残りわずかな力でも伝えよう。-そして、再起。 

この難病は、私だから授かった『生きる上での宿題』と受け止めたい。生きる「希望」を
胸に。「P病撲滅」が夢。

死にたい、などと言わないで。

2009-01-31 | Weblog
皆さん、私、えらそうなこと言って、ごめんなさい。
私の場合は、この難病になってそれを一緒に受け止めてくれた主人がいたから、こんなアホでも『幸せ』でいられるし、一般社会からずり落ちておぼれそうでも「ありがたいこっちゃ」とわらをも引きずり込んで、なおずり上がろうとあがき続けている。おまけに、この病気を「授(さず)かった」のも、「天命」に違いないと思い込んで、あけすけに全部さらけ出している。

 この間も石川県支部の集まりにお邪魔して、「きれいな方ですね」なんてヨイショしてくださるものだから、「アラ、でもこれヅラなんですよ」って言っちゃって、うけてしまった。アデランスに表彰されたいぐらい。でも高すぎて被害者の会結成しようかな、とも考え中。

 今日、ここを久々に読んで、あるお方のことを思い出しました。
電話でお聞きしただけですけれど、あまりに衝撃的な言葉でした。
それを以下に思い出して、書き留めます。
 
 パーキンとわかるまでの生活は地獄だった。
トイレに間に合わない屈辱。家族に殺してくれと頼んだ日々。
失業、引きこもり、人間の尊厳も何もあったもんじゃない。
でも、彼はP病とわかり、患者会で新しい出会いをする。
生きようとして、生活保護を申請した。生きるための最低限の糧として
福祉の手立てを得る道を選んだ。勇気ある行動だとも思うが、この認定がまた難しい事も現実。彼の知的能力とプライドはかなり高いと、その声と言葉遣いからうかがうことができた。

 排泄、歩行、しゃべり、睡眠、全て人間としての基本的な機能が小さく小さくなる難病。当たり前のことができない時間が毎日何度か訪れる。人の優しさやいたわりの思いがあってこそ、生きていけている。
本当に感謝しかない。でも、すぐそれも当たり前になっちゃって、
優しくないと愚痴となり、死にたいなんてガス抜きして、なおも
薬を飲むし、お腹が空けば食べもする。
虐待死かと思える患者がいても、生きてるものの言葉が信用されて
丸く収まるのがこの世。これでいいのだと思うしかない。
 今を生きているのは、生き物(食物)の命を毎回いただいてそれがこの体を作り、動かすエネルギーとなってくれているから。だから、生きているというよりは、生かされていると言った方がいいのかもしれない。
 小さな人懐っこい近所のお子さんだった。大きくなって難病になり、アメリカへ行き手術も受けた。勉強して再就職は公務員として働いた。でも、生きられる時間は短いと彼は知っていた。彼の遺稿に在る一言が忘れられない。
「今日も自殺のニュースが・・・。お願いです。捨てる命があるのなら僕にください。僕は生きたい、なんとしても。」
彼の祖母は代われるものなら代わってやりたいと泣き続けたが、彼の分も生きようと思いなおされたようだ。ご両親もご立派で共に社会に大きく貢献され、教育の分野での「一筋の道」をなおも進まれている。                                    ―  以上、記憶を辿ってみました。

