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中米ニカラグアとの架け橋 JICAでの活動

2010年6月21日より中米ニカラグアに派遣されました。日本との架け橋を目標に2年間の日々を書いていきます。

補強工事開始。

2011-03-23 | 日記

 今週は、仕事をまだしていないがあっという間に水曜日になってしまった。時間が経つのは本当に早い。公園の天井工事ももう終盤になっていた。ここで、日本の地震があった事もありやっと、補強工事をすることが決まった。結局7つのプランを出したうちの2番目のプランに戻った形になった。問題は、基礎工事が少し浅い点だったが、橋と同じような強度計算で上に力を逃がすように考えた。今週で屋根の取り付け工事が終わり、来週より補強工事に着手する。補強工事が決まったので市長の気が変わらないうちに早めに着手したい。

 

 それとは、別に現在手がけている家の図面があった。先週提出したが面積の違いからも一度提出を求められていた。このやり取りにもだんだん慣れてきたのが恐ろしいとことであるが本日もう一度提出したところ屋根の形やベランダが気に入られずもう一度の提出を求められた。同じく積算の提出も求められた為、また、スペイン語との格闘が始まった。金額についてはカウンターパートに振ったこともあり今回は、物だけでいいので図面が出来上がれば何とかなるのだが・・・・・。なんにせよ時間がない。積算も同時に進めたかったのでまずは、一つ一つ物から拾っていくことにした。カウンターパートも一緒に手伝ってもらい何とか22時頃には全体の施工数量がはじき出すことができた。明日、カウンターパートに、単価を入れてもらうと積算が完成する。

 

 

※まだ、屋根には登っていないが、やっぱ怖いな~~

 


アルカルディアでベビーシャワー 2011.3.22

2011-03-22 | 日記

 一日中、部屋の中にいると昨日から時間が進んでいないような感覚になりそうだ。朝起きても任地に帰るのがとても億劫になってきた。やばい、やばい!気を引き締めなきゃ!と自分に言い聞かせる。すぐに来てもらうようにタクシー運転手に電話をした。今日はすんなりと電話が繋がった。到着と同時に連絡所をでた。どうも連絡所にいると体の力が奪われているような気になる。というか何もやりたくなくなってしまう。これでは、まずい。これからはできるだけ連絡所にいる時間を減らすように考えていきたい。せっかく、ニカラグアに来たのに月曜日何もしなかっただけですごく時間を無駄に過ごしてしまった気がする。もっと時間を有効に使いたい。

 クアパには15時半についた。市役所のミレーナの赤ちゃんが1ヵ月後に生まれるというので18時からベビーシャワーのパーティーがあると電話が入った。家に帰り休憩をして17時半に市役所に向かった。ベビーシャワーについては以前紹介したが赤ちゃんが生まれる前のパーティーである。パーティーは18時に始まった。役所のメンバーが考えたイベントとたくさんの踊りで会場は盛り上がった。最後は、カウンターパートのアルビンがマイクを離さずカラオケで締め括られた。私も歌え、歌えと言われたものの何の歌を歌っていいか分からず今回は断念をした。もう少しでニカラグアに来て一年になるのでそろそろ一曲ぐらいは、南米の曲を歌えるようになってもいい時期なのかもしれない。

 ※コウノトリが赤ちゃんを運んでくるのは、日本でもニカラグアでも同じのようだ。 

 


マナグアでストライキ!

2011-03-21 | 日記

 朝起き、タクシー運転手に連絡したがなかなかつかまらない。何人か電話をかけているうちに一人の運転手と連絡が取れた。すると、今日は運輸省に対するストライキの日だと言われた。どうりでなかなか運転手がつかまらなかったわけだ。バスも一緒で動いているか動いていないかわからないと言う。いっても仕方が無く帰ってくるのはいやなのでそんなに焦る事も無いので今日は、強制休みの日とした。連絡所にも月曜日とあって人が誰もいない。広い連絡所の中に一人である。任地からか持ってきた洗濯物一週間分と旅行に行った洗濯物を洗濯した。一週間分の洗濯物はかなりの量。なんでこんなに洗濯物が多いのかといつも思ってしまう。

