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池野詩吟愛好会「池野詩吟会」活動の思い出(第2弾)毛利さんから投稿がありました

2016年08月14日 18時58分51秒 | 日記
目次 池野サークル「今昔物語」・・・池野詩吟愛好会「池野詩吟会」活動の思い出 
毛利昭彦

池野サークル「今昔物語」
 会社に活気があった時代は、色々なサークルが誕生し、趣味を共有する有志達が集まって、活動していました。囲碁・海釣り・音楽バンド・詩吟・ゴルフ・ボーリング・テニス・仏像研究等々です。飲み会が主体の会もありました。
今回、毛利昭彦さんから池野詩吟愛好会「池野詩吟会」活動の思い出が、投稿されましたので紹介いたします。
会社公認・非公認、小規模・大規模問わず、各趣味サークル・同好会・飲み会の思い出話や、活動状況をブログに投稿いただければと思います。(管理者町田)

池野詩吟愛好会 「池野詩吟会」活動の思い出
 営業部の小林 完さんと行きつけの飲み屋で世間話をしている時に、「歳を取ってから何を趣味にしたらよいか考えていたら詩吟が手頃にできるのと、声を出すため健康にも良いことからやって見たい」との話が小林さんからありました。
 池野通建(株)の法律顧問である、弁護士平常雄さんが仕事の合間を詩吟の練習に精進され、天吟流の師範を取得されたことを機会に、「詩吟を教えたい」との希望を柳沢総務部長にお話がありました。
 偶然なのか池野の中には、神桜流の野々上勲さん、狐山流の奥山さん、私こと毛利は心州流を多少なりともかじっていたため、早速、話が進み会長を柳沢総務部長にお願いして、会員を募集すると総勢二十人以上の応募がありました。やがて発会式にこぎつけ、会の名称を池吟会、練習日を木曜日と定め、会社の正式な会と認定されました。会社から一人年間1.000円の活動費が支給され、神田の本屋で練習に適した教材(吟本)を探し、会員の皆さんに配るなどの運営費に当てました。
 練習日は、平均十二人が常時参加して平先生から「吟詠の精神・松口月城作」などを教わり、練習を重ねるに連れ徐々に詩吟の形になって来ました。一年後に小林さんの発案で、伊豆伊東にある会社の保養所・池野荘で合宿の話が持ち上がり、ならばと、合宿希望者を募ったところ、十人前後が池野荘に参集し、発声練習から始まり、テーマ吟(金州場外の作・乃木希作)・自由吟を各自が披露するまでに至り、先生の講評などもあって、詩吟が徐々に上達するようになりました。
 野々上さんは詩吟だけでなく、釣りと料理が好きとのことで、鮮やかな包丁さばきでお刺身の盛り合わせ・すき焼きの準備など裏方でご尽力され、詩吟だけではなく炎の料理番でもありました。
 練習が終わり早速、渇いた喉に冷たいビールで一同乾杯、まさに至福の時となり更なる盛りあがりをみせ宴たけなわとなった。毎年、合宿の主な参加者は「平、野々上、柳沢、境、小林、野田、横井、斎藤、藤井、鈴木、富永、青木、毛利、敬称略」でした。合宿はたしか3年続いたとの記憶があります。また、会社創立記念日にも全員で「日本刀を詠ず」を吟じ、皆様に披露させていただきました。
 長い間続いた池吟会も野々上さんが死去され、平先生も体調が思わしくなく、私も立川支店に転勤となると、自然消滅の道を辿ることになってしまったのが残念でなりません。

 追記:私毎で恐縮ですが、昔、教わった心州流先生の門下に入り、月三回練習をして年一回のクラウン吟友会コンクールの地域予選に出場しておりますが、何分にも吟力不足で毎年予選落ちを繰り返しています。
(池野詩吟会 毛利昭彦)

写真 池野伊東保養所「池野荘」にて合宿 












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