先日、いまここ塾に参加されている方達、数名の方とお話をする機会に恵まれたんですけどね。
いや~、とっても楽しかったです。
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。
日常生活の中からみたら、とても怪しそうなお話。
根底に阿部さんが発信しているような価値観を共有していないと、とても成立しないようなお話ばかり。
普段の生活では言いたくても言えない、あんなことやこんなこと。
そんな話ばかり思う存分お話しできるというのは、ある種の快感ですよ、これは。
どうも癖になりそうな予感。
機会がありましたら、またよろしくお願いしますね~(^○^)/
さて、「覚醒」についてずっともやもやとした思いがありましてね。
その目覚め方についてなんですよ。
いわゆる覚醒を体験した方の話を自分なりにイメージするとですね。
ある日突然、それは何の前触れもなく、
ヾ( ̄□ ̄)ツ ドッカーン!
・・・と訪れる、そんなイメージを持っていたんですね。
一瞬ですべてが理解できる。
人生が一変する。
今までの人生で培った価値観が根底から覆る、そんな究極の体験。
自分にはそんな体験が微塵もないわけですから、覚醒には程遠いと思っていたわけです。
だから、それが欲しくて欲しくて仕方なかったんですね。
その「ドッカーン」が・・・(笑)
でも、方法論としてのそれがないことも知っていました。
努力して勝ちえるものではなく、それは起きてくるものであると。
だから、その起きてくることを起きやすくするための方法が瞑想であると。
「覚醒したい、目覚めたいという思いが強いとかえって目覚めを遠くする」
そんなはことも知識として持ち歩いていました。
要するにですね、その「ドッカーン」が来ないうちは何もわかっちゃいないんだと思っていたわけです。
覚醒しているかいないか、0か100かのどっちかなんだって。
だから、こうしてブログに記載する内容も凄く気を使っていたんですよ。
「覚醒体験していない人間が知ったようなこと書いちゃいけない」って。
ずっとそんな想いを引きずっていました。
でね、昨日の「いまここ塾」でこんなお話があったんです。
「目覚めの仕方も二通りあるかもしれないってね、そう思うようになりました」って。
阿部さんご自身の覚醒体験が超強烈な印象であったがために、みんなそうだと思っていたということなんです。
黒斎さんもそうだったみたいですし、エックハルト・トールさんもご自身の本の中でそのことを語っています。
でもね、緩やかな覚醒があるかもしれないと、そう思うようになったそうです。
これね、自分にとっては本当に朗報というか、聞きたかったことなんですね。
じゃなかったら、なぜこんなに興味をひかれるのか?
このことだけに引き付けられるのか?
自分でも理解できなかったですからね。
それでも、絶対的な確信があるわけですよ。
自分の目指していること、向いている方向に間違いないって。
このこと以外に大切なことなんてないんだってね。
それが自分に当てはまるかどうかは、また別の話しかもしれないですけどね(^▽^;)
それでも「ドッカーン」を期待してる自分がいたりして…( ̄ω ̄;)
いや~、とっても楽しかったです。
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。
日常生活の中からみたら、とても怪しそうなお話。
根底に阿部さんが発信しているような価値観を共有していないと、とても成立しないようなお話ばかり。
普段の生活では言いたくても言えない、あんなことやこんなこと。
そんな話ばかり思う存分お話しできるというのは、ある種の快感ですよ、これは。
どうも癖になりそうな予感。
機会がありましたら、またよろしくお願いしますね~(^○^)/
さて、「覚醒」についてずっともやもやとした思いがありましてね。
その目覚め方についてなんですよ。
いわゆる覚醒を体験した方の話を自分なりにイメージするとですね。
ある日突然、それは何の前触れもなく、
ヾ( ̄□ ̄)ツ ドッカーン!
・・・と訪れる、そんなイメージを持っていたんですね。
一瞬ですべてが理解できる。
人生が一変する。
今までの人生で培った価値観が根底から覆る、そんな究極の体験。
自分にはそんな体験が微塵もないわけですから、覚醒には程遠いと思っていたわけです。
だから、それが欲しくて欲しくて仕方なかったんですね。
その「ドッカーン」が・・・(笑)
でも、方法論としてのそれがないことも知っていました。
努力して勝ちえるものではなく、それは起きてくるものであると。
だから、その起きてくることを起きやすくするための方法が瞑想であると。
「覚醒したい、目覚めたいという思いが強いとかえって目覚めを遠くする」
そんなはことも知識として持ち歩いていました。
要するにですね、その「ドッカーン」が来ないうちは何もわかっちゃいないんだと思っていたわけです。
覚醒しているかいないか、0か100かのどっちかなんだって。
だから、こうしてブログに記載する内容も凄く気を使っていたんですよ。
「覚醒体験していない人間が知ったようなこと書いちゃいけない」って。
ずっとそんな想いを引きずっていました。
でね、昨日の「いまここ塾」でこんなお話があったんです。
「目覚めの仕方も二通りあるかもしれないってね、そう思うようになりました」って。
阿部さんご自身の覚醒体験が超強烈な印象であったがために、みんなそうだと思っていたということなんです。
黒斎さんもそうだったみたいですし、エックハルト・トールさんもご自身の本の中でそのことを語っています。
でもね、緩やかな覚醒があるかもしれないと、そう思うようになったそうです。
これね、自分にとっては本当に朗報というか、聞きたかったことなんですね。
じゃなかったら、なぜこんなに興味をひかれるのか?
このことだけに引き付けられるのか?
自分でも理解できなかったですからね。
それでも、絶対的な確信があるわけですよ。
自分の目指していること、向いている方向に間違いないって。
このこと以外に大切なことなんてないんだってね。
それが自分に当てはまるかどうかは、また別の話しかもしれないですけどね(^▽^;)
それでも「ドッカーン」を期待してる自分がいたりして…( ̄ω ̄;)