皆さん、私、えらそうなこと言って、ごめんなさい。
私の場合は、この難病になってそれを一緒に受け止めてくれた主人がいたから、こんなアホでも『幸せ』でいられるし、一般社会からずり落ちておぼれそうでも「ありがたいこっちゃ」とわらをも引きずり込んで、なおずり上がろうとあがき続けている。おまけに、この病気を「授(さず)かった」のも、「天命」に違いないと思い込んで、あけすけに全部さらけ出している。
この間も石川県支部の集まりにお邪魔して、「きれいな方ですね」なんてヨイショしてくださるものだから、「アラ、でもこれヅラなんですよ」って言っちゃって、うけてしまった。アデランスに表彰されたいぐらい。でも高すぎて被害者の会結成しようかな、とも考え中。
今日、ここを久々に読んで、あるお方のことを思い出しました。
電話でお聞きしただけですけれど、あまりに衝撃的な言葉でした。
それを以下に思い出して、書き留めます。
パーキンとわかるまでの生活は地獄だった。
トイレに間に合わない屈辱。家族に殺してくれと頼んだ日々。
失業、引きこもり、人間の尊厳も何もあったもんじゃない。
でも、彼はP病とわかり、患者会で新しい出会いをする。
生きようとして、生活保護を申請した。生きるための最低限の糧として
福祉の手立てを得る道を選んだ。勇気ある行動だとも思うが、この認定がまた難しい事も現実。彼の知的能力とプライドはかなり高いと、その声と言葉遣いからうかがうことができた。
排泄、歩行、しゃべり、睡眠、全て人間としての基本的な機能が小さく小さくなる難病。当たり前のことができない時間が毎日何度か訪れる。人の優しさやいたわりの思いがあってこそ、生きていけている。
本当に感謝しかない。でも、すぐそれも当たり前になっちゃって、
優しくないと愚痴となり、死にたいなんてガス抜きして、なおも
薬を飲むし、お腹が空けば食べもする。
虐待死かと思える患者がいても、生きてるものの言葉が信用されて
丸く収まるのがこの世。これでいいのだと思うしかない。
今を生きているのは、生き物(食物)の命を毎回いただいてそれがこの体を作り、動かすエネルギーとなってくれているから。だから、生きているというよりは、生かされていると言った方がいいのかもしれない。
小さな人懐っこい近所のお子さんだった。大きくなって難病になり、アメリカへ行き手術も受けた。勉強して再就職は公務員として働いた。でも、生きられる時間は短いと彼は知っていた。彼の遺稿に在る一言が忘れられない。
「今日も自殺のニュースが・・・。お願いです。捨てる命があるのなら僕にください。僕は生きたい、なんとしても。」
彼の祖母は代われるものなら代わってやりたいと泣き続けたが、彼の分も生きようと思いなおされたようだ。ご両親もご立派で共に社会に大きく貢献され、教育の分野での「一筋の道」をなおも進まれている。 ― 以上、記憶を辿ってみました。
「ごみ」と思えば、私などごみ以下です。
でも、うちの義母が言いました。
「悪く取ればきりがない。ものは思いよう、受け取りようよ。」
「思いを自分で切り換えることが大事よ。愚痴に思うても悪いように悪いように考えて、自分で自分を追い込むだけ。」
「人は人。自分のことで精一杯。人は助けちゃくれんよ。自分と自分の家族のことは自分がまいた種。先ずは自分を大事にしなさい」
先輩や友は愚かなる私を見て言ってくれる。
「先ず、自分が元気でいないと何を言ってもだめよ。」
そういえる方は自分の身体からのサインを敏感にキャッチしているし、
それにきちんとその都度的確に対処しようと努力されている。
因があってこその果としての「難病」という生きる上での「課題」。
これをどう解いていくか。大阪で会った和歌山のお姉さまは、ご自分で編み出したダンスを、そして医療ヨガも実践し、カッコイイ。
