先日、DVDが届いた嬉しさから、10年以上前に観た映画のレビューを記憶を頼りに書いてしまった。
一昔以上前の記憶なんて、当然緩々になってるし、価値観も変わっていれば、経験値も変わっているのである。それを頼りに書いてしまう事の危うさを、ボン研究所の記憶スケッチアカデミーで、いやというほど知っているはずなのに、つい書いてしまったのだった
僕の、紹介文に刺激されてわざわざこの作品を観て感想をメールで下さった方、惑わしてしまったようでしたらごめんなさい。
今回、連休中にそれを観た。
あらすじもほとんど覚えていなかったし、ディテールもほとんど覚えていなかった。
ともすると、エロにばかり目が行ってしまい、チャタレイ何某の何某、とかエマニュエル何某、とかO嬢の何某、に連なる作品か?と思えてしまう部分もあるのかもしれない。
当時の僕は、積極的に男性を誘う女性に対する経験値も、自然に男性と関係を持てる女性に対しての経験値もずっと低かったので、それが印象的なものとして強烈に印象に焼きついてしまったのかもしれない。
それに、欧州の貴族の館だとか、彼らのパーティーにおけるファッションだとか、ヴィンテージ・カー(前に書いたな)だとか、実際にイタリアやフランス、スペインなんかを訪れてそれらに触れたのは、この映画を最初に見てから数年後だったかもしれない。
今回、観て思ったのは、ファッションと台詞がスタイリッシュ、あるいは、ちょっとしたウィットに富んだものであったということか。
ま、リアルな世界でこんな台詞を吐いたら莫迦野郎そのものなんだろうけど。
先日書いたレビューでも触れたが、主人公のVictorはJ.H.Lartigueのような没落貴族(伯爵)。イヴォンヌとの出会いの時の会話でこんなことを言う;
どんなお仕事をしているの?
何もしていません。
あら、素敵ね
(本当の玉の輿を狙う欧州の女性は無職、の意味するところを解っている)
以前は、『ゆっくり年老いています・・・』、と答えていました。
こんな台詞をリアルで吐かれたら、ちょっと、となるのではないか?
実際には、もう少し後でより具体的な話も出たりする。彼の亡き父が蝶の収集家でもあったので、小銭が欲しくなると、貴重な蝶を売るのだと言う。
面白いものですね。2週間の命しかない蝶を売ることで、
僕が2週間生活するために必要なお金が貰えるのです。
なんて事を言っていた。
レマンを渡る船の甲板で8mm(16mm?)のカメラをまわすVictorと、照れるイヴォンヌ。カメラで撮影されるのは照れるのに、そこで、ご褒美をあげるわ、と徐に下着を脱いで彼にプレゼントする彼女。
私が落ちた時の形見としてこれをあげるわ。
風にひらひらと舞う彼女の白いワンピースが眩しい。
しかし船を降り際に、桟橋でVictorが言う。
逆にしよう。これをここに沈める、僕に残る想い出は君だけだ。
こういう微妙な台詞が飛び交いつつもストーリーは続いていく。
ホテルのベッドルームで裸で抱き合う二人。やがて起き上がった彼女が彼に聞く。
今、何時かしら?
僕は失望したよ。
?
本当に満たされているのだったら、何時?ではなく、何曜日と聞く筈だ。
と、どの台詞も記憶を頼りに書いているので、また微妙に異なっているのだろうが。
色々右往左往した文を書いてきたが、この映画のポイントは、”甘美ななひととき”なるものは刹那的なものだ、ということではないだろうか?
刹那的であるが故に、甘美なのでもあろうし。永続はやがて退屈に堕する。
作中、何度も挿入されるVictorの現在の顔が、暖色系の光を照り返しを受け、そして微笑んでいる。撮影した映画を投射しているのか?あるいは暖炉の傍で、回想しているのか?それが、最後に明らかになるのは、A.タルコフスキーの『ノスタルジア』のラストシーンに少しだけ通じるか?
また、作中重要な役回りのルネが、何度も繰り返す台詞がある。
というもの。これも上記の、”甘美なひと時に永続性はない”に通じると思われるし、これがこの映画のテーマのひとつではないかと思う。
この歳になると、恋をしても、それが永遠のものであると信じられるほど無邪気ではいられなくなる。だからこそ、その一瞬が大切で、ありがたく、そしてより一層シアワセな時だと感じるのだ。
それは、幸せでもあり不幸でもある。
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