 「ごみ」と思えば、私などごみ以下です。
でも、うちの義母が言いました。
「悪く取ればきりがない。ものは思いよう、受け取りようよ。」
「思いを自分で切り換えることが大事よ。愚痴に思うても悪いように悪いように考えて、自分で自分を追い込むだけ。」
「人は人。自分のことで精一杯。人は助けちゃくれんよ。自分と自分の家族のことは自分がまいた種。先ずは自分を大事にしなさい」
先輩や友は愚かなる私を見て言ってくれる。
「先ず、自分が元気でいないと何を言ってもだめよ。」
そういえる方は自分の身体からのサインを敏感にキャッチしているし、
それにきちんとその都度的確に対処しようと努力されている。
因があってこその果としての「難病」という生きる上での「課題」。
これをどう解いていくか。大阪で会った和歌山のお姉さまは、ご自分で編み出したダンスを、そして医療ヨガも実践し、カッコイイ。
 もう少しで百歳になるおばあちゃんは、長生きしても、昼ごはんの支度に下りれないでいると、飢え死にさせられると泣き喚き、三度のご飯がきちんと食べられる施設にいても、帰る家がないと泣き暮らす。
死にたいと言っては、ご飯はぺろり。人間そうたやすく死ねるものでは
ないらしい。
心筋梗塞、周りはつらいけれど、あっという間の死。お迎えがきたかのようである。
ご本人は幸せかも、と思いきや、心筋梗塞から生還した母曰く、苦しいなどというもんじゃない、ものすごい痛みと苦しさだという。
 人は必ず死ぬ。老いも必ず来る。それが早いか遅いか、隠すか隠さないかだ。たった一人でいずれ死ぬ。ならば覚悟しよう。
というわけで、『人間の覚悟』という、五木寛之氏の本にのめりこんだ。精選されつくしたその中身は、ありとあらゆる智恵を覚醒させてくれる。人は、本来臭くてカッコ悪くて、自分さえよければ、という生き物さ。それがけなげにも必死で人間らしく生きようとしている。だから愛おしい存在なんだ。老若男女、関係ない。だから私は、男女の友情を疑いもしないし、男の友達の方が多いのも、気が合うからだ。
この難病にならなければ、とっくに離婚していたかも。夫のよさが、愛情がわかったのは、この病気になってから。毎日が楽しいし、自分もみんなも大好きでいられる。「自分を大事にしてやりなさい」とか、「自然の摂理にしたがった生活を」という、メッセージをこのP病は、私に伝えてくれた。「自分で自分をほめてやり、積極的に生きたほうが楽」だとも。
人に勝たなくていい。自分がいただいたこの宿題を早くしあげて、ポイしましょう。今日も学校のPTCで固まって、先生方や他のお母さんがたに助けていただいた上に、こんなに具合が悪いのに来ていただいて、と感謝してもらった。かたじけない!感謝してもしつくしません。
 私はこんないい人たちに囲まれて幸せだから、お迎えはいりません。
 謹んでお断りさせていただきます。
 はるさん、長くてごめんなさい。

(つづき)がん患者会に学べ

2009-01-30 | Weblog
(以下、患者会の実態から、あるべき具体的活動を提言)
6、 徹底した討論と決議事項の推進。再協議請求権の確立。会員の総意としての代表であるべく、縦の構造(各地域患者会―県支部―各地方ブロック-本部役員-三役会)を確立すべし。
7、個人の思想信条は尊重することは無論、社会運動団体である以上、政治への理解協力は求めなくてはならない。その際も、多角的アプローチの結果としての「中立」は言うまでもない
8、その実績を積み上げ、目的に近づくためには、大政党からの理解を得ることが早道ともなろう。党派党略に惑わされる事なく、個々の代議士を人道的に啓蒙する気迫をもって臨むべき。
9、本部事務局が会の意思決定機関となるは、越権行為に他ならない。活動まい進のためにも、常勤体制をとるべきであるが、その会の意思は、会長個人でも、事務局でもない。代表組織としての総会または本部役員会の決議事項が、それにあたうものである。
10、 末端の患者のための機関であり、活動においては「清貧」を宗とするべし。
11、「感謝」の思いを忘れず、各専門分野の代表組織との連携強化に務めると共に、行き過ぎや
偏りのないように、わきまえた主張をし、見直しをさけるべきではない。
12 我執にとらわれず、和合と連帯の気持ちとボランティア精神で行動する。
13 その主張は、自己本位であってはならない。〔おねだり団体にあらず〕
14 役員など代表格は、自薦他薦を問わず、公選により選出されるのが通常。
15 全国一律の負担で運営する以上、代表権も公平であるべきである。
16 事務局は常勤体制を組むと同時に、迅速なる運営に努め、患者・家族の代表である役員には
経費のみ支払い、健常者の事務局員には手当てを出すと言う差別があってはならない。
17、活動と経費は連動する。代表役員が会員数に比例して増員するのでなければ、会費も広く薄く分担するのが常識的。
18、寄付行為およびその金額は、せめて役員会には公示すべきであり、領収証の発行は無論、その活用報告と謝意の伝達も、代表を通じて行うことを怠ってはならない。
19、会計監査は外部監査が適切であることは、社会通念上、言うまでもない。
20、会計の記録は、活動の記録に等しく、会員に開示説明するは、当然の義務である。

21、公明正大かつ公平均等かつ真実に基づく情報配信と会計。虚偽の報告があってはならない。患者会の声は、最低の状況下にある方々の救済のための代弁者として、または当事者の最大公約数としての訴えや提言であるべきであり、特定の政党や特定の団体に利するものであってはならない。えこひいきや、感情的言動は厳に慎むべし。
22、 会員のもとめる民主的な開かれた運営をすべく、会則および規定は最高決議機関による充分な実態に即し審議をつくしたものを制定し、これを厳守することに勉めるが肝要なり。
23、みんなで運営する、みんながお金を出し合って活動する、患者のための会であるがゆえに、最も困窮に瀕する患者の気持ちが分かる方、それを代弁できる方こそ、代表にふさわしいが、この患者会のすべての責任は、会員が等しくそれを負うものである。

