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ロンドンオリンピック2012のマラソンコース、日本で言うと・・・

2012-01-05 | オリンピック

 
 
 
上図:連合王国の「greater london」全図。
中央に「city of london」「city of westminster」。




1.ロンドンオリンピック(2012)の開催される

  連合王国の首都ロンドンは「greater london(大ロンドン)」(上の地図の緑色部分)。

  日本で言うと「東京(都内)」に相当します・・・

  「東京(都内)」と「多摩(明治以降に他県の地域を併合)」から成る東京都・・・

  「東京(都内)」は1943年までは「東京市」として、

   現在の「greater london(大ロンドン)」同様の自治機能を持ちました




2.「大ロンドン」の位置的歴史的中心には、

中央銀行(イングランド銀行)や証券取引所(ロンドン証券取引所)のある

中心市街地「シティ・オブ・ロンドン(city of london ロンドンの市街 3平方キロ弱)」があり、

(上の地図中央の「city」と書かれた地域が「city of london」)

他の32のロンドン特別区 (london boroughs)とは独立の地位を持ちます。

(*)borough : 独 burg, 仏 bourg, ペルシア語 bur


cf.東京市の位置的歴史的中心、

日本銀行と東京証券取引所がある「日本橋地域(同じく3平方キロ弱)」には

こうした独立の地位はありません・・・




3.ロンドンオリンピック(2012 女子8月5日/男子8月12日)のマラソンは、
  「大ロンドン」の中心市街(city)で開催されます。

「大ロンドン」中央部の隣接する2つの中心市街(city):
「シティ・オブ・ウェストミンスター(city of westminster ウェストミンスターの市街)」と
「シティ・オブ・ロンドン(city of london ロンドンの市街)」

「シティ・オブ・ウェストミンスター(city of westminster ウェストミンスターの市街)」は
バッキンガム宮殿や国会議事堂(cf.ウェストミンスター宮殿)のある政治中心
(上の地図中央左「west-minster」と書かれた地域の特に右端部分)

「シティ・オブ・ロンドン(city of london ロンドンの市街)」は、
大ロンドンの中心、中央銀行(イングランド銀行)や証券取引所(ロンドン証券取引所)のある経済中心



ロンドンオリンピック(2012)のマラソンコースは、
「river thames (テムズ川)」水辺の周遊コース。

「buckingham palace バッキンガム宮殿」(日本で言うと「皇居」)前がスタート/ゴール地点。

「buckingham palace バッキンガム宮殿」前庭を一回りした後、

「バッキンガム宮殿 + シティ・オブ・ロンドン(city of london)」界隈を三周というコース。

日本で言うと、例えばですが・・・

皇居大手門を出て、大手町を一巡りした後、

「大手町 + 日本橋地域(東京駅-両国橋-永代橋)」を三周みたいな感じでしょうか・・・

(内堀/日本橋川/外堀の水辺、隅田川/日本橋川河口の海辺の周遊コース)


cf.皇居・国会議事堂のある「麹町区」と日本銀行・東京証券取引所のある「日本橋区」の地図(1932)。
(太線内側が元々の(1932以前の)東京市(15区)。外側が拡張版東京市(35区)(→今日の東京(23区)))


(cf.「greater london (1 + 32区)」 の 「inner london」と「outer london」)



4.ロンドンオリンピック(2012 女子8月5日、男子8月12日)のマラソンコースを、

公式pdfファイルに載っている建築物を中心に、詳しく見てみましょう。

この地図では「greater london(大ロンドン)」の中心市街(city)部分が拡大されています。

(左下に「city of westminster」の右端が、右上に「city of london」の全体像が見えます・・・)




建築物を、スタート地点からコースに沿って、見える順に辿っていくと・・・

(地図左下から時計回りでまず小さく一周・・・)

・buckingham palace:バッキンガム宮殿:日本で言う皇居

・nelson's colmun:ネルソン(イギリス海軍提督 1758-1805)の柱

・london eye:ロンドン眼(観覧車の愛称。river thamesの対岸に見える)

・houses of parliament:話の家、会議の家:国会議事堂(cf.ウェストミンスター宮殿)


(右上のcity of london を時計回りで周遊・・・)

・saint paul's cathedral:聖パウロ司教座教会:聖パウロ大聖堂

・bow church:弓型/お辞儀教会:ボウ教会

・guildhall:公会堂(「シティ・オブ・ロンドン」市庁舎)

・the monument:記念碑

・tower of london:ロンドン塔






さて、ここで問題です。

「the monument(記念碑)」とは何の記念碑でしょう・・・


(*)ラテン語 monument 「思い出させるもの」 解答例 : ロンドン大火(1666)の記念塔(1677)
the monument to the great fire of london (ロンドンの大火への記念碑)

ロンドン大火ではシティ・オブ・ロンドン地域の大部分が焼けました・・・




cf. ロンドン大火の少し前、 1657の 明暦の大火・・・

漸く完成した江戸の大部分、建物だけでなく、

数万人規模の人命(因みに当時の日本の人口は現在の1/10程度)も失われました・・・


「the monument」(場所:ロンドン橋のたもと)は、日本で言うと・・・

明暦の大火の無縁仏の回向の為に作られた両国の回向院(場所:両国橋のたもと)、

或いは回向院近くにある関東大震災と東京大空襲の戦災の鎮魂施設を併せた鎮魂施設群でしょうか・・・

  関東大震災や東京大空襲では、それぞれ約10万人の死者・・・

  関東大震災では、回向院近くの広場1ヶ所だけで、

  東日本大震災(2011)の全死者(死者行方不明者計2万人弱)を

  遥かに上回る方が、火炎旋風に巻かれて亡くなっています・・・


私達が明暦の大火どころか、

関東大震災や東京大空襲の戦災の記憶でさえ忘れ去っているとすれば、

東日本大震災の記憶も、暫くすると忘れ去られているに違いありません・・・


そんなことの無いように・・・

「ロンドン市街(city of london)」自治体が、

「ロンドン市街(city of london)の、1666年のロンドンの大火への記憶」として、

"The Monument, the City of London's memorial to the Great Fire of London in 1666"

維持する記念碑が、「the monument to the great fire of london (ロンドンの大火への記念碑)」・・・




(おまけ1)
ロンドン大晦日花火動画(2011年12月31日)

cf.両国花火(→隅田川花火大会)・・・
  両国花火は明暦の大火以降も多く生まれる無縁仏の慰霊を兼ねた、鎮魂の花火・・・

  ロンドンオリンピック(2012年7月27日-8月12日)の開会と閉会を彩る2つの花火大会・・・
  両国橋辺りにも沢山の花火見物の屋形船が・・・
  両国橋上流「隅田川花火(7月28日(土))
  両国橋下流「東京湾花火(8月11日(土))


(おまけ2)
cf.毎年行われるロンドンマラソンのコースは、
シティ右下方向の greenwich park
 → river thames 沿いの 郊外
 → city of london → buckingham palace 前
リンク先の地図右上に、ズームアウトができるスライダー等があります・・・






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1 コメント

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mag.wikiooz@gmail.com (wikiooz)
2016-10-25 17:40:56
thanks for best post
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