彩人~irodori_bito~ の ひとりごと

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「愛するということ」

2017-03-18 11:33:51 | 私の学び 講演会・セミナー・本
「愛するということ」 エーリッヒ・フロム より

共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。

愛は人間のなかにある能動的な力である。

人を他の人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。

愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

愛においては二人が一人になり、しかも二人であり続けるという、パラドックスが起きる。

愛は活動であると言ってしまうと、いささか面倒な問題が生じる。

「活動」という言葉の意味が曖昧だからである。

現代の用法では、「活動」というと、エネルギーを費やして現在の状況に変化を与えるような行動を指す。

したがって、事業に取り組んだり、医学を勉強したり、…、スポーツに興じたりすると、その人は活動的だとみなされる。

これらの活動すべてに共通しているのは、達成すべき目標が自分の外側にあるという点である。

活動の動機は考慮に入っていない。

たとえば強い不安と孤独感にさいなまれて休みなく仕事に駆り立てられる人もいれば、野心や金銭欲から仕事に没頭する人もいる。

どちらの人も情熱の奴隷になっており、彼の活動は、能動的に見えて実は「受動的」である。

自分の意思ではなく、駆り立てられているのだから

いっぽう、静かに椅子に座って、自分自身に耳を傾け、世界との一体感を味わうこと以外なんの目的ももたずに、ひたすら物思いにふけっている人は、外見的には何もしていないので、「受動的」と言われる。

だがじっさいは、この精神を集中した瞑想の姿勢は、もっとも高度な活動である。

内面的な自由と独立がなければ実現できない、魂の活動である。

活動の一つの意味、すなわち現代における意味は、自分の外にある目的のためにエネルギーを注ぐということであり、もう一つの意味は、外界の変化には関わりなく、自分に本来備わっている力を用いるということである。



愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない

その中に「落ちる」ものではなく「みずから踏み込む」ものである。

愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、

愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

ということができよう。



そういうことです!

今日はここまで。

「与える」についてはまた後日



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