高野山の金剛峰寺の前の駐車場に着いた時、火祭りはすでに終わっていて後片付けをしていた。火祭りが目的でもなかったので町の中を少し歩いていると何人かの若い修業僧が足早に近づきそして去っていった。かならず二人が一組になっている。どうしてなのだろう。
スイスホテル大連は、大連のビジネス・ショッピングエリアに位置し、労働公園と大連港の素晴らしい景色が一望出来る35階建の5つ星ホテル。泊まった階は忘れたが、夜が白々と明け始めたころ目が覚め、ポットで沸かしたコーヒーを手に、窓から労働公園の方をしばらく眺める。下を見下ろすと人間は米粒のように小さく見える。中国人は早起きだ。働きに行く人が歩いている。
(昨年5月に撮影)
(昨年5月に撮影)
全国でも有名な箱根の山を登る鉄道で,小田原~強羅間を結ぶ。
途中の箱根湯本から80‰(1000m進んで80m登る)という急勾配、13ヶ所のトンネルや26ヶ所の鉄橋、そして直角に折れ曲がるような急カーブがある。さらに勾配を稼ぐためにスイッチバック方式を採用しているのも興味深い。スイッチバックで車両の進行方向が逆向きになるため、途中で停車し3回も運転士と車掌が入れ替わります。こんなにも苦労を重ねて箱根湯本から35分もかかって着いた強羅は何と標高500メートル程度でしかない。勿論スグ側を道路が走っていて車なら15分くらいで上ってこれるだろう。1919年の開業というから90年も前の道路がない時代の産物だ。こんな低い山に電車を登らせることも相当な無理があってナンセンスだ。スイッチバックというのはすごい発想だ。一進一退しながら上って行く。3回も停車し運転士と車掌が入れ替わります。電車は前に進むものと考えていたいんぐりもんぐりさん、もんぐりいんぐりになってしまった。
箱根登山電車のホームページはこちら
途中の箱根湯本から80‰(1000m進んで80m登る)という急勾配、13ヶ所のトンネルや26ヶ所の鉄橋、そして直角に折れ曲がるような急カーブがある。さらに勾配を稼ぐためにスイッチバック方式を採用しているのも興味深い。スイッチバックで車両の進行方向が逆向きになるため、途中で停車し3回も運転士と車掌が入れ替わります。こんなにも苦労を重ねて箱根湯本から35分もかかって着いた強羅は何と標高500メートル程度でしかない。勿論スグ側を道路が走っていて車なら15分くらいで上ってこれるだろう。1919年の開業というから90年も前の道路がない時代の産物だ。こんな低い山に電車を登らせることも相当な無理があってナンセンスだ。スイッチバックというのはすごい発想だ。一進一退しながら上って行く。3回も停車し運転士と車掌が入れ替わります。電車は前に進むものと考えていたいんぐりもんぐりさん、もんぐりいんぐりになってしまった。
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先週末は仕事で東京に出張、その日は厚木の兄宅を初めて訪問、翌日には横浜で甥の結婚式に参加、今はやりの邸宅ウエデイングでした、式が終わると小田原まで行ってそこから箱根登山電車とケーブルカーを乗り継いで強羅温泉へ到着。兄の会社の保養所の温泉。加水や循環などしていない白濁の硫黄泉に浸かる、その翌日にはバスで大湧谷へ噴煙立ち昇る谷を名物の黒タマゴを食べながら見学、そこからはロープウエイで芦ノ湖の桃源台港に、さらに遊覧船で箱根町へ。箱根の関所を見学し、そこからは帰路バスで箱根湯本へ箱根登山電車で小田原に戻り、新幹線で大阪まで戻る。同行していたおばあちゃんが長い時間行方不明になるやら、スーツと礼服からカジュアルに着替えての行楽にまた電車など使ったことがないimgrimomgriさん、電車やバスやケーブルや船を何度も乗り継ぎ、もうくたくたになりました。
デューク・エイセスの歌った「女ひとり」で
有名な京都大原の三千院にはじめて行きました。
