goo blog サービス終了のお知らせ 

あなたならどうしますか?

重度障害者としての人生

生還

2004-11-25 16:20:23 | 後期症状
バッシュー、パッシュー、規則正しくリズムをきざむ音。
私は、その音に深い眠りから目をさました。何の音だろう?  ここは何処だ?
ぼんやりと、白い天井を眺めながら遠い記憶をたどっていた。
その時「あ、気がついたね!」主治医が話しかけてきた。
私は「あれ?先生どうしたんですか?」しかし、それは声にはならず金魚のように口をパクパクさせるだけでだった。

間もなくして、一晩中寝ないで待っていた家内が、主治医に呼ばれて入ってきた。
心配そうに私の顔を覗き込みながら、「お父さん、大丈夫? 昨日は大変だったのよ」
昨日??
私が不思議そうな顔をすると、「覚えてないの? 手術室から帰ってから間もなくして、息が苦しい、苦しいって騒ぎ出したんだけど、口をパクパクするだけで言っている事が分からなくて大変だったのよ!」

そこまで聞いたとき、私は悪夢のような出来事の全てを思い出していた。
あの時、医師や看護師がかけつけ、私のの名前を呼びかける声を遠くに聞きながら、余りの苦しさに意識を失ったのだ。
気管切開手術の直後、呼吸筋麻痺で呼吸困難に陥ったのだ。主治医の指示に従わなかった罰だと思った。
主治医が徹夜で人工呼吸器の調整に当たられていたことを、後で妻から知らされた。
空気がうまい! 生きているんだと実感した瞬間だった。

決断

2004-11-21 11:17:20 | 後期症状
年が明けて、平成8年1月、私は家内との話し合いを幾度も重ね、一つの結論を出した。
それは、叶内さんとの運命的な出会いがあってから、不思議に気持ちが楽になり、家内とも前向きに話し合えるようになっていた。

2月に入って間もなく、息苦しさを覚え人工呼吸器を着ける覚悟で入院したが、主治医から「もう少し様子を見ましょう」と言われて退院したが、実は血液中の酸素濃度が下がり始めていた。

しかし、その時は何故か内心ホっとした。
気管切開で声を失うのが恐かったのである。
4月末には、血液中の酸素濃度がだいぶ低下していた為か、幻覚を見るようになり、夢と現実の境さえおぼつかない状態に陥っていた。
主治医も家族も早く入院をするように促されていたが、いざ、手術を受けるとなると決心が鈍り、一日のばしにしていた。

5月18日の朝、叶内さんの奥様から電話を頂き、今日天童で、日本ALS協会山形県支部の第2回総会があるので是非出席してみませんか、と誘いを受けた。
体調が悪いから、と言うと、大丈夫よ!会場には、専門医や看護婦さんが待機しているので心配しないで、と言われ、家内に付き添われ車椅子で出かけた。

会場では、事務局の皆さんをはじめ、大勢のボランテアの皆さんが、初対面の私達を暖かく迎えてくれた。会場に案内された私達は、百数拾名以上の会員に迎えられた。
その瞬間、私達ALS患者が、こんなに多くの人達に支援されているんだ、と知ったとき、胸に熱いものがこみ上げて来るのを感じ涙が止どもなく溢れ出た。

そして、自分一人ではない、と勇気付けられた私は、手術を受ける決心をし、3日後の5月21日入院した。
手術は私の希望で、5月28日に決った。
理由は、その日東京に住む姉が面会に来る事になっており、声を失う前に最後の会話がしたかったからである。
手術の2,3日前から酸欠状態になり、夜中に看護師に揺り起こされて酸素吸入される事が度々だったが、なんとか姉との面会を済ませ、思い残す事無く手術室へ運ばれていった。


運命の出会い

2004-11-18 09:58:35 | 後期症状
家内からは、人工呼吸器を着けている患者さんに会って見ないか、と勧められていたが、私は拒否続けていた。
12月のある日、外来診察の帰りに待合室の前を通りかかった時、ALS協会山形県支部の事務局の人達と出会った。
あぁ、草苅さん丁度良かった、と家内と話始めた。
今、検査入院されているALSの患者さんで、叶内さんと言う方がいらっしゃいます。
お会いになって見ませんか?
その言葉に、妻は私の意向も聞かずに「はい」と言って車椅子を前に進めた。

病室に案内され叶内さんと奥様を紹介された。
人工呼吸器を着けた叶内さんは、ベッドの上から、笑顔で私達を迎えてくれた。
とても穏やかな笑顔から、自分と同じ病気とは思えない明るさに、驚きを隠せなかった。

叶内さんは奥様との見事な連携プレーで文字盤を操り話し始めた。
<文字盤とは透明なアクリル盤に、50音がひらがなで書かれているもの>
「ようこそ、おいでくださいました。」
とてもスムースな会話に私の気持ちが和らいだ。
私は、これまでの経緯や色々な事情を考え、人工呼吸器を着けないつもりでいることなど、今の思いを全て打ち明けた。
私の話に涙を流されながら、「つらいでしょう、わたしも、ずいぶんなやみました。これが、いまのALSかんじゃのげんじょうなのです。」
叶内さんの思いが、文字盤を通して奥様の口から語られた時、これまで、ずっとこらえていた気持ちの張りが、一瞬の内に解き放たれた様に、涙が溢れ出してきた。
そして「ぜんたいの、7わりのかんじゃさんが、あなたとおなじような、りゆうで、しを、えらんでいます。」
「とても、かなしいことです。」

叶内さんは、ALSについて何も分からなかった私に、その現状を説明された上で、是非、出来ることなら人工呼吸器を着けて生きる道を選んで欲しい。
そして、ALSの撲滅と、後に続く患者さんの為にも、生きられる環境つくりを手伝って欲しい、と言われたとき私は、愕然としてしまった。
何という方なんだろう。
私は、ALSの為に死のうとしているのに、この方はALSの為に生きて欲しいと言う。
余りにも、私との考え方の違いに、心の大きさと考えの深さを感じ、私の心は揺らいだ。