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教育と臨床心理のおもちゃ箱

歳を重ねるとは経験知が増える。知が統合し、また新たな知恵となる。教育と臨床心理を軸に思いを伝えたい。

いじめの問題について

2017年06月06日 | 学級づくり
 いじめを理由とした哀しい報道が続いています。
 中学生と長く関わってきた教員として、身につまされることばかりです。
 ここしばらく、投稿する余裕がなかったにもかかわらず、多くの方に見ていただいていることを申し訳なく思いながら、いじめ問題について思うことを述べてみます。

 私が学級担任をしていたクラスにも、いじめの問題は必ずありました。
 年度が替わっても、必ずといっていいほど次々と出てきました。
 いじめが問題化しなかったクラスはなかったのです。
 最後の学級担任から20年ほど経つので、時代が違うと言われれば何も返せないのですが、それを承知で書いています。

 いじめは、いつも身近にあった。
 生徒たちの目の前にある日常生活の言動の中で、〝されたら(言われたら)いやだ”と、自分のこととして感じること。つまり「いじめに気づく」感性が、生徒たちにも教師にも必要であり、それは、思いを共有する中で高められていく。
 嫌だと感じた者が、(それは自分自身の問題であっても、自分以外の人の問題であっても)そのことをクラスの中で出して、みんなの問題として考えていける関係性をつくり上げていく。
 ゛つくり上げていく”とあえていうのは、意図的に、時間をかけて、丹念に積み上げていかねばできない営みだからである。
 私は、その日々の積み重ねこそが「学級づくり」だととらえている。

 「学級づくり」についてはまた機会を改めて詳しく述べたいと思うが、その中で、忘れてはならないこと

 いじめられた側(つまり被害者)に、いじめという加害行為に対抗する方法があることを学ばせることである。
(私の考えが正しいかどうかは別にして、ここの論議があまりなされていないと感じる。だから、解決の方向に向かいきれないのでは?)

 今の日本は、民主的で平和を希求する法治国家である。そう信じている。
 その社会の中において、正義を守るのは法である。
 日本の法律は、被害者をどう守り、加害者に対して何ができるのか?
 「三権分立」や「法の下に平等」など、テストのための言葉(?)を学ぶことももちろん必要だが、いじめという行為に対して、一人の人権を守る法は何なのか。暴行、傷害、名誉棄損、恐喝……。学校の内外で、゛いじめ”ということばであいまいにされている加害行為に対して、どう立ち向かえばいいのか。「正義が勝つ」のは、水戸黄門や戦隊もののドラマの世界だけという考えで終わらせてはならないのではないか。
 その辺りの法に詳しい警察官や弁護士などの力を借りて、そのような加害行為を受けた時に、最終的にどのような手段を講じられるのかを学ぶ場を設けてはいかがかと私は考える。その術を知っていれば、いじめを一人で抱え込んで……という悲劇は避けられるのではないだろうか。

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