告知後の私達の間は惨々たるものだった。
毎日、毎晩今後についての話合いを繰り返した。
私と家内の意見は真っ向から対立し、人工呼吸器を着けて生きて欲しい、と懇願する妻に、着けないと言う私との話し合いは何日にも及び、泣き明かす夜も幾度もあった。
この間にも家内は、私に内緒でALSに関する情報を得る為、設立してまもないALS協会山形県支部を訪ねていた。
また、外来診察室では主治医から「人工呼吸器を着けるか否かを、ご家族で相談して早めに意思表示をして下さい」と促されていた。
私としては人工呼吸器を着ける事で、経済的、精神的にもこれ以上の負担を家族に負わせたくなかったのである。
<私にはこの時点で人工呼吸器装着=植物人間程度の知識しか無かった>
その為に、私はALS患者でも受け入れてくれるホスピスが何処かに無いものか、と不自由になった指で、全国電話帳を見ながら電話をかけ続けていた。
しかし、残念ながらALS患者を受け入れてくれる施設を、探せないまま時だけが過ぎていった。
家内は、ALS事務局から情報を得ると、私を説得する日々が続いた。
それでも、人工呼吸器は着けない、と言い張る私に家内は、泣きながら叫んだ。
「せっかく生きられる道があるのに!」
「死んでいくあなたはいいけど、残された私達はどうなるのよ!」
毎日、毎晩今後についての話合いを繰り返した。
私と家内の意見は真っ向から対立し、人工呼吸器を着けて生きて欲しい、と懇願する妻に、着けないと言う私との話し合いは何日にも及び、泣き明かす夜も幾度もあった。
この間にも家内は、私に内緒でALSに関する情報を得る為、設立してまもないALS協会山形県支部を訪ねていた。
また、外来診察室では主治医から「人工呼吸器を着けるか否かを、ご家族で相談して早めに意思表示をして下さい」と促されていた。
私としては人工呼吸器を着ける事で、経済的、精神的にもこれ以上の負担を家族に負わせたくなかったのである。
<私にはこの時点で人工呼吸器装着=植物人間程度の知識しか無かった>
その為に、私はALS患者でも受け入れてくれるホスピスが何処かに無いものか、と不自由になった指で、全国電話帳を見ながら電話をかけ続けていた。
しかし、残念ながらALS患者を受け入れてくれる施設を、探せないまま時だけが過ぎていった。
家内は、ALS事務局から情報を得ると、私を説得する日々が続いた。
それでも、人工呼吸器は着けない、と言い張る私に家内は、泣きながら叫んだ。
「せっかく生きられる道があるのに!」
「死んでいくあなたはいいけど、残された私達はどうなるのよ!」