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日本語教師的生活

日本語と日本語教育にまつわるいろいろ。

はなさされる(使役受身その2)

2017-02-04 10:53:40 | 日記
またまた使役受身についてです。

最近遅ればせながら庵功雄先生の「やさしい日本語」を読みまして、いろいろ考えさせられ
ることがありました。
移民受け入れや、外国にルーツを持つ子供たちへの日本語教育の問題もさることながら、
今目の前にいる日本語学習者に対しても、これまでのやり方でいいのかな~などと思ってし
まいます。

文法シラバスにとらわれ過ぎて、あまり必要のないことを、しつこくやり過ぎているのでは
ないかと反省させられるのが、この「使役受身」だからです。

「使役受身」はたいてい、初級後半から中級前半で出てくる文法項目だと思いますが、
実際に使う場面は、限られますし、きちんと理解しないで使うとかなり危険な表現だと思います。
なぜなら、「考えさせられる」「感心させられる」のような自発の用法以外の使役受身は、
迷惑の意味を表します。自分の意志に反して、嫌々やったという気持ちを表したい時に使うんです。
それで相手に対して直接言うことはまずないですし、職場や学校などで相手の耳に入るかも
しれない場面でも使いませんよね。普通は、自分の独り言とか、友達に愚痴る時とかじゃない
でしょうか?
例としては「税関で、私だけ荷物を開けさせられた」とか、
「大学病院で、3時間も待たされたのに、診察は3分だった」等、やり場のない憤りならぴったりです。

しかし、なぜかいろいろなテキストでは、使役受身は単に使役の裏返しのように提示されていて、
「掃除させられました」とか「発表させられました」とか平気で出てきます。
「会議で発表させられました」って、何かの罰なんでしょうか?
もし学生が「アルバイトで店長に毎日掃除させられます」と言ったら、それを聞いた人は、
「そんなひどい店長のいるバイトはやめなさい」とならないのかな?学生は使役受身表現が
持つニュアンスを知らずに使っているのに。
使役を教えたから、同じように使役受身も教えなければならないと考えるのは、あまりにも文法
中心で、言語の使用という面を考えていない気がするんですけど…。

とにかく教えるなら、場面設定は慎重に、また使役受身表現が持つ意味を正確に教えるべきです。

そしてもう一つ、そんなにしつこくやる必要がないと考える理由は、他者の意志で、自分が何かを
行ったという事実は、別の言い方でも表現できるからです。
たとえば、これはちょっと子供っぽいけど
「先生が言ったので、作文を書きました」
受身を使えば
「先生に言われて、作文を書きました」
これを
「先生に作文を書かされました」にすると、とたんに「怖い先生」と言うイメージになってしまい
ます。なので学生には、「本当に嫌だと思う時だけ使役受身を使ってね」と言っています。

さてタイトルに書いた「はなさされる」は「鼻指される」でも「花差される」でもありません。
1グループの動詞「話す」の使役受身形のつもりですが、使いませんよね?

1グループの動詞の使役受身形は、一般的には「ない形」に「される」をつけるので、「書く」なら
「書かされる」、「飲む」なら「飲まされる」になります。
そうすると「話す」も「話さない」→「話さ」+「される」で「話さされる」になるはずなのですが、
そうではなく「話させられる」になります。
これは1グループの動詞で、辞書形の語尾が「す」のものに限って、「ない形」に「せられる」を
つけるというルールです。
「消す」なら「消させられる」、「干す」なら「干させられる」と言う形です。まあ、これは単に
「-さされる」という言い方が、言いにくいからだと思っているんですが、違うでしょうか?

実は1グループの使役受身形には2種類あって、「―される」と「―せられる」です。
なので「書く」も「書かせられる」でもOKなわけです。(自国で勉強してきた学生の中には、
この形で覚えている人もいます。)
これは、使役を表す形に「―す」の使役動詞と「―せる」の動詞の使役形があるからだと思っていま
す。「―す」の使役受身が「―される」で、「―せる」の使役受身が「―せられる」ってわけです。
そんなこと学生には言いませんが。

最後に、自分自身のことで使役受身を使って例文を作ろうと思ったんだけど、
あまり思い浮かばなーい。もちろん「待たされた」とかはあるけど、…うーん。
もしかして、人に何かをやらされるのが嫌いだからかも~ww

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