24、この国の社会保障の受益者の大きな代表団体として、将来に責任の負える見解を発信し、
難病対策が一刻も早く前進するよう、理解と支援を求めるべきである。
25、難病による患者会は、患者の最後の駆け込み寺であり、難病患者に心頼みとされるものとして、難病ある限り永遠不滅の存在であり、向かうべき敵はない。敵在るは、内なる我執によるエゴイズムと心得るべし。役員のための会でもない。自己満足からは何も生み出せないことをしらなければならない。
26、個々の思想信条を超えて和合できるのは、患者の生存権を賭けた闘いだから。
立法・行政の理解なくしての獲得はない。その理解を得るには、世論を喚起、共鳴していただける活動をするのが第一歩。
27、 患者会のこうしたスタンスを明確にするのが不可欠。先ずは、誤解と偏見を受けている現状を直視すべきであろう。
28、 善意による有志の団体であるが故に、協調と融和ありてこそ、前進に通ず。 謀略や不審、罰則、排除の理論や思想は患者会精神に反するなり。意思の疎通を図り、柔軟な思考と寛容なる精神をもって活動に臨めば、良き波動が広がると信ずるなり。
29、患者会が一任意団体でしかない状況では、一部の恣意的な情動行為も起きやすい。
ことは、あくまで社会運動という左の勢力として、圧力団体の域を脱し得ない。
難病患者会は、右でも左でもない。根本の基本的人権と環境問題を問える団体として、認知されなければならない。
~ 付記 ~
以上、体験による難病患者会のあるべき姿を描いてみました。こうした人類愛を基底とする精神性を有するならば、伊藤代表の言われる「足の引っ張りあい」も「ののしりあい」もなくなると、祈る思いで考えぬいたものです。
当たり前のことを言っているだけですが、これをあえて言わなければならないような非民主的な患者会がわたしたち『全国パーキンソン病の友の会』であるということも、大変遺憾ながら、紛れもない事実です。また、私が言われなき事実無根の中傷の噂により、巧妙に左翼とそれに巻かれた方々によって、足元を崩す形で陥れられたのもまた情けない事実です。

患者会と政治のありかた、その成果と課題を総括していただき、反省の元に、互いに根幹に返って、長期的スタンスと見通しのもとに指針を明らかにしていただけなければ、難病患者と、その解決に立ち上がった若き国会議員たちは、右と左の谷間に追い落とされていこうとしていると言っても過言ではありません。先ず、JPAの代表伊藤氏が、どういうスタンスで、『難病』の定義をどうお示しになるのか、どういうところを目指されるのか、もはや勉強会への出席の道も閉ざされた私には、その発表を待つしか手立てがありません。皆さんの生活の足元の問題です、決して他人事ではないのです。
 皆さんも難病患者である以上、意見を述べる権利はあります。 あきらめないでください。
すでに3年前から「P病WG」という場が設けられたことによって、もう政官民の協力関係が構築され、自民党は新たなる弱者との歩みに「チェンジ」しているのです。後退してはならない、そう切に思います。

難病は、「食」「環境」「温暖化」「ストレス社会」これらすべての「つけが回った結果」と、私個人は感じています。
馳浩先生、橋本岳先生ほか、WGの先生がたは国政の場に返り咲いていただき、難病根絶への歩みを進めていただきましょう。

患者会に希望を見出したいからこそー発信

2009-01-30 | Weblog
すこおし、込み入ってます。
ちょっと堅くて、難しいかもしれません。
でも、何回か読んでいただくと分かってくるかもしれません。
思い切って、ここで公開いたします。
また、更に練り上げて、短く、分かりやすく、まとめていきます。
お読みいただければ、嬉しいです。
ご意見ご感想お待ちしています。

難病の『患者会精神』提起 ―全国組織としての意義を含む―

                     全国P病友の会 高山 豊香

1、 (理念)患者会精神は、日本人が加筆した『憲法 25条』の生存権に由来するものである。
※ 「すべて国民は、必要最低限の文化的かつ衛生的な生活を保障されなければならない。」という意。

