「戦争」は
パイロットにとっては、
戦闘機に乗って爆弾投下の
「スイッチを押す事」ですし、
僕らは他国で
「テロや空爆」があっても
「福島や沖縄」も
どんなに近くの事件でも、
肉眼で見ない限り
ネットやメディアやスマホを
通しての
「バーチャルな出来事」です。
それは
「肉や魚」が、
まるで最初から
スーパーでラップされて
切り身で売ってる
「物」や「商品」みたいに
錯覚してしまうのと
同じ感覚な気がします。
肉は物体じゃなく、
元々生き物でした。
命がありました。
だけど、
誰がその事を気に留めるでしょう?
命だと思わないから
「命に対する感謝」
も無いわけです。
周りを見渡しても既製品ばかりで
マテリアルがない環境で育ってます。
どうすれば、
バーチャルな感覚が
リアルになるのでしょうか?
豚ロースの切り身に
命があった事が連想しにくければ、
自分のロースの切り身が
店頭に並んでたらどんな気分でしょう?
(ここで大抵みんな笑いますが、
冗談じゃなくて)
その延長線上に、
スマホで起こる出来事や
我関せずで済ませている出来事を、
我が身に置き換えて想像する力が
備わると思うのです。
我関せずで済ませられると言う事は、
人の痛みが想像出来ない人なだけです。
きっと食べ物に感謝もないでしょう。
僕らは既に
バーチャルな世界の人間です。
イマジネーションが
欠乏しないように。
パイロットにとっては、
戦闘機に乗って爆弾投下の
「スイッチを押す事」ですし、
僕らは他国で
「テロや空爆」があっても
「福島や沖縄」も
どんなに近くの事件でも、
肉眼で見ない限り
ネットやメディアやスマホを
通しての
「バーチャルな出来事」です。
それは
「肉や魚」が、
まるで最初から
スーパーでラップされて
切り身で売ってる
「物」や「商品」みたいに
錯覚してしまうのと
同じ感覚な気がします。
肉は物体じゃなく、
元々生き物でした。
命がありました。
だけど、
誰がその事を気に留めるでしょう?
命だと思わないから
「命に対する感謝」
も無いわけです。
周りを見渡しても既製品ばかりで
マテリアルがない環境で育ってます。
どうすれば、
バーチャルな感覚が
リアルになるのでしょうか?
豚ロースの切り身に
命があった事が連想しにくければ、
自分のロースの切り身が
店頭に並んでたらどんな気分でしょう?
(ここで大抵みんな笑いますが、
冗談じゃなくて)
その延長線上に、
スマホで起こる出来事や
我関せずで済ませている出来事を、
我が身に置き換えて想像する力が
備わると思うのです。
我関せずで済ませられると言う事は、
人の痛みが想像出来ない人なだけです。
きっと食べ物に感謝もないでしょう。
僕らは既に
バーチャルな世界の人間です。
イマジネーションが
欠乏しないように。