戯言

暇潰し

軸の不在

2019-05-02 21:47:24 | 日記
軸、信念ともいうべきものがない。

信念ともいうべきものなら、自分なりに納得できるものでなければそうは呼ぶまい。その信念への執着心が強ければ強いほど、より堅固な信念と呼ぶことが出来る。
信念・軸ともなれば、一般的なレベルと比較して、より群を抜き、一芸に秀でたものでなければ信念・軸とは言わないだろう。実際、私はこれまで「これがオレの信念・軸だ」と考えていたことが何回かあったが、結局それらは全て思い込みに終わった。

だからそんなものを持つという行為自体馬鹿らしくなってやめてしまった。

周囲の環境によって自らをそういった軸・信念といったものに束縛させるというやり方もある。しかしそうしたからといって、その信念に沿った、確立した自己を築き上げられるという保証などない。結果は、専ら個人の力量や才能に左右される。

結局、軸というのは、ある程度才能のある人間が初めて対象に触れたとき以来、成功体験が一般人よりも多く、それによってモチベーションが掻き立てられ、結果人より多くの経験を積むことに成功するというプロセスを踏む。

私の現在の仕事も、別に誰でもできる職務内容であるとは思わない。きわめてマニアックなジャンルである。そういう意味で、信念・軸ともいえる存在なのかもしれない。しかし、それを主観的に信念・軸として受け入れられるかというと、答えはノーだろう。どこか、やはり受け入れられない、違和感ともいうべき感覚が残るのだ。今のキャリアを強化するため、休日に勉強するかといえば、全くそんな気は起きない。そこには何かしらの距離感がある。

自己と、外部世界との乖離が起こっている。世界に対する関心を失い、期待は絶望感やしらけ、冷笑といった感情に取って代わる。世界と共鳴しあった経験というのは、久しくしていない。