2、(構成)患者と家族が核となり、支援者などと、横並びで手をつなぎあって形成された社会運動団体である。
会社や労働組合などのピラミッド型にあらず。あくまでも対等である。
言わば、各々の自由意志で参加する商店街組合のようなもの。
    縦割りの会社人間には、受け入れ難いところがある可能性あるも、
    一般常識として年長者は軽んずべからず。17条の憲法に倣うなり。
全国P病友の会は、独立した各会(県支部)の連合体として成立したもの。

3、(目的)
① 難病罹患者の健康回復(完治)と予防により、難病を撲滅すること。
② 原因不明にもよる社会的偏見や不当な処遇から、患者とその家族の人権を守ること。
③一般社会の中で難病への認知を高め、患者が人間的尊厳を失うことなく、そのわずかに残る能力を生かし、生きがいを持ってともに生きる、そういう希望がもてる社会の構築を目指すこと。
④ いつ誰がかかるかわからない「難病」。その患者と家族の弱みにつけこみ、暴利を貪る輩の無いことを願い、難病患者が搾取されることのない社会を目指す。「生かさず殺さず』の薬漬けとそれにまつわる副作用、あるいは付帯装置保持者としての難病者。これらからの解放をもって「完治」とする。

4(具体的方向性)
①会員相互の扶助と交流・またはリハビリ活動により自立および回復意欲の維持
②相談受けなどによる実態把握と最新の医療・法律関係など、情報の伝達。
③一般社会へ、難病への理解と支援を高め、『難病の共存と根絶』を目指す。
④政府や行政への働きかけと、それを助ける協調行動。

5(独自性) 患者が病気の当事者〔主体者〕である自覚から、原因究明への積極的協力を図るべき民間団体である。原因・発病のメカニズムの解明は、難病への偏見を打破し、完治療法実現を近づけ、さらに予防策を打ち立てられる、一挙両得ならぬ「一挙三得」であるがゆえに。

                             つづく

感動のふれあい旅 ~ 北陸編 ~

2009-01-27 | Weblog
 「 北陸へ、ご恩返しの旅」
 2009年は、どんな年になるのだろう。

  2008年は、私にとって、人の哀しさと無常を思い知らされる年でもあり、
   周りの人のありがたさも心にしみる年でもあった。

   もうすぐ、節分。運気が変る時季でもあると聞いた記憶がある。

  その節分の前に、「ご恩返し」の旅に出て、一昨日帰広することができた。
  もう3年も前になるが、「パーキンソン病の諸問題から、難病問題を解決する」と立ち上がってくださった橋本岳先生の求めに快く応じ、座長をお引き受けくださった、かの『馳浩代議士』にお会いし、少しでも何かのお役に立ちたい。あの時患者仲間4万人を人道的立場で守っていただいたご恩をお返しできるのは、今をおいてはあり得ない。馳先生にとって、天下分け目に決戦前ではないか、あの時の私たち同様に。それから3年、予算を増額させ、特に研究予算を大幅にアップして、完治も夢物語ではない時代になってきた。その機動力となったのが、J党のP病WG(作業部会という当事者団体をふくめた学習会)若い議員さんのみならず、弱者対策にご関心の深い70名以上の代議士先生のご参画を得ている。その顧問となってくださったのが、かの津島雄二先生。津島先生のお母上が確かPDであったとかで、この難病の過酷さが筆舌に尽くしがたいことを身をもって知っておられるのだ。だからこそ、津島先生は厚生部門に一生を捧げてこられたのだと確信した。
どんなにお忙しい時も、会合にご出席くださり、琴線を震わせる一言が必ず含まれるのが印象深い名代議士。
 
 馳先生は、本質をつくお方で、実際財務省の方々を呼んで、患者の声を聞く場として、大いなる前進という結果をもたらせた。厚生労働省が最も努力してくださり、政官民が一体となったこの場は、日本政治史上、がん患者会につぐ患者会として「難病問題のトップランナー」として指名された栄誉をもたらせた。 我々患者会も勉強になったものの、まだまだこれからが本番と言う時に、私はこのP病WGの発起人であると言う事実をひた隠しにされ、会の一部の左翼的思考の方々によって、巧妙に代表の座から下ろされてしまった。難病者や障害者の過酷な実態は、この国の全体の経済危機からみれば、蟻んこほどの大きさもあるまい。健常者あってこその障害者という現実。いやおうなく、弱いものが追い詰められていく時代となるのを指をくわえて見ているだけでいいのだろうか。JPAもP病友の会も共産党の方々が多い。しかも情報操作がある組織。超党派装い、WGを予算獲得のための方便として、都合良く使って、空中分裂を待っているようにしか、私の目には映らない。だから、特定疾患は、その適用範囲の違いはあるとしても、金額の減額を見たのではないか、ともおもえないでもない。
 患者会がおねだり団体に成り下がってはならない。
 今こそ、身の程もわきまえず、私は歩み始めなければならないと感じている。難病を生きる者のはしくれとして、最底辺からの国民全体の幸せ実現のための意見を示し、何かのヒントにしてもいただきたい。
 現在の医療の崩壊ぶりは、小泉政権の負の遺産として、国民は次第に悟ってきている。新自由主義で犯したサッチャー政権とレーガン政権の先例がありながら、物まねの域を出ず、同じ過ちに陥ってしまったことで、医療と福祉、そして教育が自由経済の畑ではなく、国の責任において保障すべき領域であることを証明した。 
馳代議士もそれは指摘しておられた。 為政者の立場にある方々に力を貸して、国民が一体になって智恵を絞り、これまでの国家のあり方について、その成果と課題を総括するべきであり、この未曾有の逆境を、「戦争」と言う愚かな歩みに向かわせない努力が、国民の一人ひとりに課せられた「責任」としてあるのだ。

