1、放射能の健康への影響
久しぶりの更新です。厳しい寒さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
最近改めて、放射能の健康への影響の問題について考えていました。
原発事故から6年と9ケ月が経過し、放射線被ばくによる健康への影響は「ない」、もしくは「極めて軽微」なものとする風潮がますます強まってきています。
確かに、低線量被ばくの影響はいまだ分かっていないことが多く、因果関係を現時点でははっきりと特定することはできない部分があります。しかしそれはあくまで現段階では因果関係を「識別できない」ということなのであって、原発事故による健康への影響が「ない」ということにはなりません。「識別できない」ということと「存在しない」ということとをイコールにして、この問題についての議論が終わらせようとしている風潮があることを感じ、強い危機感を覚えています。現時点では影響がはっきりと「識別できない」からこそ、そのリスクに対してできる限り注意を払い続けることが重要なのであり、長期的・継続的な検査をしてゆくことが不可欠であると考えます。
原発事故を過小評価しようとする風潮がますます強まる中にあって、何とかこの流れに抗ってゆけないものかと考え続けています。
2、「不安」の正当性
この問題を考えるにあたって大切な示唆を与えられた本をご紹介します。今年の3月に発刊された伊藤浩志氏の『復興ストレス 失われゆく被災の言葉』(彩流社)という本です。
伊藤氏はフリーランスの科学ライターで、専門は脳神経科学。本書では、放射能の影響に対して「不安」を感じることの重要性を、最近の脳神経科学の成果も交えながら記しています。放射能に対する不安を口にすると批判されてしまう風潮が現在の私たちの社会にはありますが、放射能という未知の脅威に対して強い不安を覚えることは、極めてまっとうな感覚であることを伊藤氏は繰り返し強調します。そして放射能に対する不安を正当に評価することが、被災した人々の尊厳を回復することにつながるのだと述べます。
《真の意味での復興には、被災者の尊厳の回復が欠かせない。そのためには、多様に存在する被災者の健康リスクの全体像に肉薄し、被災者の抱く不安を正当に評価することが必要であろう。近年急速に進歩を遂げている脳神経科学など生命科学の知見を踏まえ、放射線被ばくにおける「不安」をめぐる言説を検証し、閉塞した状況を打開する方策を探る》(42頁)。
これら言葉に私は深い共感を覚えます。私たちはいま改めて、放射能への不安を正当に評価し直すことが求められているのではないでしょうか。
3、不安の生物学的な合理性
伊藤氏はまず、私たちが未知の脅威に対して強い不安を感じることには生物学的な合理性があることを述べます。いわば《不安とは、生物が進化の過程で獲得した生存の危機に対する警報装置》(38頁)なのである。火災報知器が万が一の火災に備えてわずかな異変をも察知するように設計されているように、私たち生物においてもリスクに対して敏感に反応するようにプログラムされているのだ、と。ちなみに、この警報装置としての機能を果たしているのは、脳の偏桃体という部位です。
伊藤氏は偏桃体研究第一人者のルドーの次の言説を紹介しています。
私たちが野道を歩いていて、曲がりくねった物体に遭遇したとする。「ヘビだ!」と思って飛び退いて、実はそれが曲がりくねった小枝だとしたら、臆病者と笑われるかもしれない。しかし、ヘビを小枝と早合点して噛まれて死ぬより、たとえ取り越し苦労であっても、最悪の事態(=ヘビに噛まれて死ぬこと)を想定して「素早く動く」方が、生存にとっては有利なのである、と。《緊急時には、最悪の事態を想定しておけばいい。取り越し苦労なら、後からいくらでも取り返すことができる。何ごとも、命あっての物種だ。長い眼で見れば、ヘビを小枝と間違えるより、小枝をヘビと間違えるほうが生存に有利になる》(39頁)。
「正確さ」を追求するのが科学的な態度ということになるでしょう。しかし不確実性の高い課題に対しては、「正確さ」よりも「素早い反応」の方が重要となる場合がある、と伊藤氏は述べます。放射能問題はまさにこの不確実性の高い課題の最たるものでしょう。であるとすると、放射線被ばくについての科学的な証明を待つより先に、予防的に先手を打つことが重要なこととなります。科学的な因果関係の解明を待っているうちに、どんどんと対策が遅れて行ってしまうとしたら、それこそ取り返しがつきません。
また不確実性の高い状況下では、「情動」に基づく判断は、「理性的」な判断よりも高い合理性を発揮する可能性が高い、ということも伊藤氏は述べています。これらのことからも、《子どもへの放射線の影響を心配する母親の不安を、科学的根拠が希薄だからという理由で、「過度な不安」と決めつけることはできない》(73頁)のだと伊藤氏は語ります。
