前回の続きです。
「愛するということ」 エーリッヒ・フロム
愛とは与えること、もらうことではない。
ーーーーーーーーーーーーーー
与えるとは、
自分自身を、自分の一番大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。
これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。
そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。
自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、
自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。
このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、
自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。
もらうために与えるのではない。
与えること自体がこのうえない喜びなのだ。
だが、与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、
その生まれたものは自分にはね返ってくる。
本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになるのだ。
与えるということは、他人をも与える者にするということであり、
たがいに相手のなかに芽生えさせたものから得る喜びを分かち合うのである。
与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、
たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。
特に愛に限っていえば、こういうことになる。
ー 愛とは、愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。
…
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
この積極的な配慮のないところに愛はない。
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愛するためには、自分が生産的な段階に達していなければならないのです。
「愛するということ」 エーリッヒ・フロム
愛とは与えること、もらうことではない。
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与えるとは、
自分自身を、自分の一番大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。
これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。
そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。
自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、
自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。
このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、
自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。
もらうために与えるのではない。
与えること自体がこのうえない喜びなのだ。
だが、与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、
その生まれたものは自分にはね返ってくる。
本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになるのだ。
与えるということは、他人をも与える者にするということであり、
たがいに相手のなかに芽生えさせたものから得る喜びを分かち合うのである。
与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、
たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。
特に愛に限っていえば、こういうことになる。
ー 愛とは、愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。
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愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
この積極的な配慮のないところに愛はない。
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愛するためには、自分が生産的な段階に達していなければならないのです。
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