 そう言う国民としての「責任」を、自国の信奉者を前に突きつけ、共に克服しようと呼びかけたオバマ大統領のスピーチに私は泣いた。そして、これまで聞いたこともない彼の演説の全てを聞いてみたいとも思う。オバマ氏どころか、アメリカの属国ではないぞと、アメリカ語が国際語であることすら反発をひそかにしていた私は、大国のおごりが、『世界の警察面(づら)』をさせている現状とその傘の下に入らなければ守れないこの国の危うさと、命はおろか心さえも軽い国にさせた、平気で人を殺す時代の空恐ろしい元凶ともなっている国のフルーツバスケット(イス取りゲーム)ぐらいにしか見ておらず、興味もほとんどなかったというのに。
 オバマ氏のもう一つの就任にまつわるシーンに、心うたれた。就任披露パーティーの前だろうか。彼は奥さんのことを紹介して「きれいでしょう」と自慢したあと、二人で社交ダンスを踊り始めた。その姿の美しさ。
 そして極めつけは、たしかこんなくだりであっただろうか。
「あるレストランに入る事を拒絶された人を父にもつ自分が、この国の舵を取る時代を迎えた」という意味であったように記憶している。…・・・涙をぬぐうお顔の黒い老若男女が映し出され、こらえ切れなくなって、涙に咽んだ。小中学時代、読んだ本からしか知らないが、自分なら耐えられないであろう非道で陰惨な差別の長い歴史に耐えぬいた血肉と、その強靭なはずの心を打ち奮わせずにはおかない静かなしかし決意にみちた、私にとっても大いに考えさせられる深い意味と広がりを持った忘れ得ないスピーチであった。
この『主権者の責任』を語るスピーチは万国の全国民に通じるものであり、品格のある対応を迫られる思いがする。

日本の政治家の力量と信念が問われてもいる。圧力団体に屈せず、長期的ビジョンを意識統一した党として国民に展望を抱かせうる明確なる指針を示さねばならない。それを具現化していくのが宰相。麻生総理を支える方々の我執が派閥としてそれを阻んではいまいか、そして党のあり方が問われてもいるのではあるまいか、憂慮してやまない。


アメリカが何を要求しようが、「温暖化防止提唱国として、こういう国家目標のもと、中長期計画として、こういうプランを持って国民の真意を問うつもりだ」ぐらいのことは、植民地ではないんですから、しっかりと明示なさり、お金ではなく、世界の中でこういう役割を担いたいぐらい、吹っかけて実践して欲しいものです。実際民間レベルではかなり国際的にも人道的にも個人の意思で貢献している方の多い日本人を誇りに思うだけに、為政者がそれを国家のシステムのひとつに採用するぐらいの、思い切った国策を国民は待っているのです。地道な細部の法整備ではなく、こんな国にしたいと、夢を語れるチャンスがきたのではないでしょうか。ピンチとは、「変革」への誘いです。それは『ぶれる』という言葉にはあてはまらない、「前進」を意味するもので、怖れる事もありません。
今の選挙制度のおかしさ自体に突き当たります。国のあり方を議論する場がなさすぎ、地域と地域の利己主義の集合体に過ぎません。力が横行します。予算の分捕りあいをやってます。一歩間違えればやくざの世界も遠くはなかったりして、だからです。地球全体のことを考えるオバマさんと比べると、比較になりません。
これではいかんと立ち上がり、人道的にも、社会保障費からも、全般を見直すというWGの代議士は希少価値が大きいのです。この先生がたと対話し、自民党をも変革させうる力があるし、最底辺からの訴えを持つ私たちだからこそ、堂々と社会をより良くしたいと言えるのです、万人の幸福を願って。
この平和を願う都市、世界最初の被爆の地「ひろしま」から、オバマ大統領に敬意を表しつつ、難病のひとりとして、いつかお会いできる事を念じて発信いたします。
馳先生曰く、
「この高山さんという方を、ご存知ですか ?この人は、左の方が多い患者会の中でたった一人で自民党を頼ってきて、自民党に特定疾患の希望を繋いだひとで、そのあと(左よりの方々に)もみくちゃにされたひとなんですよ。」
そうです、よくごぞんじで、と内心感心する。「石川県支部長とこの人がいなかったら、P病の今はないでしょうね。」
本当に、石川K支部長さんの献身的ご活躍に敬意を表します。その後の支部の皆さんとの語らいは、とても楽しく、あっという間に時間がたちました。その時、手編みのお帽子をくださった女性会員さんの笑顔のすばらしさ。泊まらせてくださって語り明かしたHさん、Oさんとの語らい。最高に楽しかった旅でした。
JR京都と広島の駅員さん、ありがとうございました。「情けは人のためならず」俳句にもめざめました。
そこで一句、馳先生を想って
雪花や 大志みなぎる 君ぞ輝き
民想う 熱き血潮に 椿燃ゆ