 時間も余ったため、というかやることはたくさんあるのに連絡所にいるとボーっとしてしまう。先日アビソボックス(個人ロッカー)にKTCのアンケート用紙が入っていた事を思い出した。こんな時じゃないとアンケートなんて書くことができないとアンケートを書いた。中身は、駒ヶ根訓練所での講義アンケートだった。半年たってからの講義など忘れているものかなと思いきやつい先日のように思い出す。たった2ヶ月の研修だったが中身はかなり印象的だったのだろう。今の生活に語学以外はどのように直接役にたっているかわからないが講義の一つ一つが重要だった気がする。

 食事は、日本より持ってきたソバを作って食べた。結局、朝から夜まで一度も外に行かず文字通り引きこもり人間になってしまった一日だった。

今日やったことといえばアンケートを送っただけ・・・・。


板長との食事会

2011-03-20 | 日記

 昨日のダンスは、夜中の2時ごろまで続いたようだ。ホテルについても外から聞こえてくるダンスミュージックが大音量でかかっていた。

 朝、ぎらぎらした太陽に起こされた。時間は8時30分。日にあたった重い体を引きずりながらロビーに向かった。朝食は、パンケーキとフルーツ、コーヒーとパン。パンケーキとパンって!なんか変化がほしいとつっこみながらもおいしく頂いた。朝食を食べたお陰で気分もよくなってきたので水着を着てもう一度海に入る事にした。昨日にもまして海の水が冷たい。カリブ海では、まったく冷たくなかったがさすがに太平洋なんだなとまたまた実感した。

 12時になりなんとも名残惜しいがチェックアウトをしてホテルを後にした。帰りのバスを聞くと日曜日は一日2本しかバスがなく、次のバスは17時だよと言われた。そこで、帰りも行きと同様にタクシーを使ってリバスまで行く事にした。交渉したところ料金も前回同様10ドル。細かいドルをたくさん持ってきたかいがあったと自己満足。

 

 

リバスのメルカドに行く予定だったもののタクシーの運転手が今日は日曜日だからマナグア行きはあまり走っていない。そこで大きい道で待っているほうがいいといわれたので道のバス停で待っていた。15分ほどしてマナグア行きの大型のバスが到着した。大型のバスは結局、メルカドを通ってマナグアに帰ったがお陰で座ることができた。ちょっとバスが来るまで不安だったがだまされずにすんでよかった。バスも早く予定より30分ほど早い3時30分にはマナグアに着いていた。タクシーに乗りマナグアのマクドナルドで昼食を食べた。最近、マナグアに来るときは必ずと言っていいほどマクドナルドに来ている気がする。この世界共通の味が恋しくなってしまう。

 明日は、事務所によるよていだったが春分の日の為休みだと連絡所に行き知ってしまった。そこで今更任地にも戻れない時間なので、ニカラグアにあるすし屋さんの板長に連絡を取って22時より食事をすることにした。以前より板長とは食事をする約束をしていたもののお互い時間が合わず食事をする機会がなかった。

 板長は、協力隊ではないがニカラグアで生活をして長い。当時はニカラグアでバイトから始めたというかなりの苦労者。現在の職を得るまでかなりの苦労があったと言っていた。今日はすばらしい仲間に会えて本当によかったと思う。これからも縁は大事にしていきたい。


コスタリカ近くの港町  サンファンデル・スール

2011-03-19 | 日記

 コスタリカに近いサンファンデル・スールという町に向かった。クアパ~マナグアまで4時間、マナグアのバス停マジョレオからウエンベスというバス停までタクシーで20分。ウエンベスからリバスという町までバスに乗っていく。バスは黄色いバスがエクスプレス(高速バス)だと聞いていた。バスは15分から30分の間隔で走っていた。料金は40コルドバ(180円)時間は2時間半ほどかかった。風景は、フィガルパでのバスより家などが多いものの酪農地や荒地が広がるニカラグア的な風景だった。バスは、リバスのメルカド(出店売り場)に止まった。リバスは、大きい町だった。海も近いだけあり海産物もメルカドで売っていた。

