従軍紀念碑 1896(明治29)年10月 三重村尚武会
裏に、日清戦争に従軍した「外征陸軍軍人」23名と、「内戍陸軍軍人」9名、「病死」1名の名前が記されています。
(日露戦争戦死者の碑) 1914(大正3)年3月7日 表には中学校長による追悼文で、1905(明治38)年3月7日享年24で戦死したことが記されています。また、裏に記された名前から建立者は父親であると思われます。
護国社
『終戦50周年三重県遺族会記念史』によると1955年に設置されたということです。
慰霊碑 1952年6月 下野村 「三重県知事 青木理 書」
忠魂碑 建立年不明
「陸軍中将渡辺章 書」
裏に以下の戦没者を対象としたものであることが記されています。 明治二十七八年日清戦役戦没者2名 明治三十七八年日露戦役戦没者11名 大正七年起シベリア出兵戦没者1名 昭和十二年起日支事変戦没者14名 昭和十六年起大東亜戦争戦没者109名
慰霊塔 1957年3月10日 保々村 「建碑発起 帝国在郷軍人会保々村分会」
表忠碑 下部の四面に 、それぞれ「日露戦死者」「支那事変」「大東亜戦死者」の名前、没年などが記されています。 まず日露戦争戦死者の碑として建立された後に、「支那事変」「大東亜戦」の戦死者を追加したものと思われます。
出征之碑 1980年8月15日 「四日市市長加藤寛嗣書」
「支那事変(昭和十二年)」「 大東亜戦争(昭和十六年)」「戦没者」 「出征者」
日露戦役表忠碑 1967年11月水澤村
「陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵奥保鞏書」
大東亜戦争戦没者共同墓所
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