会員さんのお宅にて
炬燵きて 友と語らう 時ぞ駆けゆく
馳先生に、大器の風貌あり。 先生は「いじめ」を根絶できる可能性大なり。
弱者の声も、左の方々の声も耳を傾け続けたいと宣言された馳浩先生を、私は応援させていただきます。
自民党を更に進化すべく変革へ。k支部長さん、ありがとうございました。

今朝も一句、犬の散歩の途中にて
一歩でず ひざつきて見ゆ 固つぼみ
白椿 春まだ浅し すくみ足

陽だまりや ふくら雀に 笑顔咲き

私を助けてくださった大阪のIさん、Y支部長さん、Kさん、叔父さんたち、多くの示唆をいただきました。
ありがとうございます、そのあったかいお気持ち、感動の連続でした。本当にありがとうございました。

尊いお方ほど、すんなり昇天なさるのか?使命を果たした方が逝けるのか?

2009-01-22 | Weblog
 「予定は未定であり、決定ではない。」小合先生のことの前に。

 今年、いえ昨年から、P病患者やそのご家族があっけなく昇天しておられるように思えてならない。

 1月19日 朝、 Nさんという患者歴18年の47歳の女性がお風呂でなくなっておられたと一報があった。ショック。
   20日のお昼、心筋梗塞で、やはり女性だが、こちらは多少ご年配の、伊豆悦子支部長さんが急逝なされたという。かねてより、慕っておられるお方も多く、私もその一人であるだけに、無力感というのか、喪失感というか、しばらく何も手につかない状態から我に返った時、泣きたいだけ泣いた。夢にも思っていなかった、お二人の悲報。
 DBS手術の先駆的成功例の方として有名で、地元でのご活動を優先され、患者仲間を励まし続けてこられて、伊豆さんファンは女性中心に多いと伺う。


 伊豆さんは、「能ある鷹は爪を隠す」ではないけれど、聡明なオールラウンドプレーヤーでありながら、自慢もなければ、背伸びも一切ない、自然体で飄々と肩の力の抜けた、いつも笑顔の素敵な女性だった。大きな和菓子やさんの奥さんで、ご主人と引退されて、いつもご一緒。実はお茶目なところもあったりして、若い患者の実状を、その大変さを強く訴えてくださっていた。なににたいしても、いつも感謝しておられた。誠実で几帳面な方だけに、信頼は厚く、かの高村大臣が、伊豆さんを見かけられた時の、ほっと心を許した方にしか見せないであろう満面の笑顔をなさったことがある。それを見れた幸運をつい思い出す。商工会議所の女性部長も務められたと聞いたようにおもう。ご人徳である。何かとご相談する機会もあって、すじを通す事の大事さを教えられたことも思い出される。広い懐に抱かれているかのように。

 Nさんは、かわいらしい奥さんと言うイメージのかた。手先が器用で、色々な作品と工夫の数々は、彼女の前向きな明るい性格を反映していて、多くの方に惜しげもなく分けておられたように記憶している。彼女の二人のお子さんも立派に成長され、お嬢さんは軟式テニス日本1になられたという。
彼女が先になんて、信じられない思い。

