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日本語教師的生活

日本語と日本語教育にまつわるいろいろ。

日本語教師になって気づかされたこと(使役受身)

2017-01-15 18:24:16 | 日記
明けましておめでとうございます。
ちょっと久しぶりの更新になってしまいましたが、今年も少しずつ日本語教師の生活に
ついてと、ちょっぴり文法・語彙の話など書いていけたらいいなと思います。
どうぞよろしくお願いします。

実はあまり大きな志も持たずに日本語教師になって、はや27年。
気づかされたことは、国が違えばものの見方、考え方、価値観が当然違うこと、日本人
だからといって、必ずしも日本のことを深く理解しているわけではないこと、ついつい
自文化中心的な言い方になりがちなこと等、多々ありますが、今日書きたいのは、そん
な大きなことではございません。

日本語教師になって初めて気づいた。
つまり日本語教師にならなければ、たぶん一生気づかなかったこと。
それは字を間違って覚えていた~!!!
ということです。

例えば、漢字の「卒」や「検」という字。「卒」は「人」のところを「入」って書いて
たかも。さらにひらがなまでも。「え」の下のところをはねていたんですね。
(だって、誰も指摘してくれなかったもん…。)
日本語教師となり、文字を学習者に正確に教えることが必要になって初めて、え~!!
そうだったのか!
と気づいたのです。

…でも、私だけじゃないですよね。私より若いのに旧字体の漢字を何の疑いもなく教え
ていた先生もいらっしゃいましたし。
文字ではないけど、掃除関連の語彙を教えるのに、「床をほうきで、はわきます」と
学生にリピートさせていた先生も。(「はわく」は九州の方言で「掃く」です)

あと書き順は大体怪しいです。(書き順があまり重要と思っていないせいもあるけど)

日本語教師に“さえ”ならなければ、小さな文字の間違いや、言葉遣いの間違いは、
気づかされることなく、スルーされていたんだろうなぁ。(そう考えると学習者に
完璧を求めすぎるってどうなんだろうとも思う…)

まあ、日本語教師だって教える前にもう一度日本語の勉強必要ってことです。
(「必」の書き順は知っている!)

さて「気づかされた」は、いわゆる「使役受身」の形です。

これも日本語教師になって初めて知った言葉ではないでしょうか。
「使役」や「受身」という言葉、英文法では聞くけど…。
中学や高校の現代国語の時間にやった覚えありますか?
私は記憶にありません。
だからかわいそうなことに学習者が日本人の友だちに使役受身について質問しても、
「何それ?」ってことになると思います。

しかしながら学習者にとって、使役受身は、「受身」「使役」とともに初級から中級
へ行くのに越えなければならない大きな山なんですよね。

例えば「母親が子どもに毎日コロッケを食べさせる」
これは使役です。
これを、視点を変えて表現すると
「子どもが母親に毎日コロッケを食べさせられる」となります。(なぜコロッケかは、
私の実体験から)
子どもの立場から見て、食べたくないのに―、毎日コロッケは嫌だ~という気持ちが
含まれます。

Ⅰグループ(五段活用)の動詞だと
「父にタバコを買いに“行かされる”」と
「父にタバコを買いに“行かせられる”」の二つの形があります。
(あはは、今こんな例文使えない。子どもはタバコ買えないし)

学生にとってはこの形からややこしい。なぜなら「話される」「起こされる」は受身形
なのに「書かされる」「立たされる」は使役受身形だから。
しかも主語はたいてい省略されているので、もう誰が何をしたんだかわからなくなって、
「遅く帰って、母に心配させられました」とか「先生に勉強されました」とか変な文を
作ってしまいます。
それで使役受身は、「するのは自分、でも自分の意志ではない」
受身は「するのは相手」。つまり「食べさせられた」は、私が食べた。
「食べられた」は相手が食べた。という点を強調していました。
これ、上級者でもクイズをすると意外に間違えます。

そしてもう一つ注意すべき点は、使役受身文にすると迷惑な気持ちを表すことだと思います。
例えば「学生に本を読ませたり、作文を書かせたりします」は授業活動として当たリ前の
事だと思いますが、それを単純にひっくり返して、「私たちは、先生に本を読まされたり
作文を書かされたりします」って学生に言われたら嫌だ~。
使役受身は本当に嫌なこと、迷惑だと思うことに使ってくださーい。
「アルバイトで掃除させられます」とかもNGです。だって仕事ですから。

さらに今日のタイトル「気づかされた」は、使役受身の形をしているけれども、人に何か
の行為を強制されてすることではなく、外からの影響でそのような感情が起こったことを
アピールする用法です。ここには迷惑だという意味はありません。
たとえば「感動した」→「感動させられた」
「考えた」→「考えさせられた」 「驚いた」→「驚かされた」等。
言ってる内容は同じ、ニュアンスの違いだけです。(正直言って、こんな表現もあるとわ
かるだけで、使いこなせなくてもいいと思っている文法ですが…)

「使役受身」がこんなルールになっているなんて、やっぱり日本語教師になる前は全く知
らなかったから、これも気づかされたことの一つですね。

「使役受身」のことを書いていたら、「学習者にとって本当に必要な日本語は何か」と
考えさせられた。




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