コーヒー一杯で駐車料金無料(無制限)と書かれた喫茶店に車を駐車、三千院は700円の拝観料を払いお堂に入るや、いきなり広い土産物コーナーがあってたくさんの土産物が販売されていて興ざめしました。それだけでありません。お堂の中にもお庭にもいたるところでお抹茶コーナー(500円)があって、休憩所の入り口では「どうぞお茶を飲んで休んでいってください」と呼びかけられ中に入るや、一滴の抹茶にお湯をかけただけの湯のみを差し出し売り子のおばはんが、「一つお土産にいかがですか。おいしいでしょう」しきりに声をかけておられ、何のことはないスーパーの試飲にたいへんよく似ていました。商売熱心もほどほどにせえって言いたい。因みに「三千院 商売熱心」で検索したら、誰かが同じような感想を書いておられました。
冷え切った心になって廊下を素足で歩き、雪に覆われた庭や凍てついた池を散策・・・
恋に疲れた女性に出会えるかなと淡い思いを抱いてきました三千院では心も身体も冷え切って体力低下、とうとう風邪を引いてしまいました。
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
結城に塩瀬の素描の帯が
池の水面にゆれていた
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
大原観光マップはこちら
有名な京都大原の三千院にはじめて行きました。
コーヒー一杯で駐車料金無料(無制限)と書かれた喫茶店に車を駐車、三千院は700円の拝観料を払いお堂に入るや、いきなり広い土産物コーナーがあってたくさんの土産物が販売されていて興ざめしました。それだけでありません。お堂の中にもお庭にもいたるところでお抹茶コーナー(500円)があって、休憩所の入り口では「どうぞお茶を飲んで休んでいってください」と呼びかけられ中に入るや、一滴の抹茶にお湯をかけただけの湯のみを差し出し売り子のおばはんが、「一つお土産にいかがですか。おいしいでしょう」しきりに声をかけておられ、何のことはないスーパーの試飲にたいへんよく似ていました。商売熱心もほどほどにせえって言いたい。因みに「三千院 商売熱心」で検索したら、誰かが同じような感想を書いておられました。
冷え切った心になって廊下を素足で歩き、雪に覆われた庭や凍てついた池を散策・・・
恋に疲れた女性に出会えるかなと淡い思いを抱いてきました三千院では心も身体も冷え切って体力低下、とうとう風邪を引いてしまいました。
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
結城に塩瀬の素描の帯が
池の水面にゆれていた
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
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今年の正月休みは、家の中の片付けや整理ばかりしていて障子の張替え(何と10枚も張り替えました)から始まり、押入れの中の収納整理(真新しい3段収納ボックスが2個も粗大ごみで捨ててありました。あ、これは使えるやん、サイズもピッタシやで、念のためメジャーをもってゴミステーションまで、ゴミを拾うって結構勇気がいるってわかる?軽自動車横付けして、誰かみていないかなキョロキョロ、近くの奥さんがゴミ出しにきました。気のせいか冷たい視線を背中に感じました。また運悪く軽自動車で収集に行ったのでどうしても2個は入らない、クソー。想定外のトラブルが発生や!!!、結局2回収集に行きました。車のスピーカーの取替え(何と車の解体屋で1000円で見つけてきたものを自力で取替え)や不用品(オークションで販売不能なもの)を軽自動車に満載してリサイクルショップに売りに行ったり(店のおっさんに言われました「いくらほしいんや?」「そういわれてもモグモグ」「せいぜい2000円じゃ」「はいわかりました。すみません、ありがとうございます」)、その他不用品が何とゴミ袋で6コ粗大ゴミとして出しました。その他ゆったりとした休みがないとできないブラインドの清掃や修理(自分でしたりメーカーにクレームつけて修理させたり)やペイントをしていていい加減疲れました。気が付けば休みも終わり、3日も昼下がりになって「ええい和歌山まで行くぞ」って家内に言いましたら、あまり気のない返事でしたが、阪和道をぶっ飛ばして(やっとETCカードを装備しましたのでETC専用ゲートをスイスイ通り抜け、通り抜けるとき、家内が必ず「スピード出しすぎ、ぶつかるう!」と叫びます。「大丈夫大丈夫40キロくらいでも通過できるよ!」「何言ってんの20キロに制限しろって書いてあるやろ」とか言いながら有名な東照宮(有名と言っても和歌山人しか知らない徳川家ゆかりの由緒ある神社)に着きました。(写真は和歌浦雑賀崎)