 お二人とも、いいえ、鳥取県の牧浦さんの奥様も笑顔の素敵な、すばらしい明るい方だったが、去る年末に天に逝かれた。多くの方の心にともし火を残して。
そして私は大きな示唆もいただいて今日があることに、深く感謝している。
 
 皆さん、一足先に逝かれた人は、この世の使命を大体果たしていかれたようにお見受けする。それぐらい、誠実に、かつひたむきに生きた方が多いように思うのは勝手な推測か。

 パーキンの方は、あっと逝く場合も多いとか、それが悔しいと、小合先生は言っておられたのを思い出す。整体師の先生。
 こういう方が、「品格」ある方と言うんだろうと、初対面から感動した。
お聞きすれば、人を助けてきておられる、その一筋の道。
「晴れ男」というのもうなずける。天までもが、力を貸してくれる、そんな人を想い、人を愛してやまない正義のお方。「たった一人も難病ですよ。あなた方パーキンソンも増えすぎたからといって難病対策から外すのはいかがなものか」と言われたか。穏やかな雰囲気を湛えつつ、大きなご使命を担っておられる方だと、背筋が伸びる思いがした。それにしても、握手した際の、なんともいいようのない、癒しの力みなぎる独特の手が、仏さまの手ってこういう手をしておられるのかも。だから『御手』とかいうのかも、などとつまらない連想をしておりました。













































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































                                           
 
 




政治はホントは好きじゃない、という本音。

2009-01-15 | Weblog
与党も野党も大嫌い。
第一、こんなに豊かで、こんなに命の軽い国にしたのは
誰あろう、この国のシステムを築いた方々、同罪よ。
官僚こそがその大元。腐りきった日本。
敗戦国であっても、愛国心まで捨てたかのよう。
日本人が人間らしかったのは、昭和30年代だという人もいる。

などといって、良くなるもんでもない。
皆生きるために必死なのだ。献身的に働く人も多い。
悪意と欲にまみれた御仁は、そういうお顔をなさっている。
この惨めなカッコ悪い病気、寝たきりへの片道切符を
完治への往復切符に切り換えようだなんて、欲張りかな。
いいえ、できますよ。と勇気を下さった橋本岳先生。
舛添大臣も人間味あふれる方だ。大臣にはお会いした事はないが。

もう社会保障全般が湯水のごとく使われ、公費負担をいいことにずるい者が
ぶら下がりすぎ。これではもたない。
患者会はおねだり団体ではございません。
ただこのままでは、あまりにひどすぎる。生きる権利は難病になったものにもあります。それを人数多いからゆるさんなんて。血も涙も無い仕打ち。
私たち働きたい、役に立ちたい。それが無理だなんて誰が決め付ける。
治したい、と思ってみると、国にその気は殆ど見えなかった。
今は厚労省の思惑通り。研究費が増やされて、医療補助は減額。それでもどこで賄うかが違っているから、大丈夫だと伝え聞く。
いいえ、そういうことより、もっと考えてみてほしい。
このパーキンソン病になる人が激増している。それを食い止めなくっちゃ。
それには原因を究明する事が一番手っ取り早い。
その一番の手がかりを持っているのは、患者当事者。
患者たちが今こそ立ち上がり協力して、この難題を解くのです。
行政も政府も、国民を幸せにするお手伝いをしてくださる方々。
どうぞ、100億の使い道はその原因究明に役立ててほしいのです。
教え子や、子供に、こんな辛さや苦しみは味わわせたくないのです。

そして、不自由でも笑顔だけは差し上げられる。
せめて、ありがとうって言って、お別れしたいですもの。
そして、次の世代にはこんな病気もあったんだよって語り草にしたい。
私のこんな思いは皆さんもおなじはず。背負える方だからこそ、授かった運命。
若年とか、老年とか、関係なく、この病気の方は知的労働者が多く、精勤したり、勉学に励んだ人が多いといわれます。責任感も人一倍とか。
全国見てきてやはりいい人ばかりだった。
素直ですぐ信じるという人も多い。
だからまた思う。患者は搾取されてはならないと。
それを身をもって教えてくださったのが岡山県支部長、大本泉氏。
P病WGの開祖である。その影武者的立役者についても語ろう、次回に。



忘れられない、力強いご挨拶の言葉。

2009-01-15 | Weblog

 印象的なワンシーンが、時々脳裏をかすめることがある。
 2年前のことだ。『特定疾患問題P病ヤール3はずし』に絡んだ最終局面での
 自民党での公聴会。会の本部役員の打ち合わせもなく、事務局が勝手に個人の発表をきめており、いかにも新規認定でおわりそうな雰囲気がちらほら。

