いまともフォト通信

いつどんな時も「いまとともだち」を忘れずにいたいネ....

目覚めについて

2009-12-23 | 目覚めのプロセス
先日、いまここ塾に参加されている方達、数名の方とお話をする機会に恵まれたんですけどね。

いや~、とっても楽しかったです。

お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。

日常生活の中からみたら、とても怪しそうなお話。

根底に阿部さんが発信しているような価値観を共有していないと、とても成立しないようなお話ばかり。

普段の生活では言いたくても言えない、あんなことやこんなこと。

そんな話ばかり思う存分お話しできるというのは、ある種の快感ですよ、これは。

どうも癖になりそうな予感。

機会がありましたら、またよろしくお願いしますね~(^○^)/




さて、「覚醒」についてずっともやもやとした思いがありましてね。

その目覚め方についてなんですよ。

いわゆる覚醒を体験した方の話を自分なりにイメージするとですね。

ある日突然、それは何の前触れもなく、




ヾ( ̄□ ̄)ツ ドッカーン!




・・・と訪れる、そんなイメージを持っていたんですね。


一瞬ですべてが理解できる。

人生が一変する。

今までの人生で培った価値観が根底から覆る、そんな究極の体験。

自分にはそんな体験が微塵もないわけですから、覚醒には程遠いと思っていたわけです。


だから、それが欲しくて欲しくて仕方なかったんですね。

その「ドッカーン」が・・・(笑)

でも、方法論としてのそれがないことも知っていました。

努力して勝ちえるものではなく、それは起きてくるものであると。

だから、その起きてくることを起きやすくするための方法が瞑想であると。

「覚醒したい、目覚めたいという思いが強いとかえって目覚めを遠くする」

そんなはことも知識として持ち歩いていました。


要するにですね、その「ドッカーン」が来ないうちは何もわかっちゃいないんだと思っていたわけです。

覚醒しているかいないか、0か100かのどっちかなんだって。

だから、こうしてブログに記載する内容も凄く気を使っていたんですよ。

「覚醒体験していない人間が知ったようなこと書いちゃいけない」って。

ずっとそんな想いを引きずっていました。




でね、昨日の「いまここ塾」でこんなお話があったんです。

「目覚めの仕方も二通りあるかもしれないってね、そう思うようになりました」って。

阿部さんご自身の覚醒体験が超強烈な印象であったがために、みんなそうだと思っていたということなんです。

黒斎さんもそうだったみたいですし、エックハルト・トールさんもご自身の本の中でそのことを語っています。

でもね、緩やかな覚醒があるかもしれないと、そう思うようになったそうです。


これね、自分にとっては本当に朗報というか、聞きたかったことなんですね。

じゃなかったら、なぜこんなに興味をひかれるのか?

このことだけに引き付けられるのか?

自分でも理解できなかったですからね。


それでも、絶対的な確信があるわけですよ。

自分の目指していること、向いている方向に間違いないって。

このこと以外に大切なことなんてないんだってね。


それが自分に当てはまるかどうかは、また別の話しかもしれないですけどね(^▽^;)








それでも「ドッカーン」を期待してる自分がいたりして…( ̄ω ̄;)