もう少しで百歳になるおばあちゃんは、長生きしても、昼ごはんの支度に下りれないでいると、飢え死にさせられると泣き喚き、三度のご飯がきちんと食べられる施設にいても、帰る家がないと泣き暮らす。
死にたいと言っては、ご飯はぺろり。人間そうたやすく死ねるものでは
ないらしい。
心筋梗塞、周りはつらいけれど、あっという間の死。お迎えがきたかのようである。
ご本人は幸せかも、と思いきや、心筋梗塞から生還した母曰く、苦しいなどというもんじゃない、ものすごい痛みと苦しさだという。
人は必ず死ぬ。老いも必ず来る。それが早いか遅いか、隠すか隠さないかだ。たった一人でいずれ死ぬ。ならば覚悟しよう。
というわけで、『人間の覚悟』という、五木寛之氏の本にのめりこんだ。精選されつくしたその中身は、ありとあらゆる智恵を覚醒させてくれる。人は、本来臭くてカッコ悪くて、自分さえよければ、という生き物さ。それがけなげにも必死で人間らしく生きようとしている。だから愛おしい存在なんだ。老若男女、関係ない。だから私は、男女の友情を疑いもしないし、男の友達の方が多いのも、気が合うからだ。
この難病にならなければ、とっくに離婚していたかも。夫のよさが、愛情がわかったのは、この病気になってから。毎日が楽しいし、自分もみんなも大好きでいられる。「自分を大事にしてやりなさい」とか、「自然の摂理にしたがった生活を」という、メッセージをこのP病は、私に伝えてくれた。「自分で自分をほめてやり、積極的に生きたほうが楽」だとも。
人に勝たなくていい。自分がいただいたこの宿題を早くしあげて、ポイしましょう。今日も学校のPTCで固まって、先生方や他のお母さんがたに助けていただいた上に、こんなに具合が悪いのに来ていただいて、と感謝してもらった。かたじけない!感謝してもしつくしません。
私はこんないい人たちに囲まれて幸せだから、お迎えはいりません。
謹んでお断りさせていただきます。
はるさん、長くてごめんなさい。
私の場合は、この難病になってそれを一緒に受け止めてくれた主人がいたから、こんなアホでも『幸せ』でいられるし、一般社会からずり落ちておぼれそうでも「ありがたいこっちゃ」とわらをも引きずり込んで、なおずり上がろうとあがき続けている。おまけに、この病気を「授(さず)かった」のも、「天命」に違いないと思い込んで、あけすけに全部さらけ出している。
この間も石川県支部の集まりにお邪魔して、「きれいな方ですね」なんてヨイショしてくださるものだから、「アラ、でもこれヅラなんですよ」って言っちゃって、うけてしまった。アデランスに表彰されたいぐらい。でも高すぎて被害者の会結成しようかな、とも考え中。
今日、ここを久々に読んで、あるお方のことを思い出しました。
電話でお聞きしただけですけれど、あまりに衝撃的な言葉でした。
それを以下に思い出して、書き留めます。
パーキンとわかるまでの生活は地獄だった。
トイレに間に合わない屈辱。家族に殺してくれと頼んだ日々。
失業、引きこもり、人間の尊厳も何もあったもんじゃない。
でも、彼はP病とわかり、患者会で新しい出会いをする。
生きようとして、生活保護を申請した。生きるための最低限の糧として
福祉の手立てを得る道を選んだ。勇気ある行動だとも思うが、この認定がまた難しい事も現実。彼の知的能力とプライドはかなり高いと、その声と言葉遣いからうかがうことができた。
排泄、歩行、しゃべり、睡眠、全て人間としての基本的な機能が小さく小さくなる難病。当たり前のことができない時間が毎日何度か訪れる。人の優しさやいたわりの思いがあってこそ、生きていけている。
本当に感謝しかない。でも、すぐそれも当たり前になっちゃって、
優しくないと愚痴となり、死にたいなんてガス抜きして、なおも
薬を飲むし、お腹が空けば食べもする。
虐待死かと思える患者がいても、生きてるものの言葉が信用されて
