J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

水の惑星で

2005年02月26日 | 人にぞっこん
「海にベテランはいない」

この言葉から、何を想像するだろうか。
日本人初の、家族での太平洋、大西洋横断を行った。
その後も、多くの子供たちに海を通じて体験学習の場を与えてきている。
生まれた時から海は身近だった。
幼い頃、船乗りの勉強をする学生さんたちに、船に乗せてもらっていた。
人生が、海と共にある内海勝利さんの言葉。

だからこその、言葉。

昨日と同じ日は、自然界にはやってこない。
自分にもやってこない。
風が、雲が、海流が、波が、行き交う船や、魚の動きが、星の位置が、全て、全て、
いつも違う。

毎日新しい海。そこにある自分の生活も、毎日が新しい。
初めて出会う海、初めて過ごす今日の自分。

優しい笑顔と物腰の内海さんから出たこの言葉に、
他の話は私の中で、吹っ飛んで行きそうだった。

内海勝利さんのいる清水港は、マグロで有名なだけではない。
楽器の輸出も日本一ならオートバイ、乾シイタケ、みかん、ツナ缶、プラモデルも、
ここから海外へ。
そして、モルトウイスキーや紅茶、チューリップの球根、サッカーボールなど、ここから輸入。
清水港は、国際港。外国船がやってくる。
24時間フルサポートで、世界の主要な40港を結んでいる。

ここへ、昨年末、アメリカから単独ヨットで入港しようという男性がいた。
報道陣が駆けつけた。
アメリカ、サンディエゴから、全財産をヨットに替えてやってきた男性は、80歳の畑下栄さん。
7ヶ月以上の一人旅、後わずかで清水港というところで、漁船にぶつかった。
海の仲間に情報がさざ波の如く巡ってゆく。
清水には、内海さんがいる。声は届き、内海さんの支援が始まった。
12月21日午後11時、清水港に、長旅の末、単独太平洋横断を果たした男が到着した。
そのヨットの名は、妻の旧姓から取った「MIYA」号、
そして、単独のヨットには、妻の遺骨が同乗していた。

覚悟と思いで海を越えた畑下さんの、ラブストーリー。

既にアメリカに葬られている妻の遺言「故郷の父の元で眠りたい」に応え、
海の男だった漁船員時代、妻と出会い、過ごしたあの時期のように、
今また、願いをかなえるために海に乗り出してきたのだ。

「冬ソナよりもセカチューよりも、ずっとラブストーリー」
畑下さんと1ヵ月半ほどの時間を過ごした内海さんは、目を輝かせて言う。

大事なことをイッパイ教わった、という内海さん。

いま、MIYA 号も、そして畑下さんも、夫婦出会いの地であり、漁船員時代を過ごした
神奈川県三崎で、調子を整えている。当地でまたボランティアが、畑下さんを見守っている。
長野県の妻の実家の墓へ遺骨を納めたら、また、単独ヨットでアメリカへ帰るつもりらしい。

いったい人の一生の時間というのは、本当に同じように流れているのだろうか。

島国日本、海洋国日本で、私は何も知らない。まるで何も知らない。海のことだけではなく。

今日、靜岡には強風波浪注意報が出ていた。船舶にも注意を促した私であるのに。

春休み、なんの海の経験も無い子供たちも受け入れる靜岡海洋スクール
春休み海洋スクールが、3月22日から25日の3泊4日で開催される。
小学4年から3まで、一緒に研修が行われる。
体験型学習活動。
逞しく、頼もしく、いきいきと子供たちは過ごすのだろう。

私達のあの頃のように。

大人となった今、しっかりと風に向かって大きく帆を張ろう。
日々、毎日が、体験学習。
「海のベテランはいない」
人生にも、ベテランはいないのだから。




◎今給黎教子さんのサイトの掲示板で、畑下さんの様子がわかります。
◎それを教えてくれたのは、気まマ日記さんのTBでした。
 彼女は、畑下さんに会いに出かけたようです。
◎内海さんは、清水港に遊びにおいでとラジオで語りかけてくれました。
 海のエネルギーを浴びにおいで、と。ヨットハーバーで会えます。

