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一般市民が綴る「平成皇室実録」

平成を生きた一般市民の目に皇室はどのように見えていたか。ありのままに綴ることを目指します。

■平成皇室実録(4):雅子さまご懐妊へ、かくも長き道程

2017年12月05日 | 記録
1993年
 06月 皇太子徳仁親王と小和田雅子嬢(29歳)ご成婚。
 「宮中に慣れるため3年は懐妊を控えるように」と同じく民間から皇太子妃にあがった美智子さまのアドバイスがあったと報じられる。

1994年
 02月 雅子様の風邪が長引き、その後の御召し物がゆったりしたものであったため、ご懐妊報道が過熱し始める。
 これを受け、皇太子さまはご成婚1年目の会見で、「あまり波風が立つとコウノトリのご機嫌を損ねる」と過熱報道を窘められる。

 05月 秋篠宮妃がご懐妊を発表。12月に次女誕生。

★海外で雅子様をめぐる報道が増え始める
 外交官出身として親善外交での活躍が期待されたが、皇位継承権者出産のプレッシャーに押しつぶされているという論調。 
exイタリア紙「沈黙する悲しみの妃」、ニューズウィーク「姿を消したプリンセス」など。

★不妊治療を始められたと報じられる
 皇太子さまの留守を見計らい、宮内庁幹部が雅子さまを訪問し、生理の周期などご体調に付き詰問することもあったという。

★皇太子ご夫妻の海外訪問が禁じられる
 男子誕生を優先事項とするため、宮内庁長官により皇太子ご夫妻の海外訪問が禁じられたと報じられる。
 これにつき、故三笠宮寬仁親王と旧皇族に連なる竹田××氏は、雅子さまの能力が活かせるご公務をして頂いたほうが、
 精神的充足感もあり体調も良くなるのではないか。懐妊を理由とした訪問取りやめは外交上失礼ではないので、海外
 訪問禁足は不要とする説を、(後に)語っておられる。
 しかし、千代田側の意向として、数年にわたり皇太子ご夫妻の海外訪問は禁じられた。

1997年
 シラク大統領から皇太子ご夫妻への訪仏の招待にもかかわらず、紀宮様がフランスへ。

1999年
 ドイツにおける日本年の名誉総裁は皇太子さまであり、皇太子ご夫妻が招待されたにもかかわらず、秋篠宮夫妻がドイツへ。

<資料>ご成婚から20年間での外遊回数
 昭和の皇太子ご夫妻(正式記録が平成以降のため不正確ながら、50回以上)
 平成の皇太子ご夫妻 6回 10か国(慶弔訪問含む)
 秋篠宮ご夫妻    25回 29か国(私的海外訪問の多くは含まず)

12月 雅子さま、妊娠5週目と朝日新聞がスクープ。
    胎児の心音が確認できていない5週目のスクープに非難が集まる。

 同月30日、宮内庁病院にて流産の処置。

2000年

 02月 雅子さま、流産処置から2か月で公務に復帰される。
 
 06月 16日、香淳皇后崩御。

 07月 1か月の殯(もがり)を経た25日、香淳皇后の斂葬の儀が行われる。
 この間、雅子さまも昼夜交代で棺に付き添われるなどされたが、斂葬の儀当日体調が悪く欠席された。
 このことが報道され波紋を呼んだが、この時実際にはご懐妊の兆候があったため、大事をとる必要があったと後に報じられる。

2001年

 03月 雅子さまに対し海外禁足を敷いた宮内庁長官が退官。
    不妊治療のスペシャリストである東大医学部の堤教授が東宮御用掛に就任。

 05月 雅子様(37歳)のご懐妊が正式発表される。

★小泉首相、女性天皇を認める皇室典範改正を提案
 小泉首相は、東宮家に新宮さまがご誕生される前に、女性天皇を認める皇室典範を改正するべきと提案。
 与党幹事長も賛意を示し世論調査も歓迎したが、保守系議員と神社界の反発あり、
 お身体に障ってはならないと、議論が鎮静化した。

★インターネット巨大掲示板で「流産祈願」スレッド乱立
 雅子さまご懐妊が発表されると、ネットの巨大掲示板には「流産祈願」のスレッドが乱立した。
 これが現在のネットから週刊誌に及ぶ東宮ご一家バッシングの始まりか。

 12月 1日、皇太子ご夫妻の第一子、敬宮愛子内親王殿下ご誕生。

★高松宮喜久子妃殿下、女性天皇に賛意
 皇室最高齢の高松宮喜久子妃殿下が、『婦人公論』1月22日号に次のように寄稿された。
「女性が第127代天皇さまとして御即位あそばすことは日本の長い歴史に鑑みて決して不自然なことではない」

<資料>愛子さまご誕生を祝う記帳77万人
 12月2日夕刻にもかかわらず、「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」には2万5千人以上が集まった。
・皇居および宮内庁が管理する施設での記帳12万人。宮内庁は記帳に訪れる人が多いため、記帳所を増やし、記帳時間を延長して対応。
・全国自治体、神社、大使館関係の記帳は65万人。


★男子懐妊を詰め寄った宮内庁幹部
 一般国民の大歓迎をよそに、ご出産間もない雅子さまのベッドサイドを訪れた宮内庁幹部は、
「これで、お子様が授かれることは証明できたので、次こそは男子を」と詰め寄ったと報じられている。
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