丸く収まるのがこの世。これでいいのだと思うしかない。
今を生きているのは、生き物(食物)の命を毎回いただいてそれがこの体を作り、動かすエネルギーとなってくれているから。だから、生きているというよりは、生かされていると言った方がいいのかもしれない。
小さな人懐っこい近所のお子さんだった。大きくなって難病になり、アメリカへ行き手術も受けた。勉強して再就職は公務員として働いた。でも、生きられる時間は短いと彼は知っていた。彼の遺稿に在る一言が忘れられない。
「今日も自殺のニュースが・・・。お願いです。捨てる命があるのなら僕にください。僕は生きたい、なんとしても。」
彼の祖母は代われるものなら代わってやりたいと泣き続けたが、彼の分も生きようと思いなおされたようだ。ご両親もご立派で共に社会に大きく貢献され、教育の分野での「一筋の道」をなおも進まれている。 ― 以上、記憶を辿ってみました。
「ごみ」と思えば、私などごみ以下です。
でも、うちの義母が言いました。
「悪く取ればきりがない。ものは思いよう、受け取りようよ。」
「思いを自分で切り換えることが大事よ。愚痴に思うても悪いように悪いように考えて、自分で自分を追い込むだけ。」
「人は人。自分のことで精一杯。人は助けちゃくれんよ。自分と自分の家族のことは自分がまいた種。先ずは自分を大事にしなさい」
先輩や友は愚かなる私を見て言ってくれる。
「先ず、自分が元気でいないと何を言ってもだめよ。」
そういえる方は自分の身体からのサインを敏感にキャッチしているし、
それにきちんとその都度的確に対処しようと努力されている。
因があってこその果としての「難病」という生きる上での「課題」。
これをどう解いていくか。大阪で会った和歌山のお姉さまは、ご自分で編み出したダンスを、そして医療ヨガも実践し、カッコイイ。
もう少しで百歳になるおばあちゃんは、長生きしても、昼ごはんの支度に下りれないでいると、飢え死にさせられると泣き喚き、三度のご飯がきちんと食べられる施設にいても、帰る家がないと泣き暮らす。
死にたいと言っては、ご飯はぺろり。人間そうたやすく死ねるものでは
ないらしい。
心筋梗塞、周りはつらいけれど、あっという間の死。お迎えがきたかのようである。
ご本人は幸せかも、と思いきや、心筋梗塞から生還した母曰く、苦しいなどというもんじゃない、ものすごい痛みと苦しさだという。
人は必ず死ぬ。老いも必ず来る。それが早いか遅いか、隠すか隠さないかだ。たった一人でいずれ死ぬ。ならば覚悟しよう。
というわけで、『人間の覚悟』という、五木寛之氏の本にのめりこんだ。精選されつくしたその中身は、ありとあらゆる智恵を覚醒させてくれる。人は、本来臭くてカッコ悪くて、自分さえよければ、という生き物さ。それがけなげにも必死で人間らしく生きようとしている。だから愛おしい存在なんだ。老若男女、関係ない。だから私は、男女の友情を疑いもしないし、男の友達の方が多いのも、気が合うからだ。
この難病にならなければ、とっくに離婚していたかも。夫のよさが、愛情がわかったのは、この病気になってから。毎日が楽しいし、自分もみんなも大好きでいられる。「自分を大事にしてやりなさい」とか、「自然の摂理にしたがった生活を」という、メッセージをこのP病は、私に伝えてくれた。「自分で自分をほめてやり、積極的に生きたほうが楽」だとも。
人に勝たなくていい。自分がいただいたこの宿題を早くしあげて、ポイしましょう。今日も学校のPTCで固まって、先生方や他のお母さんがたに助けていただいた上に、こんなに具合が悪いのに来ていただいて、と感謝してもらった。かたじけない!感謝してもしつくしません。
私はこんないい人たちに囲まれて幸せだから、お迎えはいりません。
謹んでお断りさせていただきます。
はるさん、長くてごめんなさい。