音楽は記憶だ。しかもただの記憶ではない。
いっぺんに何人もの脳裏に残る記憶だ。
higher party. 以下 「hp.」の音楽は
いままで、あまり多くの人の記憶に残らない音楽だった。
それはあまり人に聞いてもらう機会を設けていなかったからだ。
しかし、昨日の立川駅北口の路上でのことだ
現在 hp. が販売しているCD「 italian 」は
三人のメンバーの曲をごちゃ混ぜにして作ったアルバムなのだが
メンバーの直が
「人を見ていると作った曲がわかる。」
と言った後に
路上LIVEに来てくれた「かっきー」という当時23才の女の子は
メンバーの一人である杉本直が作った曲が
「スクウェアルーム」だということを見事に当てた。
実に1/3の確率で起こる出来事だが、
僕には奇跡以外のなにものでもなかった。
互いの精神がつながる記憶が「同じ曲を聞くこと」であり
多くの人の脳裏に残る曲が人々の記憶になりTVで流れる。
「TVで頻繁に流れる」とは、自然に多くの人の記憶に残る。
それはどんな悪趣味な曲でもだ。
なぜなら、日本はどこの家でもTVは付いているからだ。
外に出ないおばあちゃんでさえ世の中のことを知ることが出来る。
多分今一番世の中で流れている曲は
オレンジレンジ(ORENGE RANGE)の
「僕らはいつも以心伝心~」だね。間違いない。
しかし、おばあちゃんの耳には残らない。なぜだ?
おばあちゃんの耳にさえも残るのが名曲なのではないのか?
ソウ考えるとマツケンサンバあたりか?
チョットこれじゃ日本人恥ずかしくないのか?
ってことは日本人ていうのは恥じるのが好きなのか
そうなんだ。恥ずかしいと思うのみんな大好きだもんな。
サンボマスターのカッコ悪さをみて自分と比べるのか?
かつてBLUE HERTSに在籍していた甲本ヒロシは
「カッコ悪くたっていいよ、そんなんは問題じゃない
君の事を笑うやつは、豆腐の角にぶつかって死んじまえ」
とダンスナンバーという曲で歌っていた。
今の甲本ヒロシはカッコイイ。
とにかく、音楽は自分の記憶の一種だ。ということがいいたい。
TVが悪いというわけではないが
TVから流れる曲はいわば垂れ流しであって
自分で選んだ12種類の内の情報で。記憶で。未来だ。
何人かのTV関係者が選んだ情報で。記憶で。未来だ。
僕は自分の未来は自分で選ぼうと思う。
僕が「小沢健二が好き」というのは自分で選んだ記憶である。
別の個人を通して伝染した記憶である。
僕は自分なりの自由で楽しい記憶を作りたい。
もっと人は自由になれるはずだ。
みんなが自由で楽しく暮らせる日がきっと来るよ。
いっぺんに何人もの脳裏に残る記憶だ。
higher party. 以下 「hp.」の音楽は
いままで、あまり多くの人の記憶に残らない音楽だった。
それはあまり人に聞いてもらう機会を設けていなかったからだ。
しかし、昨日の立川駅北口の路上でのことだ
現在 hp. が販売しているCD「 italian 」は
三人のメンバーの曲をごちゃ混ぜにして作ったアルバムなのだが
メンバーの直が
「人を見ていると作った曲がわかる。」
と言った後に
路上LIVEに来てくれた「かっきー」という当時23才の女の子は
メンバーの一人である杉本直が作った曲が
「スクウェアルーム」だということを見事に当てた。
実に1/3の確率で起こる出来事だが、
僕には奇跡以外のなにものでもなかった。
互いの精神がつながる記憶が「同じ曲を聞くこと」であり
多くの人の脳裏に残る曲が人々の記憶になりTVで流れる。
「TVで頻繁に流れる」とは、自然に多くの人の記憶に残る。
それはどんな悪趣味な曲でもだ。
なぜなら、日本はどこの家でもTVは付いているからだ。
外に出ないおばあちゃんでさえ世の中のことを知ることが出来る。
多分今一番世の中で流れている曲は
オレンジレンジ(ORENGE RANGE)の
「僕らはいつも以心伝心~」だね。間違いない。
しかし、おばあちゃんの耳には残らない。なぜだ?
おばあちゃんの耳にさえも残るのが名曲なのではないのか?
ソウ考えるとマツケンサンバあたりか?
チョットこれじゃ日本人恥ずかしくないのか?
ってことは日本人ていうのは恥じるのが好きなのか
そうなんだ。恥ずかしいと思うのみんな大好きだもんな。
サンボマスターのカッコ悪さをみて自分と比べるのか?
かつてBLUE HERTSに在籍していた甲本ヒロシは
「カッコ悪くたっていいよ、そんなんは問題じゃない
君の事を笑うやつは、豆腐の角にぶつかって死んじまえ」
とダンスナンバーという曲で歌っていた。
今の甲本ヒロシはカッコイイ。
とにかく、音楽は自分の記憶の一種だ。ということがいいたい。
TVが悪いというわけではないが
TVから流れる曲はいわば垂れ流しであって
自分で選んだ12種類の内の情報で。記憶で。未来だ。
何人かのTV関係者が選んだ情報で。記憶で。未来だ。
僕は自分の未来は自分で選ぼうと思う。
僕が「小沢健二が好き」というのは自分で選んだ記憶である。
別の個人を通して伝染した記憶である。
僕は自分なりの自由で楽しい記憶を作りたい。
もっと人は自由になれるはずだ。
みんなが自由で楽しく暮らせる日がきっと来るよ。