P病のお友達は、みんな個性豊かで、才能のあるかたが多いにゃん。
ネコではない。鍋ネコならぬ、布団犬がうちにいますが…
そういう方々は、私のブログのこと、思い出してくれるはずと期待して
約一月遅れたお詫びに、輸血大サービス、ちがった?
私のここ数年の本業から学んだこと。
つい書き下ろしの原稿を、付録として、載せますね。
今年の総会で出た質問の一つ、それがなぜか議事録には見あたらないが、うろ覚えの記憶をたどると・・・
「特定疾患は、厚労省の特定懇で、ヤ-ル3は切られたはずですが、自公の決議で逆転しました。そしてP病WGまでできましたが、どうしてなのか本部の方はその裏事情を知っているはずですが」と言う趣旨の質問であった。これにお答えすべきは私でしたが、あの時、議事運営委員長でもあり控えるべきとの判断をしたが、今ここにお答えしたい。
「鋭いご質問ですね。議案書にもあろうかと思いますが、
第一には、皆さんの各地方からの運動の盛り上がりが、確実に
世論を変えた、と言う点。その主張が『5万人を超えても
難病は難病だ』と言う解りやすさから、世間で即、多くの理解が
得られたからとも言えましょう。皆さんが、後半の矢継早の事務局指令に
よる対応も早く、その事務局も相当多忙を極められた。
しかし、行政は一度言ったことは、簡単には変更しないのが通常です。
今回は、JPAとの連携が上手く実を結び、与党の難病関係の議員の
公聴会で、一部体験談として好感触を得たことと、各支部でさまざまな
人脈から、与党への説得があったおかげでもありますが、公聴会では
新疾病加入が有利との感じを強くもち、切羽詰る思いでその直後に
私は原田幹事長に直訴を許され、翌日の厚労部会で決するということで、
必死で説得、かつ『美しい日本のために』と題するレポートを一読していただき、すぐに「これをすぐに明日の部会の皆さんに配るように」と指示されたのには
驚きでした。
その内容は、恵まれていると思われがちな、P病患者の知られざる
裏の実情と終わりなき療養生活と絶望との戦い。
そして最も患者が望む原因究明からの完治こそが、
社会補償費の減少化と予防策、偏見の打破につながると、
国力の充実と国民の幸せのために、実情にあった根本的な
総合的施策の見直しと、難病問題に対する国の責務を求めたものでした。
要は、患者会というものは、おねだりや同情を煽るのではなく、
健康な心身を回復することが、患者家族を含む国民の幸せの
前提条件なのだから、人として当たり前の要求であり、公害の
ような地域環境によるものではなく、食を含む国民の環境問題からだと
見据えるとともに、この問題解決に国家を挙げて取り組んでほしいと
主張しつづける。老いも若いも、東西南北も、右も左もない。
国民が一体となって、『難病大国』の汚名返上に立ち上がることを、
創起させうる社会運動団体なのです。この主張から、難病と諦めず『完治』を目指す患者会と理解され、難病対策は何とかしなくてはという人道的判断で
救われたと考えます。
そもそも、この特定疾患問題は行政レベルでは解決できる問題
ではなく、国の国民の健康問題への姿勢を問うもので与党がそれを
理解し、動かなければ弱い患者同士が少ないパイを争い奪い合うと
いう結果にしかならないもので、「これまで野党にばかり頼ってきた
患者会が初めて責任政党である自民党を頼ってきてくれた。これまでは
申し訳ないが、犬の遠吠えで自己満足して来たに過ぎない。難病である
この人たちの力になりたい」と冒頭に挨拶されたA先生の言葉に
象徴されるように、与党の理解と支援を得た我々の勝利であったのです。
この背景には難病者の急増と社会保障費の増額という国民的な問題が
あってのことで、特定疾患は制度でなく事業であるため予算の限界もあり、
しかも実施主体は都道府県にあるというものだけに、今後予算獲得だけでなく
難病全体を見据えた形でこれからを共に考えていく姿勢を持たなければ
ならないことを示唆しています。ですから今後、WGが成果を収めつつ、
超党派に拡大していくことが是非必要なのです。以上です。」
これは答弁と言うより演説に近いが、この特定疾患問題への取り組みを
通して、この友の会は大きく変容したのである。かつて野党に頼って
抵抗運動で自己満足に終わっていた時代は終わりを告げたのでもあるといえる。
自己愛でなく、献身的使命感は、相手の善意を喚起せずには置かないはず。
サプライズ、感動と共感がそこにある。
そう信じている者が、この世にひとりはいてもいいよね。ねえ、甘いかな?
