには出血がひどく、また得るものが少ないため各勢力はシエムランド征服を行わず、結果ゲルマン民族大移動やモンゴル大制覇にも生き延びた。
中世にはヨーロッパ各地において傭兵団が多数が存在したが、これもシエムランドの影響を受けてのことである。近世のナポレオンが軍事的才能を開花させたのもイタリア遠征の際にシエム人と接触があったと見るむきも少なくない。

20世紀においても、シエム人はその作戦能力を買われ、下~中級将校を軍事顧問として各国に派遣している。敵対する国家双方にシエム人顧問がいることはまれではない。というよりヨーロッパ主要国の軍すべてにシエム人は派遣されている。