人は、それぞれえ影響しあって生きているのですね。皆さんに感謝。

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>人生にも、ベテランはいないのだから。 (guonb)
2005-02-26 01:30:14
もう何も申し上げることは御座いません。

座右の銘に…
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guonbさんたら (本人)
2005-02-26 01:45:00
驕り高ぶりは、知らず知らずやってくるんでしょうね。そして、ある日遭難する、難破する。。。これだけ何日も何日も生きてるはずなのに、一向に腕が上がりませんです。。。

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展望台 (guonb)
2005-02-26 01:50:59
よく見たら、この写真は展望台から?中学の頃満点を取ると、当時木製だった展望台の隙間に隠して帰ったものです。いつのまにかコンクリートに・・・
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ご名答でございます (本人)
2005-02-26 01:57:00
日本平の山頂展望台ダイ。あ、満点が化石になってたよ。
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80歳の快挙! (菜葉木策)
2005-02-26 03:23:15
 こんばんは。

「海のベテランはいない」

人生にも、ベテランはいない…けだし名言。

 すごいですねえ、

80歳にして、このチャレンジ精神。

そしてまた帰りも船で!

まだまだ私もチャレンジし続けるぞー♪

 確かに人の一生の時間というのは、皆が同じように流れていないと私は思います。

チャレンジする人としない人でも

全然違いますね。

私は、チャレンジする側でいたいです。



いつも心は「ヒヨコちゃん」♪
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菜葉さん、 (本人)
2005-02-26 12:02:24
長い航海、どういう時間を過ごしてきたのかと思います。狭い船の中で、筋力体力もどうやって保つのか。80歳で、経験も無いヨットを操りあの得体の知れぬどでかい海に、単独乗り出してゆく強靭な精神力、とても私には、できそうに無いと思います。今だって、躊躇するよ。

でも、自分のできること、やりたいことで漕ぎ出してきた今までの道を、自分なりに認めてやることにします。次にまた、何かをするためにも。

さてさて。。。
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こんにちは (気ままママ)
2005-02-26 13:50:08
こんにちは。

はい、昨日、畑下さんに会ってきました。

わたしが元気をもらって帰ってきた感じです。

一見普通のおじいさんですが(失礼!)、

頭も心もとてもしっかりされています。



内海さんと会われたんですね。

私はお会いしたことはないですが

畑下さんのことで知って以来、

内海さん夫妻のファンです。

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こんにちは (プチネコ)
2005-02-26 16:31:08
内海さんの「海にベテランはいない」の言葉に、今、私の背筋がシャキッと伸びました。

現在の緊張感のない私が恥ずかしい。



畑下さんのラブストーリー。

人を愛する人生の素晴らしさ。

話の筋は違いますが、先日観た映画「きみに読む物語」を思い出しました。





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気まマさん、 (tenten)
2005-02-26 19:25:57
親切にされてぼけたり歩けなくなる老人の話を良く聞きます。便利な生活になって、体力の衰えた私たちを知っています。挑戦する機会を奪われて、気力の無いこどもたちを見ています。マイナスとも思える力が働いて、人はプラスを身につけるのでしょうか。

内海さんも、畑下サンは、とてもしっかりした方だとお話ししてくれました。周囲はできることをやればいいのだ、といっていました。対等の人間関係。お互いを尊重し合い、尊敬しあう中から、関わりが築かれてゆくのでしょうね。

気マさん、すごい。向上心も行動力もあるなあ。

また、様子を知らせてくださいね。
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プチネコさん、 (tenten)
2005-02-26 19:29:04
人の、慈しみ愛おしむ心というのは、すごいエネルギーでパワーを生み出しますね。緊張感、そう、その通りですね。自分の能力を生かして、自分を活かして生きてゆく道を、ちゃんと生きているかということなのでしょうか。

「きみ読む」はどうでした?母が観ようかどうか、悩んでいるようです。
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