J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

サンドウィッチの日だそうだ。

2005年03月13日 | Weblog
ああ、私何をやってるんだろう、何をやっちゃったんだろう。。。。
自分でしているくせに、自分のしていることを見て、そう思うことがある。
それどころか、過去の自分など、なんなんだ、こいつは、と腹立たしくさえなることがある。
いや、瞬間瞬間、そんな思いを抱くことだってある。

3月13日はサンドウィッチの日と聞いて、多分、さんで挟まれてるからだろう、と思ったら、案の定、そんなことらしい。
11月3日も、サンドウィッチの日。いいサンドな上、サンドウィッチ公爵の誕生日らしい。
なんという日に生まれてしまったのだろう。サンドウィッチ公爵よ。

何かをはさむ、というのは結構魅惑的だ。
サンドウィッチ公爵より以前に、サンドウィッチがなかっただなんて、にわかには信じがたい。
パンだけでなく、我々は、様々なものに、何かを挟む。
スポンジ生地にクリームをはさむし、サンチュに焼肉をはさむ。
鮭の間に昆布を、ナスの間にひき肉を、クッキーの間にジャムを、かまぼこの間にわさびを、
そして時として、はさんで口に入れる、をどこをどう間違ったか、口を挟んでしまうことがある。
挟み間違って、挟んだつもりが今度は挟まれ板ばさみ、と。

食べ物は挟んで新たに美味しいのに、人体に関しては、何故、痛々しいのだろう。

いや、今日はそれが不思議なんじゃない、
なんで、引き戸を閉めるにあたって自分の小指を自分で挟むのか、という、
私を挟んだ犯人へのもって行き場のない悲哀と、
感知してもらえず、開けてもらえないときがそこそこある自動ドアで、
どうして私だけを、挟んだり小突いたりしてくるのか、という自分の存在意義への疑問と、
(気長に自動ではないドアの前で待っているオマヌケを演じるときもある。
 大体、ドアが自動である必要がどれほどあるのか)
扉、ドア、戸、玄関、境といった隔てるものへの扱いの難しさ。

どこでもドアができたって、私はきっと使わないだろう。



曜日占いのドアを開けてみた。
私は日曜生まれであることは知っていたのだが、「日曜生まれの宇宙人・・・」って。。。




*写真はヒメオドリコソウ。しそ科。

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11 コメント

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木曜生まれの異次元人です (ナシノ)
2005-03-13 21:34:22
あぁ、痛そう・・・精神的ショックも大きいですよね。

私もよくやります。

でも私の母より大分マシです。母は、窓に左手の薬指を挟んで骨折した事があります。

・・・どうやったら、薬指を挟むのか・・・
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異次元人さん、 (本人)
2005-03-13 21:50:16
さすが、母は異次元人を産むだけありますね!

ああ、ナシノさんの母上には、到底かなわない。。。。いくら、宇宙人でも。。。
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確かに (albero4)
2005-03-14 00:48:30
ドアがなぜ自動である必要があるのか。

確かに。

日本ほどあんなに自動ドアが普及している国って

他にあるのでしょうか??

イタリアは電車の扉だって手動ですよ!

(盲人には扱いが大変らしいですけど)
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ドアの自動化 (本人)
2005-03-14 10:49:25
よく見渡すと、あらゆるところにありますね。タクシーもそうだし、CDの蓋も自動、トイレの便座の蓋も自動なのがあるし、自動改札のドア、ドアじゃないけど、手洗いの水が自動的に出るとか。

ううむ。。。これは、サービスなのだろうか。

手書きが喜ばれる逆転現象が始まってるから、手で開けるサービスも始まるかもしれない。人が、手間を惜しむことと、便利とは、少し、何かが違うんだろうな。

albero4さん、ありがと!
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不思議なドア (guonb)
2005-03-14 20:53:43
日本だからじゃないかな?と思う。

自動ドアが好きなの。



逆説的なんだけど、

日本人は戸を閉めることに

特別にこだわりがあるような感じがします。

『他人を受け入れない意志』の表現として



天の岩戸事件に始まって、

物理的には何の戸締りにもならない屏風

泥棒除けにならない低い生垣

垣根に興ざめした古典のはなし



日本人は戸を閉めるのを

感覚的に無作法と嫌うのではないか?



なんて…guonbの勝手な学説です。

誰もそんなこと言ってません。
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訂正 (guonb)
2005-03-14 20:55:23
日本人は戸を閉めるのを

⇒日本人は人間が戸を閉めるのを



という意味です。
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うん、おもしろいですね (本人)
2005-03-14 22:00:03
こういう思考遊びは面白くていいと思う。

日本は、光をとても大切にする文化じゃないかなって思ってます。微かな、幽かな、、、

光と影。陰影、明るみと、暗闇、

開け放つことのできる家屋、風も、光も闇も濃淡の美。気配を感じる文化。

シャットダウンとオープンの間のグレーゾーン。

光り輝く存在と、闇を跋扈する存在の間に人はいる。どちらに対しても、微かに気配を感じながら生きる。

自動ドアに殴られたりはじかれたり気づいてもらえない私は、グレーなのかも。。。あっ!!やっぱり、宇宙人なのか。。。。
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しなやかです (guonb)
2005-03-15 00:59:53
能面の表情とかですよね。

芸妓のおしろいは蛍光灯でみるとヘンですが

夜の灯で美しい濃淡をつくるものとTVで知り、なるほどぉです



光だけでなくて

風のわたる音や、虫の音、せせらぎ

それから衣に焚きこめた香りや隣の焼き魚の匂いも

シャットダウンしないで

日本人はその微妙を楽しんできましたし。



あ、tentenさんは宇宙人です。まっクロクロの。

(ずうずうしく復活コメントでした!)
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精霊人のつぶやき (なりっと)
2005-03-15 02:32:47
日本建築は空間を大切にするって、聞いたことがあります。(例によって出典不明)

そのせいで、

間仕切りをする、あるいはしないことに、物理的に密閉する、しない以外の意味を持たせるのかもしれませんね。



昔、電車のドアに縦半分に挟まれたことがあります。それも、デート中!
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guonbさん (本人)
2005-03-15 10:12:10
おお、どんどん面白くなってきますね。

忍者も闇があるから存在したのでしょう。伊賀、甲賀の里には、遺伝的に夜目のきく人が住んでいたのかもしれません。城の一見豪奢な内装も、ほの暗い当時の明るさで見ると、美しい。

香りも音も、微かに妙なる。。。。微妙に感じながら生きる。奥ゆかしさにも畏怖にも通じる感覚ですね。

全てを取り入れ、全てを受け入れ、生きてきたのでしょうね。懐が深いぞ、日本人。

なのに、私は宇宙人って、仲間はずれ?

ア、日本人の宇宙人か。古代を見れば、宇宙人が日本人かもしれないし。
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