戯言

暇潰し

ニヒリズム

2019-05-01 21:31:29 | 日記
仕事をする理由を挙げるとすれば、6割がカネ、4割が退屈しのぎというところだろう。
実際、通帳の残高が増えて悪い気分がする人間はいないであろう。
残りの4割の「退屈」も極めて重要な動機である。
長期休暇などとるとわかるが、面白いほどやりたいことがない。
ゲームは、ただ暇をつぶすという目的だけに依存症的に続けているに過ぎない。そこには、主体性・積極性というものはまったく存在しない。ただ惰性で、何も考えずに時間を潰すのに有効な手段として行っているだけである。

今の私には、世界は実に退屈で、ただ生きるのが面倒くさいという印象しか抱かない。

仕事にしても、ただ今の仕事は「可能」だから行っているにすぎず、別に巷で持て囃されている「面白い仕事」「楽しい仕事」では決してない。ただ私にたまたまそういう仕事の適正能力が存在したからその仕事を選択したにすぎない。仕事を面白いと思ったことはない。
時折、「面白い仕事がしたい」とか言ってくる輩がいて、その度に対処が億劫になる。彼らと私とは目指している方向が違い過ぎる。

仕事ははんば「義務」であるから、それがまだ続ける理由にはなる。面倒になっても「仕事だから」と言ってしまえば、一応続ける大義名分にはなる。
ところが趣味となるとそうはいかない。特に休日というのは実に時間の使い方に苦労する。私も年をとったもので、ゲームの類のものもほとんどやりたいという気力が湧かなくなってしまった。
休日というのは、平日に蓄積した疲労を軽減する期間であると同時に、その頑張りを自らに報いるための期間であると考えるのが自然だ。しかし自分のやりたいことが分からないわけだから、自らに報いることなどできるはずがない。そもそも、その「自分がやりたいこと」が、実現可能なこととも限らない。金銭的な問題で実現可能なものであれば、貯金し続ければいつかは叶うかもしれないが、金銭的に解決できる類のものとも限らない。というよりカネで実現できるものなど、大した夢とはいえまい。

最近は市場の商品を見ても、買いたいという願望も湧かなくなりつつある。先に述べたカネで実現できる願望というのは、そもそも私にはほとんどないのかもしれない。市場が提供する商品にさして魅力を感じないのだ。