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近郊の風景や花の写真を掲載又若い頃よりアマチャ無線を
趣味として人の輪をひろげている

諫早・眼鏡橋と書院

2015-05-22 | 建造物風景

1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人
以上の犠牲者が出た。眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、
眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大した
との指摘がなされた。水害後の復興策では川幅拡張工事に
合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街の
シンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで
1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定された。
このため、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が
行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが
参考資料として作った1/5モデルが埼玉県所沢市のユネスコ村に移された。
この「ミニ眼鏡橋」は目の前の高城公園に移設された。(ネットより引用)

 




御書院は、諫早家初代・龍造寺家晴公がかつてこの地に構えた、
壮大な屋敷にあった建物の一つ。建物はもう残っていないが、
約6700㎡もの広大な庭園が現代まで受け継がれてきた。
江戸末期のものと
想定される、池を中心とした回遊庭園には、太鼓橋や月見灯籠、
大きなクスノキなどがあり、趣ある往時の姿をしのばせる。
そんな御書院を含む約1.3kmの緑の散策路・高城回廊もまた、
木製のチップが敷かれた道はふかふかと心地よく、
小川のせせらぎや鳥のさえずり、緑のさざめきに包まれながら、
のんびり散歩をする人々の姿がほほえましい。(市の広報より)










山には大きなグミの木があるが、それを挿し木から育てた鉢植にグミが生りました。


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遠藤周作文学館

2015-05-18 | 建造物風景
帰路遠藤周作記念館に立ち寄る、



駐車場から眺めた、池島炭鉱(廃坑)天気が悪く残念

池島炭鉱(いけしまたんこう)は、西彼杵半島の西沖合約7kmにある周囲約4kmの池島
(長崎県長崎市、旧外海町)周辺の海底に広がる炭鉱で、九州最後の炭坑の島であった。
現在は廃坑となり、見学が出来るようです、先般NHKのブラタモリで、
タモリが削岩機を使用する場面が放送されていた。
聞くところによると、何十億の機械設備が海底に沈んでいるとの事である。

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旅・長崎の4

2015-05-13 | 建造物風景
今日も天候が悪いが、近くの教会めぐり。

ネットの記述を参照・出津教会(しつ教会)


沿 革
 明治15年(1882)ド・ロ神父により聖堂が建設され、明治24年(1891)祭壇部を増築し、
 更に明治42年(1909)に玄関郡を増築した。
 昭和47年(1972)2月24日長崎県により、文化財として指定された。 平成9年11月7日、
2年の歳月をかけた改築工事は完了し建堂式を迎えた。建て替えるより費用も歳月もかかったそうです。
  文化財としての雰囲気をただよわせている。
 外海地方は、徳川幕府の禁教令が出された昔からキリシタンが多く、地域内に未だに隠れキリシタンが多数存在する。

特 色
 過疎の波は出津の村々にも容赦なく襲いかかり、明治23年当時1,
760 名を数えた信徒数も逐次減少し、1980年代には850名までになった。
歴史ある小教区の危機を感じたが、現在は、小教区全体を含めて800名の信徒数で、
当教会の守備範囲に限定すると減少の一途に歯止めが掛かったようである。

















カトリック黒崎教会
ネットの記述を参照

沿 革
 大正9年(1920)12月19日ヨハネ・コンパス司教により祝別・献堂された。
文化財にとの呼び声も高い。
特 色
 当時の信徒たちが奉仕と犠牲の結晶を一つひとつ積み上げたレンガ造りの聖堂。
内部はゴシック調で重厚な神の家としての風格に満ちている。
県内外のカトリック信者の発祥の地として有名ではあるが、小教区内には未だに数多くの
隠れキリシタンが所在する。付属する鐘楼は、その隠れキリシタンの帰依を願って
故渋谷神父さまから寄贈された。

遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった教会。 マリア様の像が優しく迎えてくれる。










ネットの記述を参照・木鉢カトリック教会

沿 革
 明治43年(1910)から網場の脇に巡回教会があり、木鉢地区の信徒の拠り所となっていたが、
昭和13年(1938)6月12日、神ノ島の巡回教会として現在地に移転設立され、
昭和37年(1962)4月10日独立して木鉢小教区となった。昭和56年(1981)5月31日
新聖堂が建立され、白亜の近代的な建物が丘の上に聳えている。

特 色
 昭和13年神の島の巡回教会として現在地に移転建立され、昭和37年木鉢小教区となった。
 
コンピューターオルガンの音色は、パイプオルガンをも凌駕すると評判。



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旅・長崎の3

2015-05-12 | 建造物風景
天気は悪かったが、近くの教会めぐりをした。

佐賀藩の神ノ島には、江戸前期からキリシタンが潜伏し、江戸後期には、
砲台築造の人夫として外海からきたキリシタンらが移り住んでいたという。
1876(明治9)年には仮聖堂が建って多くの潜伏キリシタンがカトリックになった。
1897(明治30)年にデュラン神父が私財を投じ現教会堂を建てた。

所在地 850-0078 長崎県長崎市神ノ島町2‐148
教会データ 建物 煉瓦造平屋290㎡,竣工 明治30(1897)年 (ネットの資料による)















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旅・長崎の2

2015-05-11 | 建造物風景
旧香港上海銀行長崎支店・長崎近代交流・梅屋庄吉ミュージアム。を見学
梅屋庄吉、夫妻が孫文とその妻、宋慶齢(そうけいれい)を支えた、歴史的な内容が展示されている。






長崎の街並み







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旅。長崎へ

2015-05-10 | 建造物風景
連休に長崎に行き、三菱重工資料館を見学した。内部は撮影禁止になっいる











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5月の庭の花

2015-05-02 | 植物・鉢植えの花














家内が熱心に育てていた花を見ることなく、他界した、仏壇に備えてあげたい。













過去の別 Blogの一部を集約して掲載しました。












































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