続きまして、新潟市教育委員会教育政策監の手島勇平さんの講演録。
「元気を貰った」 そんな講演会でした。
さーバリバリやらねば!
ちょっと長いですが、よろしく。
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1はじめに
●人に関わることにマニュアルはない、あるのはヒント
●土佐の教育改革
●山本健慈氏(和歌山大学・アトム協同保育所を運営)の言葉「ヘルプと言える環境をどれだけつくれるか。」
2現在は過去の未来?過去は未来に向け、何を期待していたのか?
●社会教育では(昭和21年7月に文部省社会教育課長の寺中作雄)
「戦後の荒廃から立ち直るには、地方分権、民主国家・平和国家の建設が必要であり、そのためには国会議事堂が東京に一つあるだけではだめだ、議事堂が全国になくては…」と公民館設置を進める。
●学校教育では(昭和22年文部省「学習指導要領一般編 序論」
「これまでの教育では、それをどんな所でも、どんな児童にも一様にあてはめていこうとした。画一的、教育の生気をそぐ型の通りにやるのなら教師は機械にすぎない。本当に民主的な国民を育てあげていこうとするなら、その育成の任に当たる教師は地域社会の特性を見て取り、児童を知って、祖国の新しい出発に…」
●新潟日報の社説では(昭和21年)
「日本を愛する人はすべて教育者として立ち上がらなければならない。そのためにも社會教育を重視せよ。」
こんな田舎の地方新聞でも社会教育の重要性を述べている。
これを上越に置き換えれば、上越を愛する人はすべて教育者として立ち上がらなければならない、となる。
以上のことは現在読んでみても全く古くない。むしろ現在の私たちに必要なことである。
戦後60年経ってこの国の教育は何だったのか。
3私が見てきた社会教育での学び(自らの実践から)
●勉強と学習は違う。中国の留学生がなぜ日本では「勉強」というのか分からないといっていた。後で辞書を引くと、中国語で勉強というのは、「無理を強いること、もともと無理なこと」という意味だった。社会教育の場では勉強という言葉はあまり使わない。
昭和52年から聖籠村に暮らし始めた。(自分が30歳の頃)
その頃からあちこちの工事で砂取り場ができた。ある日、サイレンが鳴った。砂取り場を滑り台にして遊んでいた子どもが、突然砂山が崩れて死亡する事件が起きた。これは明らかに大人の過失。
「何か子どもの事業を」といっても、子ども会では夏場のキャンプしかなかった。なので、自分で、野球のチームをつくった。
事件が起きてから子どもの目つきが変った。猛練習をして、優勝旗を死んだ友達の仏壇に見せてやりたい、という気持ちから。そしたら見事優勝。友達のお父さんが入院する病院にも優勝旗を見せに行き、周りの人たちからもとても褒められた。その後、球場で財布を拾い、交番に届けたら「いきなり何か用か」と警察官いわれ、子どもは大変ショックを受けた。そのことを新潟日報に投書。
「大人は、子どもたちに何を見せるか」
●聖籠町食生活改善推進協議会のおばさんたち
「山に生かされた日々」というダムに水没する朝日村の映画を見て感動。自分たちでも食生活について調べ、こどもの食生活に関する調査を実施。予想どおり、食生活が乱れている結果に。
昭和61年から平成3年にかけ、地元のお年寄りから昔の食事や生活について聞き取り、本にまとめた。出版記念パーティーも開き、有頂天になっていたところで、ある人が「もともと子どもの食生活のために始めた調査のはずだ。こどもに還元しなくていいのか」と言った。そこで「ふるさと食生活教室」を開催し、中学校で授業を受け持つことに。
・こどもの感想
「入ってきた時、げっ、ババアだと思った。つくった料理はまずかった。でもおばさんたちがおもしろかった」
「後片付けをしているとき、クレンザーを使ってといわれた。でも昔はクレンザーなんてなかったでしょう、と言ったら、おばさんはそれもそうだねといって笑っていた。ノリのいいおばさんだった。」
・食推委員の感想
「帰るとき、子どもから○○さん、またね、と言われた。一瞬誰のことかわからず、自分ことだと気づくのに時間がかかった。(ファーストネームで呼ばれて)自分だと分かった瞬間、涙がこみ上げてきた。」
こどもの心が開く”しかけ”
現在の学校にあるのか?