 そのヒヤリングの最初に、有村治子さんが言われたお言葉は多分生涯忘れない。
「やっと、難病の方々が我が党〔自民党〕を頼ってきてくださった。この方々のお力になりたい。これまでは外野でやじっていたにすぎないのです。ここでは違います。どうぞ、大変なところをお話ください。私たちはボランティア組織です。でも真剣に問題解決に臨む姿勢の心ある先生がたがあつまっておいでです。どうぞ・・」
そして、山岸民さん(37?)のヤール3と認められほっとしたのもつかの間、また高い薬代が・・・という涙ながらの訴えは多くの代議士の心を打った。この山岸さんのことを見出した方が、丹羽元副会長であることは余り知られていまい。
 後から、時間を終えても、患者全体の問題点から論じた我が訴えをお聞きくださったのも、この難病対策議員連盟の幹事長、原田義明先生と、事務局長の有村治子先生お二人であった。女性でありながら、参議院の元気印と言われるほど。
さわやか、かつ弁舌たくましい、しかもユーモアとウエットに富む政治家になるべくして生まれてきたお方。女性もここまで進化したかと、圧倒された。
 しかも、本質をずばり。男には、これが案外少ない。
小野春子先生も、お元気で、そのご講演も気迫に満ちている。どちらも「はるこ」
という名前なのが、面白い。お二方とも、人を想う熱いお気持ちと、信念をもたれてかっこいい。
 日本男児にこういう方が見られなくなったと思っていたら、私の境遇を知ってか知らずか、ある国会議員の先生が、お忙しい中を隣県から駆けつけて下さり、ある大きな席にご参列いただき、隠されて居た事実を、堂々と言ってくださった。胸のすく思いとはこのことか。
その言葉は昨年の6月、神戸に参集された多くのお仲間が聞いておられたのであえてここでは記すまい。しかし、正義の味方、あたたかな人間性をお持ちの若き議員先生がたに、この国の希望を見る思い。どうぞ、こういう先生がたにしっかり働いていただきたい。選挙では国民の見識が試される。

幾多の教え、その結晶体実現をめざす決意 ~2009年の初めに~

2009-01-12 | Weblog

これまで一体何人のお方にお会いしただろう。
多くの忘れえぬ方々が、私の心に映し出されては消えていく。
その方々には必ず、印象的な深い言葉がある。

 昨日、ある障害者の新年会に参加、2度目であったが、その会長さんが
お辞めになると辞意を表されたとか。
 その会の隅で、次の執行体制について一部の方が円座になって話している。
方や、カラオケタイム。なんともはや、そのデリカシーのなさとまとまりの無さ。
福祉の手立てを頂くお互いの身。いたわりあい、認め合っていきたいものだ。
そこで、『ふるさと』を皆で歌いましょうと提案。
誰もが知るその歌はリクエストもされ、心は一つとなり、好評だった。
歌はいい。みんなが歌う歌はなおいい。ふとそんな事を思った。
お辞めになる理由が哀しすぎた。
後期高齢者制度の影響が濃い、そして老人ホームへ。
優しいかたで、自己犠牲を厭わない方だけに、悔しい気もこみ上げる。
先においとましなければ、次のところに間にあわないので中座。
それにしても、ご高齢の方ばかり。そのお一人からお誘いがあったので
「いかがわしいこといわないでください。主婦にむかってなんですか」と
大声でいってやった。どこにも不心得者はつきものらしい。
あのあと自己嫌悪ながらも、放送大学の体験学習へ。

放送大学は、殊のほか面白かった、実に安くて、実に手軽で、
出来るところから できることを 始めたい
「放送大学院に進みたい」と、 強く思った。
この欲張りかなのか、向学心なのかも、薬のせいか?

 悪い癖だ、あせるまい。人のために先ずできることから貫徹すること。
先ずは、仲間作り、理解者を増やす事。
どこまでできるか、いかにこのよどみない気持ちをより多くの方に
理解していただけるか。
また私の限りない挑戦が始まろうとしている。

寒風吹きすさぶ中、誰あろう、ある国会議員の先生にお会いして
「直訴」するだけのため、いやその地のお仲間に希望の光を届けるためにも
その前、大阪から直訴行脚をはじめようとしている。
そして、患者会をサポートしつつ、互いのあり方を高めあうことで
患者当事者の意識変革を推進していただけたらと思う。

ところで、これもまた時代の流れと言うものだろうか。

今日この日、国立競技場での高校サッカー決勝戦で
広島皆実高校イレブンが渾身の闘いをしている。
さて、その結果は…見たかった…残念・・