
ネットで見たら、9月に入ってからもの凄い混雑(180分待ち


駐車場も混んでいるという情報だったので、早く着こうと、山口を6時半に出発したのですが、会場の前の8時半に着く予定が、高速道路が混んでいて、大宰府にある博物館に着いたのは10時頃になっていました。これは、駐車場に入れなくて、まずそこで待たされるなと悲しい気持ちになっていたら、駐車場はなんなくクリア

駐車場から気持ちのいい丘の道を登っていくと、やっぱり120分待ち

阿修羅展会場自体は、それほどの押し合い圧し合いという感じではなく、阿修羅像の周りには3から5周くらいの輪ができていましたが、誘導の声に従って左に15歩ずつずれながら、結構良く見ることができました

この阿修羅像を見て、光瀬 龍原作、萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』の阿修羅を思いだしました。萩尾さんの阿修羅は女性として描かれていたけれども、やむにやまれぬ戦いを続ける阿修羅の哀しみを含んだ凛凛しさというようなものが、思いだされましたよ。スケールの大きい、哲学的な?インパクトのある漫画でした

阿修羅像以外にも、鳥の顔を持つ迦楼羅(かるら)、沙羯羅 (さから)、、乾闥婆(けんだつば)、などの 八部衆のなかの五像が展示されていて、それぞれなんともいえないいにしえの異形の少年像がよかったです。十大弟子像はこれらとは対照的に落ち着いた意志的な表情を浮かべていました。
とにかく、阿修羅展は1300年という時を経てきた阿修羅像をはじめとする八部衆の、後世の仏像にない何かが、見るものを感動させるのではないかな。その何かとは、ヒンズーの神々からの影響によると思われる異形の神、そして凛凛しい少年の姿で現されていること、それでいて自然な人間臭さのようなものも感じさせることなのではないかと、私は思いました。それぞれの人がそれぞれに感じればよいのでしょう。鎌倉時代に作られた四天王像も同時に見ることができて、その違いが良く解ります。四天王は四天王でその眼光するどく邪鬼を足にふんずけている様は、なかなかのものでした。
ということで、阿修羅展を堪能した後、隣接する大宰府天満宮に御参りし、娘の受験が成功した御礼を一応言って帰ってきました。(大宰府、防府、京都と様々な天満宮のお守りをいただいたので) お約束の梅が枝餅も食べ、一路山口へ。帰りの高速はいつもの様に空いていて、快適でした
