「海にベテランはいない」
この言葉から、何を想像するだろうか。
日本人初の、家族での太平洋、大西洋横断を行った。
その後も、多くの子供たちに海を通じて体験学習の場を与えてきている。
生まれた時から海は身近だった。
幼い頃、船乗りの勉強をする学生さんたちに、船に乗せてもらっていた。
人生が、海と共にある内海勝利さんの言葉。
だからこその、言葉。
昨日と同じ日は、自然界にはやってこない。
自分にもやってこない。
風が、雲が、海流が、波が、行き交う船や、魚の動きが、星の位置が、全て、全て、
いつも違う。
毎日新しい海。そこにある自分の生活も、毎日が新しい。
初めて出会う海、初めて過ごす今日の自分。
優しい笑顔と物腰の内海さんから出たこの言葉に、
他の話は私の中で、吹っ飛んで行きそうだった。
内海勝利さんのいる清水港は、マグロで有名なだけではない。
楽器の輸出も日本一ならオートバイ、乾シイタケ、みかん、ツナ缶、プラモデルも、
ここから海外へ。
そして、モルトウイスキーや紅茶、チューリップの球根、サッカーボールなど、ここから輸入。
清水港は、国際港。外国船がやってくる。
24時間フルサポートで、世界の主要な40港を結んでいる。
ここへ、昨年末、アメリカから単独ヨットで入港しようという男性がいた。
報道陣が駆けつけた。
アメリカ、サンディエゴから、全財産をヨットに替えてやってきた男性は、80歳の畑下栄さん。
7ヶ月以上の一人旅、後わずかで清水港というところで、漁船にぶつかった。
海の仲間に情報がさざ波の如く巡ってゆく。
清水には、内海さんがいる。声は届き、内海さんの支援が始まった。
12月21日午後11時、清水港に、長旅の末、単独太平洋横断を果たした男が到着した。
そのヨットの名は、妻の旧姓から取った「MIYA」号、
そして、単独のヨットには、妻の遺骨が同乗していた。
覚悟と思いで海を越えた畑下さんの、ラブストーリー。
既にアメリカに葬られている妻の遺言「故郷の父の元で眠りたい」に応え、
海の男だった漁船員時代、妻と出会い、過ごしたあの時期のように、
今また、願いをかなえるために海に乗り出してきたのだ。
「冬ソナよりもセカチューよりも、ずっとラブストーリー」
畑下さんと1ヵ月半ほどの時間を過ごした内海さんは、目を輝かせて言う。
大事なことをイッパイ教わった、という内海さん。
いま、MIYA 号も、そして畑下さんも、夫婦出会いの地であり、漁船員時代を過ごした
神奈川県三崎で、調子を整えている。当地でまたボランティアが、畑下さんを見守っている。
長野県の妻の実家の墓へ遺骨を納めたら、また、単独ヨットでアメリカへ帰るつもりらしい。
いったい人の一生の時間というのは、本当に同じように流れているのだろうか。
島国日本、海洋国日本で、私は何も知らない。まるで何も知らない。海のことだけではなく。
今日、靜岡には強風波浪注意報が出ていた。船舶にも注意を促した私であるのに。
春休み、なんの海の経験も無い子供たちも受け入れる靜岡海洋スクールの
春休み海洋スクールが、3月22日から25日の3泊4日で開催される。
小学4年から3まで、一緒に研修が行われる。
体験型学習活動。
逞しく、頼もしく、いきいきと子供たちは過ごすのだろう。
私達のあの頃のように。
大人となった今、しっかりと風に向かって大きく帆を張ろう。
日々、毎日が、体験学習。
「海のベテランはいない」
人生にも、ベテランはいないのだから。
◎今給黎教子さんのサイトの掲示板で、畑下さんの様子がわかります。
◎それを教えてくれたのは、気まマ日記さんのTBでした。
彼女は、畑下さんに会いに出かけたようです。
◎内海さんは、清水港に遊びにおいでとラジオで語りかけてくれました。
海のエネルギーを浴びにおいで、と。ヨットハーバーで会えます。
人は、それぞれえ影響しあって生きているのですね。皆さんに感謝。
この言葉から、何を想像するだろうか。
日本人初の、家族での太平洋、大西洋横断を行った。
その後も、多くの子供たちに海を通じて体験学習の場を与えてきている。
生まれた時から海は身近だった。
幼い頃、船乗りの勉強をする学生さんたちに、船に乗せてもらっていた。
人生が、海と共にある内海勝利さんの言葉。
だからこその、言葉。
昨日と同じ日は、自然界にはやってこない。
自分にもやってこない。
風が、雲が、海流が、波が、行き交う船や、魚の動きが、星の位置が、全て、全て、
いつも違う。
毎日新しい海。そこにある自分の生活も、毎日が新しい。
初めて出会う海、初めて過ごす今日の自分。
優しい笑顔と物腰の内海さんから出たこの言葉に、
他の話は私の中で、吹っ飛んで行きそうだった。