放射能問題に対して、「感情的になる」のは良くないこととされ、「冷静で、理性的である」ことが良しとされている風潮がいまの私たちの社会にはあります。しかしそのような「理性的」で「科学的」な態度がどんどんと対応を遅らせ、人々の――とりわけ子どもたちの心身を傷つけることにつながっていはしないかとの強い不安を感じざるを得ません。
4、不安を取り除くのではなく、原因に対処すること
強い不安やストレスが私たちの健康に大きな影響を与えるということは確かにあるでしょう。昨年はNHKスペシャルで『キラーストレス』という番組も放映されました(番組は書籍化もされています。NHKスペシャル取材班『キラーストレス 心と体をどう守るか』、NHK出版新書、2016年)。偏桃体が常に活性化し、強い不安を感じ続けていることがいかに心身に深刻な影響を与えるかが報告されています。
放射能自体より、放射能に対して強い不安を覚えることこそが健康被害につながっているのだ、という意見もあります。だから放射能に対する「正確な」「科学的な」知識を身に着け、不安を取り除いてゆく必要があるのだ、と(政府が推進しようとしているのはこの立場です)。
不安を軽減させてゆくというのは私たちの日々の生活にとって大切なことでありますが、放射能問題に関しては、より根本的に重要なことがあるように思います。不安を引き起こしている原因に対処してゆくということです。放射能に対する不安を取り除くのではなく、その不安を引き起こしている原因に対して具体的な対策がなされなければ、人々の苦しみは本当にはなくなることはないでしょう。私を含め、大勢の人々が不安を覚えている対象は、妄想でも幻でもありません。放射能汚染という現実です。低線量被ばくによる影響という、いまだ私たち人類にとって未知の現実です。
チェルノブイリ事故から5年後に成立した「チェルノブイリ法」においては、「チェルノブイリ事故」とは呼ばないそうです。「事故」ではなく、「カタストロフィ」(大惨事、大災害、破局)と呼ばれる。カタストロフィ、しかも地球規模のカタストロフィ(破局的な出来事)が起きたという認識のもと、チェルノブイリ法では国による被害者に対する長期的な補償が定められました(法の正式名称は『チェルノブイリ・カタストロフィの影響に曝された市民のステータス』。参照:日野行介/尾松亮『フクシマ6年後 消されゆく被害 歪められたチェルノブイリ・データ』、人文書院、2017年、200‐201頁)。
放射能問題を「心の問題」にしてしまうことは、向かい合うべき現実から目を背けることにつながってしまうでしょう。
最後に、少し長くなりますが、伊藤氏の文章を引用いたします。
《「みんなと一緒じゃないと、変だと思われる。母も、旦那も、放射能のことは心配しなくて大丈夫という。だんだん私、自分の頭がおかしいのかと思うようになってきた」。福島県在住のある母親は、泣き顔でつぶやく。
そんなことはない。不確実性の高い状況下では、偏桃体は、活性化しやすいことが分かっている。偏桃体の活性化、その結果としての警戒心の高まりは、不確実な環境に対する学習を促す。
・・・不安は、生命を脅かす原因を特定して、取り除くことで解消する。カウンセリングなどによって一時的に不安感が和らいだとしても、原因があり続ける限り、不安という警報装置は鳴り続ける。原因があるのに特定されずに放置されたままになっていたり、もしくは気づいていながら慣れから不安を感じなくなってしまったとしたら、かえって危ない。より大きな危険が迫ったときに、対処できない可能性が高いからだ。今回の原発事故自体、安全神話に囚われ、少しでも安全性を高めようとする謙虚さに欠けていたから起きたのではなかったか。
彼女が不安を感じる原因は、期待通り進まない除染かもしれない。福島第一原発からの汚染水漏れかもしれない。廃炉作業の見通しが不透明なまま進められる国の帰還政策に対する不安かもしれない。ひょっとしたら敏感な彼女は、センサーの感度が鈍い我々が気づかない危険を、いち早く察知しているのかもしれない。だから我々は、高性能の警報装置を持つ彼女の声に、真摯に耳を傾ける必要がある。被災者に寄り添うとは、このような姿勢を指すのだと思う》(81‐82頁)。
伊藤氏が記すように、寄り添うとは、放射線被ばくに対する不安を無暗に取り除こうとすることではなく、不安や痛みに満ちたそれら小さき声に互いに耳を傾け合うことなのだと思います。
※本書では、放射能災害において重要な鍵を握っている物質として、炎症反応や免疫応答を媒介するたんぱく質である「サイトカイン」が挙げられています。がん、心臓血管疾患、うつ病、PTSDなどの疾患においてもこのサイトカインの過剰放出による慢性的な炎症反応が確認されているとのことですが、きわめて微量の被ばくでも、サイトカインの血中濃度が上昇したり免疫力が低下することが報告されているそうです。放射線は遺伝子を傷つけるだけではないのですね。伊藤氏は放射線の「物理的影響」と「社会的影響」が相互作用して私たちのサイトカインの血中濃度を上昇させ、心身に影響を与える可能性を指摘しています。本書にご興味がある方は、サイトカインについて記されている105~112頁もぜひお読みいただければと思います。