●高齢者学級(聖山大学)
受動学習(シルバーシート)から能動学習(シルバーキャンプ)
高齢者学級を受け持って1年、講演などを開催したが、最後の回に、何か印象に残っていることは、と問いかけが、何も覚えていないという反応だった。もう一度何かないかとたずねたところ、一人が「前の人の頭の形だけ覚えている」と言った。税金を使って前の人の頭の形を覚えたとは、がっかり。前から高齢者のキャンプをやりたいと思っていて、テント泊のキャンプを実施。最後まできちんと掃除をするし、キャンプ場の職員からは、また来年、今度は8月の終わりに来てほしいといわれた。
旦那さんが亡くなってがっかりしていた人から、「公民館は何のためにあるのか」と問われた。そのときはとっさに、憲法があり、その精神を受け継いで教育基本法・社会教育法がある。公民館はその法律にもとづいた施設だと説明したら、後日、その方が教育基本法の前文を書写し、掛け軸ににして持って来た。(手島さんはその書写の掛け軸を、99年間借り約束をし、講演の度に持ち歩いている。)
◎教育基本法前文
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」
●高齢者の自分史づくり
高齢者学級で、戦争体験などを綴った自分史づくりをはじめた。原稿がなかなか集まらず、完成前に亡くなる方も。平成4年に手島さんに異動の内示が出た時は、高齢者学級のメンバーを中心に、「手島を公民館から異動させるな」という署名活動が起きた。学ぶために必要なものとして、「1)館」・「2)教材費などの費用」・「3)学習活動を支援してくれる職員」の3つがあるが、これは住民の方が自分たちが学ぶためには手島が必要である、認識してくれたからである。結局異動となったが、異動先でも自分史づくりの仕事を引き続き行い、4年がかりで完成となった。現在、まとめた本は聖籠の子どもたちの平和学習の教材となっている。
4教育委員会に入り(聖籠町教育長になって)
教育長になって驚いたのは、教育長から校長への「示達」という言葉。上から下への指示・命令という意味、管理。
ある学校の終業式では、校長先生が子どもたちに休みに入る前の約束として、自分の茶碗を自分であらうことを挙げ、演題の前で茶碗洗いの実演をしたという。楽校で、ここまで教える必要があるのか。学校には色々なことが持ち込まれている。
教育基本法 第10条第1項と現実はギャップがある。
「第十条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」
●聖籠町は、山側の地域と海側の地域が合併して町となった。それ以来、中学校の統合問題がずっと残されてきていた。
統合中学校を地域づくりに生かすという理念のもと、専門家ではなく、素人の人たちからなる統合中学校建設推進委員会を立ち上げた。
私は平成7年に一つの出会いがあった。安塚町で教育フォーラムがあり、当時の矢野町長さんが「私はいじめのない学校は三春の他は知らない」と話した。そこで福島県三春町との出会いがあった。推進委員会のメンバーで三春の中学校に視察に行った。生徒たちは、さわやかに挨拶をしてくれた。「挨拶の指導はどうしているんですか?」と聞くと、「何もしていません。だって挨拶をするのは気持ちのいいことでしょ」といわれた。また、校内にフリースペースがたくさんあり、「こういうところがあると生徒たちが何か悪いことでもしないですか?」と聞くと、「私たちは子どもを信頼しています」と答えられ、子どもに対する子ども観が変っていった。視察後、聖籠の学校へ戻ってみると、少年院のようだった。
林竹二先生の言葉に「学ぶことの唯一の証は、変ること」とあるが、素人の推進委員が力強く変わっていった。統合中学校建設にあたり、町長選挙があり、反対する勢力からは、統合中学校が攻撃の的にされた。(とんでもない学校をつくろうとしている)
住民説明会では、腕や足を組んだ人ばかり(腕や足を組むというのは、反対意見という意思表示)だったが、そこで素人たちが自分たちの意見を立派に言った。説明会のあと、統合中学校に期待する内容の手紙がある母親から届いた。「新しい中学校の説明を聞き、わくわくしました。娘は新しい中学校に行ったら…」
・学校とは 心をぼろぼろにする所でなく 心をみがく所
なまける所でなく 努力するところ
仲間はずれにする所でなく みとめあう所
みんなが待っていて また明日きたくなる所
そのための教育観・教育内容の改革
島崎藤村によると、人の世にある三つの智とは「学ぶ智」「体験する智」「交流する智」
学校の先生は3年?5年で異動するが、変らないのはそこに住む地域の人たち。学校を語ることができるのは地域の人。聖籠町民が教育に参画するように、地域交流棟を設ける。
5二つの分水嶺にたち、社会をみる
●100年前、農村地域は助け合う生活。
今、都市部に人口が集中し、公的サービス・産業で成り立っている。社会が安定すると公的サービスを支えきれなくなる。
公的サービスを外す動き。小さな公共・最たるものが市町村合併。
福岡の公民館ではすべて区の管轄になり、北九州市は公民館が市民センターとなった。さいたま市では公民館をはずす動きを止めている。
●公民館の公共性
公民館は教育機関である。指定管理者と違うことは、権限をもつことができるということ。予算・館・職員を置く意味がある。柏崎市はコミュニティセンターに移行しているが。
公共性とは、そのエリアの人たちの「共同の利益」「人権」「公平性」の3つから成り立っている。これが民間でできるだろうか?
上越市では何を優先させるのか?その選択眼は学びによってしか得られない。
6私たちが求めるものは 青い鳥
●聖籠町の幼稚園に行って自己紹介した時、ある園児が「お寺さまと同じだ」と言った。檀家のお寺が「手島」という苗字のようだ。幼稚園児が自分でお寺さまという言葉を使うわけはないので、家族が日頃からそう言っているのだろう。
●人の成長には4つの力がある。「自然的環境」「社会的環境」「個人の生得的性格」「教育」
●学校は非常に狭い世界。新潟県の教職員の平均年齢は43歳、女性が多く、管理職は圧倒的に男性。この中で何かやろうとしても難しい。
また、学校は165日が休みである。ここですべてはできない。「できる時に・できる人が・できることを」を。
◎新潟市の生涯学習課の職員に資料を見せたら、本当はこういうことは先に新潟市がやらなければいけないことだといっていた。
上越市の皆さんの活躍に期待する。