内海勝利さんのいる清水港は、マグロで有名なだけではない。
楽器の輸出も日本一ならオートバイ、乾シイタケ、みかん、ツナ缶、プラモデルも、
ここから海外へ。
そして、モルトウイスキーや紅茶、チューリップの球根、サッカーボールなど、ここから輸入。
清水港は、国際港。外国船がやってくる。
24時間フルサポートで、世界の主要な40港を結んでいる。
ここへ、昨年末、アメリカから単独ヨットで入港しようという男性がいた。
報道陣が駆けつけた。
アメリカ、サンディエゴから、全財産をヨットに替えてやってきた男性は、80歳の畑下栄さん。
7ヶ月以上の一人旅、後わずかで清水港というところで、漁船にぶつかった。
海の仲間に情報がさざ波の如く巡ってゆく。
清水には、内海さんがいる。声は届き、内海さんの支援が始まった。
12月21日午後11時、清水港に、長旅の末、単独太平洋横断を果たした男が到着した。
そのヨットの名は、妻の旧姓から取った「MIYA」号、
そして、単独のヨットには、妻の遺骨が同乗していた。
覚悟と思いで海を越えた畑下さんの、ラブストーリー。
既にアメリカに葬られている妻の遺言「故郷の父の元で眠りたい」に応え、
海の男だった漁船員時代、妻と出会い、過ごしたあの時期のように、
今また、願いをかなえるために海に乗り出してきたのだ。
「冬ソナよりもセカチューよりも、ずっとラブストーリー」
畑下さんと1ヵ月半ほどの時間を過ごした内海さんは、目を輝かせて言う。
大事なことをイッパイ教わった、という内海さん。
いま、MIYA 号も、そして畑下さんも、夫婦出会いの地であり、漁船員時代を過ごした
神奈川県三崎で、調子を整えている。当地でまたボランティアが、畑下さんを見守っている。
長野県の妻の実家の墓へ遺骨を納めたら、また、単独ヨットでアメリカへ帰るつもりらしい。
いったい人の一生の時間というのは、本当に同じように流れているのだろうか。
島国日本、海洋国日本で、私は何も知らない。まるで何も知らない。海のことだけではなく。
今日、靜岡には強風波浪注意報が出ていた。船舶にも注意を促した私であるのに。
春休み、なんの海の経験も無い子供たちも受け入れる靜岡海洋スクールの
春休み海洋スクールが、3月22日から25日の3泊4日で開催される。
小学4年から3まで、一緒に研修が行われる。
体験型学習活動。
逞しく、頼もしく、いきいきと子供たちは過ごすのだろう。
私達のあの頃のように。
大人となった今、しっかりと風に向かって大きく帆を張ろう。
日々、毎日が、体験学習。
「海のベテランはいない」
人生にも、ベテランはいないのだから。
◎今給黎教子さんのサイトの掲示板で、畑下さんの様子がわかります。
◎それを教えてくれたのは、気まマ日記さんのTBでした。
彼女は、畑下さんに会いに出かけたようです。
◎内海さんは、清水港に遊びにおいでとラジオで語りかけてくれました。
海のエネルギーを浴びにおいで、と。ヨットハーバーで会えます。
人は、それぞれえ影響しあって生きているのですね。皆さんに感謝。
座右の銘に…
「海のベテランはいない」
人生にも、ベテランはいない…けだし名言。
すごいですねえ、
80歳にして、このチャレンジ精神。
そしてまた帰りも船で!
まだまだ私もチャレンジし続けるぞー♪
確かに人の一生の時間というのは、皆が同じように流れていないと私は思います。
チャレンジする人としない人でも
全然違いますね。
私は、チャレンジする側でいたいです。
いつも心は「ヒヨコちゃん」♪
でも、自分のできること、やりたいことで漕ぎ出してきた今までの道を、自分なりに認めてやることにします。次にまた、何かをするためにも。
さてさて。。。
はい、昨日、畑下さんに会ってきました。
わたしが元気をもらって帰ってきた感じです。
一見普通のおじいさんですが(失礼!)、
頭も心もとてもしっかりされています。
内海さんと会われたんですね。
私はお会いしたことはないですが
畑下さんのことで知って以来、
内海さん夫妻のファンです。
現在の緊張感のない私が恥ずかしい。
畑下さんのラブストーリー。
人を愛する人生の素晴らしさ。
話の筋は違いますが、先日観た映画「きみに読む物語」を思い出しました。
内海さんも、畑下サンは、とてもしっかりした方だとお話ししてくれました。周囲はできることをやればいいのだ、といっていました。対等の人間関係。お互いを尊重し合い、尊敬しあう中から、関わりが築かれてゆくのでしょうね。
気マさん、すごい。向上心も行動力もあるなあ。
また、様子を知らせてくださいね。
「きみ読む」はどうでした?母が観ようかどうか、悩んでいるようです。