空想のねじ

好奇心のおもむくままに、チャレンジしたこと、行動したこと、感じたこと、思ったことを綴っていこうと思います。

素戔嗚尊を巡る旅〜素盞雄神社〜

2020-02-09 20:20:00 | 神社・仏閣巡り
前回お詣りした大原神社で、

境内社には、素戔嗚尊様が
たくさん祀られていますね。」

と書いていたせいなのか、なぜか6日の朝、意識が半分覚醒している時に、「素盞雄神社」の文字が浮かびました。この半分夢うつつの状態の時に意外といろんな文字が浮かんだり、映像が浮かんだりします。

一種のインスピレーションみたいなものなのでしょうか。とはいっても、何だかわからないんですけどね💦解明できたことはほとんどありません。それでもこういうときは、流れに逆らわず直感に従うようにしているので、週末に行こうと瞬時に決めていました。

ここで素盞雄神社って本当にあるの?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、あります😊神社好きの人はご存知でしょう。存在を知った時、いつか行ってみたいと思いましたがその時には行動するまでには至りませんでした。

最寄駅は南千住、徒歩15分くらいの場所にあります。境内は清々しく、途切れることなく参拝される方々がいらっしゃいました。みなさん、ご近所で立ち寄るといった感じに見受けられ、氏子が多いのもうなずけます。

素盞雄神社
御祭神
素盞雄大神(素戔嗚尊、お天王さま)
飛鳥大神(一言主神、事代主神)

ご由緒によると、「素盞雄大神の別名を「牛頭天王(こずてんのう)」ということから、当社の通称を「お天王さま」といいます。現在はこの「お天王さま」の通称で親しまれている当社ですが、風雅を好む江戸の文人たちには「飛鳥さま」の名が好まれ、文政12年(1829)編纂の『江戸名所図会』では当社を「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのやしろ こつかはらてんのうぐう)」と紹介しています。とあります。

江戸名所図会にも紹介されているのですね。(このブログで以前書いた『江都名所図会』とは別のものです)。
—————————————————————-
江戸名所図会(えどめいしょずえ)は江戸時代後期の天保年間に斎藤月岑が7巻20冊で刊行した、鳥瞰図を用いた江戸名所図会(地誌紀行図鑑)。長谷川雪旦の挿図も有名。(Wikipediaより)
—————————————————————-

江戸時代の文化交流の地であった境内

境内は、江戸の文人墨客に文化交流のサロンとして親しまれ、「飛鳥の杜(あすかのもり)」と呼ばれていたそうです。

✳︎奥の細道矢立初めの句碑

『行はるや鳥啼魚の目ハなみた』

この句は松尾芭蕉の『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節。
※矢立てとは、携帯用の筆記具。

↑赤い傘がある場所に句碑があります。この句碑は、文政3年(1820)10月12日の芭蕉忌に際し、当時千住宿に集う文人達によって建てられたといいます。ちょうど200年前ですね。



のんびりできます。
余談ですが、侘び寂び好きな方には文京区関口にある「関口芭蕉庵」もお勧めです。ちょっとした庭園になっていて、あの「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑もあります。私の記憶は20代の頃に仕事で訪れただけなので行かれる場合は、事前に調べてみてください。
芭蕉は生涯で引っ越した回数が確か70回以上といわれていたと思いますが、好奇心が旺盛で思い立ったら即行動の人だったのかもしれませんね。

お願いすれば押していただける記念のスタンプ。お気持ちの金額をお納めくださいとのことでした。

✳︎末社
福徳稲荷神社
菅原神社
稲荷神社


手水舎は御神水

深井戸を新設したとあります。水道水から御神水に切り替わったなんて、手を清めるところからご利益がありそうですね。



↓富士塚・小塚原富士の近くにありました。こちらは、どんな時に使うのか不明ですが、勝手に触れないようになっていました。




じつは、昨日の夜から通信障害になっていてWi-Fiが使えません💦
少しずつブログを書いては保存していたのですが、後少しというところで書いていた内容が上手く保存できずに全て消えてしまいました。気を取り直してなんとかここまでたどり着きました。😂

素盞雄神社の話は続きます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