東照宮についてはこちら
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大阪から名古屋へ西名阪をドライブ、途中伊勢道に走り伊勢の二見浦、鳥羽をたずねました。伊勢といえば修学旅行以来、有名な夫婦岩を見て唖然としました。というのも海岸ならどこにでもある岩(それほどの大きさもなく、大小の岩の大きさもずいぶん違っていて、何だか無理やり夫婦にし、縄で繋いだものでした。どこにでも転がっている岩を縄でつなぎ数百年間、日本国中から観光客や修学旅行の誘致に成功したこと。川の両岸にある大きな木を縄をつなぐのは見たことがある。二つの岩を繋いだのはアイデアだ。その二つの岩の間から日の出が見れる。
旅をすみかとした西行法師がしばらく隠棲したといわれる小さな庵。西行庵までは吉野山の奥千本から車で上り詰めた金峯神社で車を降りて、そこから先は少々きつい道を登る。あいにく庵は改修工事中だった。よい写真がとれるかもしれないと少し期待していたのだが、足場を組んでいたのではどうしょうもない。近くには松尾芭蕉も立ち寄ったという苔清水といわれる湧き水があったので、それを見て帰途につく。しばらく暗い山道を走っていると雨上がりの西の方の空にうっすらと虹がかかっている。虹に近づこうと道をはずれて1kほど下ると周囲の山々が見渡せるとても視界のよい明るい場所に出た。それまで一部しか見えなかった虹が見事な弧を描いて山にかかっていた。一軒の古い民家があって斜面には畑もある。一昔前の風景だ。おばあさんがこちらの方を見ている。何か話してかけているがよく聴きとれない。近づいてあいさつをすると、山のこと水道のこと神社のことなど次々と話されたが、どうもよくわからない。わからないけれどなんだかとても親しく懐かしい。一人で畑をして暮らしているとか。日が暮れると動物たちが畑にくるらしい。畑は鉄の柵で囲っている。大阪から息子がきて作ってくれたらしい。「おばあちゃん一人でさびしくない?夜は真っ暗だね」「一日だれとも話さないことや何日も話さないときもあるよ。ハハ・・」 おばあさんはたった一人だけれど西行のように隠棲しているわけではない、畑をして生活をしているのだ。春がくれば山菜をとり、夏には育てた野菜も収穫するだろう。月に2回は行商もやって来る。そしてめったにないがこんな風に都会の人間が迷い込んで来ることだってある。
先週の土曜はバレンタインの日だったね。君と出会いとても楽しい時が過ごせました。春のような暖かい日差しのなか、君は一人自転車で学校にやってきて、わたしたちと出会いました。君は学校のことなどいろいろ話をしてくれました。6年生の双子の兄弟がこの春卒業してしまうと、自分ひとりだけの学校になってしまう。話をしている君の表情の中にさびしさがあるのがすぐにわかりました。たった一人の学校生活を想像するとわたしたちはとてもいたたまれない気持ちになりました。それから君は学校の裏から山道を下り桃の木の畑を案内してくれましたね。君は卒業して何年か経てば、今通っている山間の谷間にある分校をとても懐かしく思い出し誇りに思えるときが来るに違いない。木造校舎での勉強、先生との特別なふれあい、それは都会の子供たちだけでなく、普通の人が経験できない貴重な経験だから。でも今の君には学校にともだちがいないことを思うと・・・。春になって桃の花も咲くころ、もう一度君に会いに行きます。
1990年だからもう15年も前の話だ。その頃のわたしたちはいつも無計画な小旅行をした。ゴールデンウィークの最中に思い立って丹後半島へ一泊旅行することにした。のちにNHKの朝の小説の舞台にもなり舟屋が並ぶ漁港風景で有名になった伊根に着いたとき、日はすっかり落ちてどの民宿も泊り客の夕食の支度に追われていた。何軒か玄関先で[泊まれないでしょうか」とかすかな期待をもって尋ねるが、どこも「今日は連休なのでいっぱいです。」入り込んだ路地裏の石の階段を上ったり、降りたりしているうちにますます絶望的になって、空腹感も最高レベルになった。その民宿の名前は夕霧だった。「いいよ。しばらく待ってくれたら残りものを使ってこれから作るから。」確かこのような返事だったと思う。日焼けした男らしい顔には深い皺がきざまれ、漁師だとすぐにわかった。そのときのあたたかい眼差しは今でもはっきり思い出すことができる。思い出すのはその眼差しと夕霧、おいしかった魚料理。翌朝窓から差し込んできた朝日、その窓から眺めた舟屋の風景。
