やなぎの下にドジョウがいたからといって、いつも同じところにいるとはかぎらない。一度よいことがあったからといって、いつも同じ方法でよいことにあうとはかぎらない、という意味です。
寺の門前に住むこどもは習わなくても毎日、寺で読む経をきいているので、それを自然におぼえてしまう。環境(かんきょう)の感化・影響(えいきょう)が大きいことをいいます。
類句に『勧学院(かんがくいん)のすずめは蒙求(もうきゅう)をさえずる』があります。『勧学院』は平安時代の私設学校。『蒙求』は中国の教訓逸話(きょうくんいつわ)集のこと。
類句に『勧学院(かんがくいん)のすずめは蒙求(もうきゅう)をさえずる』があります。『勧学院』は平安時代の私設学校。『蒙求』は中国の教訓逸話(きょうくんいつわ)集のこと。
人がくれるというのなら、夏に小袖(こそで)でもよい。「小袖」は絹(きぬ)の綿(わた)入れのこと。自分には無用の物でもタダであればもらうという人間の欲深さをいったもの。
道理にあわないことが行われると、道理にかなったことは行われなくなる。
類句に『石が流れて木の葉が沈(しず)む』があります。
類句に『石が流れて木の葉が沈(しず)む』があります。
水がきれいすぎると魚もかくれるところがないのですまない。あまり潔癖(けっぺき)すぎるとかえって敬遠(けいえん)され、人が寄(よ)りつかない、という意味です。
ミイラを取りに行った者が、ミイラを取ることに失敗して、自分もミイラになってしまった。人を連れに、あるいは、説得などをしに行った者が、自分もそこにとどまって役目をはたさないことをいいます。
疑問(ぎもん)をもつと迷いが生じ、迷うことは悟(さと)りのはじめとなる。その迷いを解決しようとして悟りがひらけるということです。
類句に『大疑(たいぎ)は大悟(だいご)の基(もとい)』があります。
類句に『大疑(たいぎ)は大悟(だいご)の基(もとい)』があります。
窓の中からとつぜん、槍(やり)をつきだされるように、予期していないとき、ふいに脅かされるようなさまをたとえていう。『藪(やぶ)から棒』ともいいます。