8月6日に第一回を始めて、ようやく8月も最後の日に実質の第三回をようやく投稿します。
テーマは『無くした海』です。
現在の浜寺公園は、かつての面影を松林だけに残し、人工島である臨海工業地帯を海岸沿いに作る代わりに浜辺が無くなり、浜辺と少しの海は、人工島の間の水路となりました。
『浜辺』=『海』を無くすと、人は『海』の代わりに『泳げるところ』『水と戯れれるところ』の代替なものとして『プール』を求めるのでしょうか。
浜寺公園もその後、プールが出来ました。
(かなり後には、近くに私営の『浜寺ジャンボプール』というのもありました。今はなくなってしまいましたが。国道沿いですぐ目に付くこちらのほうが、当時『浜寺公園プール』と勘違いされた人も多いかもです。すごい楽しそうでした。)
浜寺公園で有名なものの一つというと、100年以上歴史を持っている『浜寺水練学校』です。
この学校は、浜寺海水浴場が出来た当初とともにその『海』で開かれいて、海水浴場がなくなってからは今のプールでの練習のスタイルになりました。
海での方がなんとなく『水練』の名にふさわしい感じがします。
看板がその歴史を物語っていますね。多分開校当時のものじゃないでしょうけど。
夏季にのみ行われる水泳学校で、かなり厳しい練習らしいです。有名人の中でも子供の頃ここに通って練習していた人がいるようです。
コロナの影響により、今年も『浜寺水練学校』も『浜寺公園プール』も休校・休園です。
下の写真は、『浜寺公園プール』の入場口。さすが公営のプールの入場口って感じで地味です。
赤文字が今年の『プール営業中止』を知らせています。
この『浜寺公園プール』の入場口のずっと右側に、先程の上の写真の『浜寺水練学校』の入口がひっそりあります。
大衆向けプールの奥にある、浜寺水練学校のプール。ほんとに泳ぐための形です。
ここは荒れてますね。
今の大衆向けのプールには
こんなのがあったりします。昔はこんなもの達はなかったことでしょう。
1961年、浜寺海水浴場は閉鎖され、その2年後の1963年に完成した『浜寺公園プール』。
待ちわびていた『海』の代わりに出来た『プール』に押しかけた人々は、
その人の多さに辟易し、
また、『プール』の小ささにがっかりしつつ、
遊び、楽しんでいるうちに
そこに綺麗な浜辺があったことなど、すっかり忘れてしまったことでしょう。
などと、今日は『8月31日』ということで、ちょっと感傷的にこのブログ、終えますね。