「夕霧という名の民宿知りませんか」「その民宿なら今もうないですよ。何年か前に廃業されたから。」再び伊根を訪ねたとき、あの日から13年が過ぎていた。あのときのお礼も言いたい。わたしたちは家を探して老いた夫婦を尋ねた。舟屋の裏は海。今も小さな舟が繋がっていた。
「夕霧という名の民宿知りませんか」「その民宿なら今もうないですよ。何年か前に廃業されたから。」再び伊根を訪ねたとき、あの日から13年が過ぎていた。あのときのお礼も言いたい。わたしたちは家を探して老いた夫婦を尋ねた。舟屋の裏は海。今も小さな舟が繋がっていた。
修験者が何日もかけ縦走する大峰奥駈道の最高峰弥山山頂には、弥山小屋と弥山神社の他には、皇太子殿下の登頂記念碑があった。小雨が降っていてあたりはガスに包まれ小屋も霞んで見える。登山者は誰もいない。ちょうど小屋からでてきた主人に「どんな食事でしょうか」とたずねたら、とても不機嫌な顔で「どんな食事って。腹をふくらせるだけのものだ」とぶっきらぼうにいわれる。まずいことを聞いたかなと思いはっとした。一瞬身が引き締まる。思えば何時間もかけ、とても険しい道なき道を喘ぎ喘ぎのぼってようやく着いた場所だ。ここは神が宿る神聖な山の頂上だ。そういえば、近畿屈指の秘境とされる大杉谷の桃の木小屋にいったとき、食事は一杯のカツカレーだけだった。転落の危険箇所やアップダウンが多くて4時間30分かかったが、それ以上の体力を必要とした。ようやく辿り着いた山小屋は、大きなつり橋がかかり、そのつり橋をわたらないと小屋には行くことができない。絵本のような風景だ。食堂に集まってきた大勢の登山客は、みなとても生き生きとした表情で明るい談笑の声が響く。わたしたちはエメラルドグリーンの淵、豪壮な滝、大絶壁、つり橋が連続するすばらしい渓谷を果てしなく歩きようやく小屋に着いたのだから。夜明け前に、何か人の気配を感じて、つり橋にでた。そこには満天の星が輝いていた。しばらく茫然としてことばにならない。少し眩暈がする。君はわかるだろうか。何がこころを充たすのか。こころが充たされる瞬間とは。
ふと目を覚まし、漆黒の空を見上げると鱗雲の大群が全天を覆っていた。雲間から月が見え隠れして、南のほうの空を流星が一直線に走った。君は全天周映画を見たことがあるだろうか。大自然のプラネタリウムはめまぐるしく変容し、もはや自分の身体は3次元の宇宙空間に投げ出され、果てのない世界へ急速度で突っ込んでいった。どれくらい過ぎただろうか。再び目を覚ますと鱗雲の大群はすっかり流れ去って明け方近くになって空は群青色に変わり、数え切れないほどの星が満天に輝いた。君は明け方にしか見れない群青の空を見たことがあるのだろうか。満天の星空は見たことはあるのだろうか。わたしの心は言い知れぬ充足感に満たされていった。峡谷に挟まれ急流が激しい清冽な音を響かせている。また星が一直線に走った。
雄大な大自然を今に残す大台ケ原。群生するモミ・ブナの原生林。その傍らで苔むした倒木が、数百年の風雨にさらされ、イト笹の葉陰で静かに眠る。年間6000mmともいわれる雨の恵みは、豊かな地下の水脈を刻み、珠玉の森林地帯、渓谷、湿地、渓流、草原、目もくらむような断崖、エメラルドグリーンの淵、瀑布の数々をもたらした。なかでも、あたり一面白骨のような立ち枯れの巨木が林立する正木が原・牛石が原は太古を偲ばせる幻想的で神秘的な風景だ。大蛇ぐらの大絶壁は、鎖をたどって先端に立つことができるが、ほんとうに足がすくむ思いだ。主峰日出ケ岳から望めば、吉野の山々をはじめ、遠く熊野灘、遥か富士山も遠望できる。
悠久に時間は流れ、神秘に自然が息吹き、訪れた者をやさしくつつむ。君はきたことがあるだろうか。まだないだろうか。
悠久に時間は流れ、神秘に自然が息吹き、訪れた者をやさしくつつむ。君はきたことがあるだろうか。まだないだろうか。