オリンピックのトリビア

古代・近代オリンピック、パリ五輪2024等について

東京オリンピック1964についての当時の世論調査から・・・

2009-03-20 | オリンピック

以下調査報告書『東京オリンピック』(*)所載の世論調査結果からのメモ・・・
(*)『東京オリンピック』昭和42年3月10日 日本放送協会放送世論調査所 非売品

こんにち、大きな盛り上がりと共に想起される1964年のオリンピックが、
むしろ直前までさっぱり盛り上がらないことが問題になっていたことや・・・

オリンピックの進行をつき離してみる国民の冷たい眼と表裏一体の、
マスメディアの提供する擬似環境への国民全体の熱狂、という分析・・・、
等々が載せられています・・・



昭和34年(開催5年前)東京オリンピックの開催決定
cf.2016年オリンピックについては開催7年前の2009年10月2日にIOC総会で開催都市決定

昭和37年(開催2年前)
東京オリンピックに関する世論調査(都政調査会:調査対象 18才以上の都民2000名)
東京オリンピックへの賛否
大いに賛成 38%
きまったことだから、まあ賛成 34%
反対だが、きまったことだから仕方がない 11%
反対 10%

昭和38年(開催1年前)
総理府「オリンピック国民運動推進連絡会議」と各県組織の設置

NHK事前調査:オリンピックへの関心(東京)
(*)以下に挙げるNHK事前・直前・期間中調査の調査対象は
  基本選挙人名簿による20才以上の男女 東京1500名(金沢1000名)


昭和39年6月(開催4ヶ月前)
関心なし29%
関心あり71%

cf.オリンピックは結構だが、
わたしには別になんの関係もない(東京)
賛成47.1%

昭和39年8月 聖火リレーギリシアから日本へ出発

昭和39年10月 聖火リレー日本上陸

NHK開催直前調査:オリンピックへの関心(東京)
昭和39年10月初旬 開催直前
関心なし16%
関心あり84%

cf.オリンピックは結構だが、
わたしには別になんの関係もない(東京)
賛成56.8%

NHK開催期間中調査:オリンピックへの関心(東京)
昭和39年10月中旬 開催期間中
関心なし7%
関心あり93%



□以下調査結果の要約。『東京オリンピック』95-97頁より引用。
(『東京オリンピック』昭和42年3月10日 日本放送協会放送世論調査所 非売品)

第7章 要約
A.オリンピックという事件の3つの特徴

オリンピックというナショナル・イベントにたいする日本人の反応を,
調査のデータを通じて時系列で追跡することのなかから,

日本人がある1つのナショナル・イベントにたいして,
心理的にも社会的にもまき込まれてゆく過程とそのメカニズムを解明しようとするのが,

われわれの実施した「オリンピックにたいする意見と行動」調査の目的であった。

この調査の分析から,
日本人のナショナル・イベントにたいする反応傾向を,
直ちに一般化することはできない。

ここでは,
将来における一般化の作業にとって礎石となるにちがいないと考えられる,
若干の理論的考察の結果を提示しておきたい。

オリンピックという事件は,昭和34年にその開催が決定してから,
昭和39年の東京大会の実現までに,5年の準備期間が存在していた。

事件は5年前にその生起が予定されていたのである。

こうして,人びとは事件に関するさまざまなキャンペーンにさらされたその結果として,
事件の開催に直面するという性格をもっていた。

この事件は次の3つの特徴をもっていた。

第1に,昭和34年に東京大会の開催が決定し,
準備態勢の整備が進行してゆく準備期間においては,
人びとのオリンピック支援の姿勢は,きわめて低調であった。

しかし事件の開催が不可避であることが
一般民衆の目に歴然となる昭和39年(オリンピック開催の年)に入ると,
好意的ムードは急速に上昇した。

そしてオリンピック東京大会終了後における
事件にたいする最終的な評価は,りっぱにやったという点で,合意に速した。

最初は低調な反応,あるいは無関心の反応から出発し,
最終的には合意に到達するという点で,

この事件は人びとがほとんど白紙の状態で事件に対面し,
次第に事件の展開過程にまぎ込まれてゆき,

最終的にはある一定期間,心理的には事件のとりことなるという,
きわめてユニークなまた完全な事件展開を示した。

第2に,事件にたいする人びとの反応傾向において,
開催地である東京と地方との間に,顕著な差はみられなかった。

オリンピックというナショナル・イベントは,
人びとの反応という点でもまさにナショナルな事件であったのである。

オリンピックは二重の意味において,ナショナルなイベントであったといえる。

第3に,オリンピックは最終的には,
10月10目から24日までの2週間,人びとの注目の焦点となった大事件であったが,
ナショナル,・イベントとして成立するためには,最初からマス・メディアを必要としていた。

オリンピックという「事件」は,
最初から最後まで,ほとんど大部分の日本人にとっては
マス・メディアの媒介によって知ることのできた世界に属するものであった。

この事件は人びとの直接的な参加がほとんど不可能な次元で進行したのである。

人びとはマス・メディアによって作られた「事件」にたいして反応することを通じて,
オリンピックに反応した。

オリンピックが人びとの反応という点でもナショナル・イベントでありえたのは,
終始マス・メディアが作りあげた世界のなかで成育し,発展した「事件」であったからである。


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