備忘録

同伴者向けの記録です

歴史シンポジウム

2022年11月05日 | 日記
明治維新に活躍した偉人たちの子孫(勝海舟、榎本武揚、大久保利通、川路利良、山本権兵衛)を呼んで語らうシンポジウムを聴いてきた。
コロナ禍のために2回延期されての開催にこぎつけた。
勝海舟の子孫の高山みな子氏がコーディネーターを務めたのは、時代が移っても主導する役割をになったパネルディスカッションだった。

榎本武揚は若いころに北海道を回遊した経験から、一時的に北海道で榎本を総裁とする独立国の新政権樹立を宣言した。
新政府から徳川藩の禄高を減らされてしまい、家臣を養っていけぬために北海道を下検分して資源が十分にあり開拓の余地があることから、函館に立てこもったのが経緯だという。

島津家は、鎌倉時代初期に薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護に任ぜられて以来、この地方を本拠地として来た守護大名・戦国大名であった。
江戸時代に、薩摩藩では日ごろから鉄砲撃ちを鍛錬していて、戦いに向けての素地があった。
鹿児島市加治屋町には、西郷隆盛や大久保利通に東郷平八郎や山本権兵衛が生まれ育った。
冷徹な大久保利通は、家に帰ると子供たちが駆け寄ってくるほど慕われ、子煩悩であったとは意外な一面だった。
川路利良は、西郷隆盛が可愛がった。もとより、島津斉彬が目を掛けていた優等生だった。
後に、西郷が欧州に留学させてポリス制度を学んで帰り、日本に警察制度を根づかせた。

山本権兵衛は、西郷隆盛からの推薦状を携えて勝海舟を訪問するも、会ってもらえずに山本の本気度を確かめられ海軍操練所の入門を許された。
軍人としての印象が強いが、2度総理大臣を務め、関東大震災で荒れた地を復興した。

シンポジウムのラストの各人の締めくくりに、榎本隆充氏と大久保 利泰氏は70年来の親友と打ち明けた。



 

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