清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

縄文時代からの贈り物。大切にし、伝承したい。
奥深き山郷から自然豊かなリポートをお送りします。

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2018-10-31 04:42:10 | 自然とともに
   日本の歴史書を読む   
 アルツハイマー病という厄介なものが多くなってきたようである。

 私達の生きてきた歴史を少し振り返ってみると、3~40年前に
そんな名前の病気があったのだろうかとさえ思う。

 最近は科学の進歩でいろんな名前の病気がとりざたされる。その
一つがアルツハイマー病かも知れないが、誰でもいつ見舞われる
かもしれません。

 世間の話をひろってみると、生まれつきということもあるのか
5~6人の兄弟姉妹の全員にその兆候があるとか、割合楽に生きて
こられた姉と弟が揃って罹患したというような話をよくお聞きします。

 共通しているのは、文字から遠のいた方や、急にポカッと空間が
広がり刺激が無くなった方にも多いと聞く。本と親しみ新聞を読む・
文字を書く・人と話をするなどに加え少し難しい計算をするなどで
厄介者から離れられるようでもある。

 要するに脳に活力を与え、脳をこき使うことが必要のようです。
一つには、趣味を持つとか何かの道楽じみたことをするのも良いそうで
行政の行う高齢者向けのシステムではカバーしきれないようである。

 今一つ考えなければならないのは、高齢者を世話する団体の職員数を
減少させることが難しいので、お客様(高齢者)を募集することになる。

 対象者はどうしてもリタイアした高齢者となるから、突然生活環境が
変わると思わぬ事故を引き起こすことが多いともいう。

 盛んに進められお世話になると、身体も脳もいっぺんに大層な変化を
必要とするのでパニック状態になり急変についてゆけないかもしれない。 
  

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2018-10-30 05:55:22 | 自然とともに
  日本の歴史書を読む   
 なぜか歴史に関する書物に目がゆくようになってきた。

 ある文学博士が
「学問は、その歴史を学んでから始めると理解が早い」と述べている。

 目的とする分野の基礎を知っておくことで理解度が違うことを解いて
いると思う。

 乏しい知識を活かしながら生きて行かなければならない時代にあって、
大脳のフル回転をすることになるのだが、やはり基礎が出来ていないと
余分な時間を要する。

 若い時に体を鍛えておかないと年取ってからスポーツを初めても
ダメなように、若さあふれるときに頭を使い鍛錬しておく必要がある。

 80の手習いということもあるが、80歳で英会話を学ぶ方もいて
たのもしい限りだが、習得に時間がかかることは否めないかもしれない。

 先の博士は数学でもその歴史を学んでから取り掛かると理解度が
違うとも述べてもいる。

 年取って回り道は大変ですが、年取れば何も急ぐことは無いから
脳のトレーニングに良いかもしれない。

 アルツハイマー病にかかる方の多くに、頭を使わなくなる時期がやって
くるとその兆候が表れやすいという。

 年取ればこそ頭を使う何かをしている方が若々しく、元気でいられる
かも知れない。      つづく   
 
 

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2018-10-07 05:49:12 | 自然とともに
  言葉遊びではない 仏とのつながり   
 前回投稿のタイトルを導き出した原点は、「人の価値」であったが、
その末筆に弘法大師が約1250年前に「常識をすてること」と述べて
いることも掲げておいた。

 大師は常識がこだわりを生み、悩みを生むとも教えてくれています。
その常識を捨てれば内面にあるものが具現化し、それが潜在意識とは
異なるものと繋がると述べています。

 そのつながりが仏縁を悟ると。

私達が日頃唱える「般若心経」は649年玄奘が訳したものという。
膨大な量の経典の中から選び出されたものであり、その真理は一切「空」
であると教える。

その中には「不」「無」という言葉が多数あり、大師は常識を捨てて
言葉から離れるよう説かれています。

 一般人が社会生活を営む中でもつ、持つべき判断力・知識力など共通
したものを常識というとあるが、この共通したものの見方に距離を置く
ことが大事であるという。

 修行者は「悟れ」とよく言うそうであるが、凡人にはこの「悟り」が
わかりにくい。

 具体的な教えを乞うと、とにかく「悟れ」というそうでそれ以上は
教えないという。

 せめて「色即是空・空即是色」の真髄を解いてあげれば良いものをと
考えるが間違っているのだろうか。深く考えてみたい。 
 
 


清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2018-10-06 02:47:17 | 自然とともに
  人の価値は どれだけ蓄えたかでなく
  どれだけ奉仕(出したか)で決まる 
  
  
 この名言は、アインシュタインの言葉であったように記憶するが、
違っていましたらどなたか訂正お願いします。

 爪に火をともすような方もいれば、袖を派手に振る方もいる。

 蓄えるために、出さなければならない分までケチるのは論外である。
世間のことにとんと疎く(投稿者もそうだが)物事を理解できないと
出すべきところでも惜しむことになるようである。

 投稿者は袖を振りすぎて、火の車の状態で世渡りをしているが、
結構楽しい人生だと思っている。

 ご参考までに聖人と偉人の言葉をごちゃ混ぜにして、お役に
立てればと綴ります。

 弘法大師は仏になる悟りは「常識を捨て 言葉を離れること」だと
1250年ほど前に述べています。

 アインシュタインは、20世紀に「人生における成功をA、仕事をX、
遊びをY、口を閉じることをZとするとA=X+Y+Zが成立する」と
言っています。

 このZは弘法大師の言う「言葉から離れる」ことになるのでは・・・・。

 また、アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見の
コレクションのことを言う」と述べています。

 弘法大師は「常識を捨てる」と述べているのでこのコレクションを
捨てることが大事であるということではないでしょうか。