これ、次に続く人に託したい思い①です。自慢話ではありませんのでお許しを。
ネコではない。鍋ネコならぬ、布団犬がうちにいますが…
そういう方々は、私のブログのこと、思い出してくれるはずと期待して
約一月遅れたお詫びに、輸血大サービス、ちがった?
私のここ数年の本業から学んだこと。
つい書き下ろしの原稿を、付録として、載せますね。
今年の総会で出た質問の一つ、それがなぜか議事録には見あたらないが、うろ覚えの記憶をたどると・・・
「特定疾患は、厚労省の特定懇で、ヤ-ル3は切られたはずですが、自公の決議で逆転しました。そしてP病WGまでできましたが、どうしてなのか本部の方はその裏事情を知っているはずですが」と言う趣旨の質問であった。これにお答えすべきは私でしたが、あの時、議事運営委員長でもあり控えるべきとの判断をしたが、今ここにお答えしたい。
「鋭いご質問ですね。議案書にもあろうかと思いますが、
第一には、皆さんの各地方からの運動の盛り上がりが、確実に
世論を変えた、と言う点。その主張が『5万人を超えても
難病は難病だ』と言う解りやすさから、世間で即、多くの理解が
得られたからとも言えましょう。皆さんが、後半の矢継早の事務局指令に
よる対応も早く、その事務局も相当多忙を極められた。
しかし、行政は一度言ったことは、簡単には変更しないのが通常です。
今回は、JPAとの連携が上手く実を結び、与党の難病関係の議員の
公聴会で、一部体験談として好感触を得たことと、各支部でさまざまな
人脈から、与党への説得があったおかげでもありますが、公聴会では
新疾病加入が有利との感じを強くもち、切羽詰る思いでその直後に
私は原田幹事長に直訴を許され、翌日の厚労部会で決するということで、
必死で説得、かつ『美しい日本のために』と題するレポートを一読していただき、すぐに「これをすぐに明日の部会の皆さんに配るように」と指示されたのには
驚きでした。
その内容は、恵まれていると思われがちな、P病患者の知られざる
裏の実情と終わりなき療養生活と絶望との戦い。
そして最も患者が望む原因究明からの完治こそが、
社会補償費の減少化と予防策、偏見の打破につながると、
国力の充実と国民の幸せのために、実情にあった根本的な
総合的施策の見直しと、難病問題に対する国の責務を求めたものでした。
要は、患者会というものは、おねだりや同情を煽るのではなく、
健康な心身を回復することが、患者家族を含む国民の幸せの
前提条件なのだから、人として当たり前の要求であり、公害の
ような地域環境によるものではなく、食を含む国民の環境問題からだと
見据えるとともに、この問題解決に国家を挙げて取り組んでほしいと
主張しつづける。老いも若いも、東西南北も、右も左もない。
国民が一体となって、『難病大国』の汚名返上に立ち上がることを、
創起させうる社会運動団体なのです。この主張から、難病と諦めず『完治』を目指す患者会と理解され、難病対策は何とかしなくてはという人道的判断で
救われたと考えます。
そもそも、この特定疾患問題は行政レベルでは解決できる問題
ではなく、国の国民の健康問題への姿勢を問うもので与党がそれを
理解し、動かなければ弱い患者同士が少ないパイを争い奪い合うと
いう結果にしかならないもので、「これまで野党にばかり頼ってきた
患者会が初めて責任政党である自民党を頼ってきてくれた。これまでは
申し訳ないが、犬の遠吠えで自己満足して来たに過ぎない。難病である
この人たちの力になりたい」と冒頭に挨拶されたA先生の言葉に
象徴されるように、与党の理解と支援を得た我々の勝利であったのです。
この背景には難病者の急増と社会保障費の増額という国民的な問題が
あってのことで、特定疾患は制度でなく事業であるため予算の限界もあり、
しかも実施主体は都道府県にあるというものだけに、今後予算獲得だけでなく
難病全体を見据えた形でこれからを共に考えていく姿勢を持たなければ
ならないことを示唆しています。ですから今後、WGが成果を収めつつ、
超党派に拡大していくことが是非必要なのです。以上です。」
これは答弁と言うより演説に近いが、この特定疾患問題への取り組みを
通して、この友の会は大きく変容したのである。かつて野党に頼って
抵抗運動で自己満足に終わっていた時代は終わりを告げたのでもあるといえる。
自己愛でなく、献身的使命感は、相手の善意を喚起せずには置かないはず。
サプライズ、感動と共感がそこにある。
そう信じている者が、この世にひとりはいてもいいよね。ねえ、甘いかな?
これ、次に続く人に託したい思い①です。自慢話ではありませんのでお許しを。