 

 リバスよりサンファンデル・スールには、バスかタクシーがあるという。事前に聞いていたところではタクシーはサンファンデル・スールまで300コルドバ(1100円)と聞いていた。しかしタクシーの運転手が10ドル(800円)でいってくれるといったのでタクシーで行くことにした。リバスからサンファンデル・スールまでタクシーで30分ほど。ホテルも特に決めてなかったのでタクシーの運転手に聞いた。だいいたい25~50ドルくらいのホテルが相場らしい。

 

そこで海のすぐ近くのホテルに行ってくれるようにタクシーの運転手に頼んだ。ホテルの名前はカサブランカ。どっかで聞いたことのある名前である。

そういえば、語学研修の際に使っていたホテルの名前もカサブランカであった。リバスはそれほど暑さを感じなかったが、サンファンデル・スールに到着した途端太陽がとても近くに感じた。何も考えずにホテルのロビーに行き今日泊れるかどうか聞いた。空いている部屋があり泊る事ができるという。支払いは、今回はカードで支払った。サインの際に料金を見てちょっとどきっとした。頭の中では50ドルぐらいのはずだったものの75ドルの支払いだった。マナグアで75ドルの支払いぐらいだとちょっとした高級ホテルに泊れちゃう。

 

実際はもう少し探せばよかったかな!?

 

とちょっと思ったが後の祭り。でも観光地にせっかく来たのでちょっと贅沢しなくちゃね。部屋は、6畳ほどのダブルベット。エアコン、冷蔵庫、シャワー、セキュリティーボックス、テレビが完備されていた。シャンプー、リンス、石鹸などはあったもののサービスドリンク、歯ブラシ、ドライヤー等はなかった。前面は曇ガラス張りだったが残念ながら海には面していなかった為ホテルから海を眺めることはできなかった。ホテル自体は、きれいでプールも完備、朝食もついていた。

 海に入りたい気持ちを抑えて昼食を取る事にした。時計を見ると丁度13時だった。マナグアの連絡所を8時に出て4時間で現地に着いた。朝食をとっていなかったお腹の虫がうめき声をあげていた。

 

 近くのレストランで昼食取る事にした。料理は、セビッチェといわれる貝とロブスターをレモンなどで合わしたものと魚のフライをタルタルソースで食べた。海のものは、最高だった。何でも食べられる日本人に生まれてよかった。潮風が心地よかった。

 お腹も満足して町を少し歩き回る事にした。サンファンデル・スールは外国人の観光スポットである。特にアメリカ人やヨーロッパ人がバカンスで着ている事が多く町中にはたくさんの旅行者がいる。その為町の中には、スポーツバーやクラブ、射的など外国人をターゲットにしたお店がたくさん並んでいた。

 

 ホテルに戻り、水着を着て海に向かった。外の気温とは違い海の中はとても冷たかった。海はきれいだったものの砂が細かい為、海の中は砂で濁っていた。ダイビングショップを探そうと思ったが少し風が強かった為今回は諦める事にした。また、前回のように海に入っただけで終わってしまうのは悲しすぎる為である。

 楽しい時間はあっという間に終わってしまう。夕日がホテルに戻る時間を教えてくれる。陽が沈んでいく姿はとても好きだ。陽が今日一日がんばった姿を残す為まだできる精一杯の姿を見せる。そして海はそれを受け止めるかのように暖かい手を差し伸べる。二つの風景がマッチした時、陽が一番きれいな姿を見せる。

 夕食は、海の見えるレストランで食べた。今回は、タイのフリット(タイ揚げ)とタコの素焼き。久々にタコを食べたような気がする。さすがに醤油は無かったもののワインビネガーでおいしく食べた。となりにいたアメリカ人と仲良くなり話をした。マイアミからバカンスに来ている5人組の男女だった。10泊で来ているらしいがニカラグアに住んでいることを話したところニカラグアでお勧めの場所を聞かれた。食事も終わりレストランにはダンスミュージックがかかりだした。砂浜のレストランはたちまちダンスホールに変身した。マイアミから来た5人組も踊り始め夜中の2時までダンスは続いた。