1 5 4 9年
ザビエルさん 以後よく広まる キリスト教
1549年、イエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に来航し、大内義隆・大友義鎮(よししげ)ら大名の保護を受けて中国・九州地方にカトリックを布教しました。<o:p></o:p>
★イエズス会・・・ロヨラの設立したカトリックの修道会。当時、ヨーロッパではプロテスタントが広まりつつありました。そこでイエズス会はカトリック教会の勢力を回復するため、熱心に世界中へ布教活動を広めていきました。<o:p></o:p>
1 5 4 9年
ザビエルさん 以後よく広まる キリスト教
1549年、イエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に来航し、大内義隆・大友義鎮(よししげ)ら大名の保護を受けて中国・九州地方にカトリックを布教しました。<o:p></o:p>
★イエズス会・・・ロヨラの設立したカトリックの修道会。当時、ヨーロッパではプロテスタントが広まりつつありました。そこでイエズス会はカトリック教会の勢力を回復するため、熱心に世界中へ布教活動を広めていきました。<o:p></o:p>
1 5 4 3年
鉄砲で 以後予算かかる 日本人
1543年、ポルトガル人が九州の種子島に漂着しました。島主の種子島時タカはポルトガル人から鉄砲を手に入れました。鉄砲はたちまち全国に広まって戦国大名らに使われました。以後、戦法は個人戦から集団戦へと移り、よろいや城の建て方も大きく変わりました。
1 4 8 8年
加賀の村 一夜でぱっぱと一向一揆
1488年、加賀の一向宗(浄土真宗)の信者らが守護の富樫(とがし)氏をたおして、約100年間国を支配しました。
1 4 8 5年
山城の 意志はいつでも結束かたい
1485年、南山城(みなみやましろ)の国人(地侍)たちが民衆と結束して守護大名の畠山氏を国外についほうしました。これを山城の国一揆といいます。そして約8年間にわたり自治政治を行いました。
1 4 6 7年
あとつぎで 一夜むなしく 応仁の乱
1467年、8代将軍足利義政のとき、将軍のあとつぎ争いと守護大名の相続争いをまきこんだ乱が起こりました(応仁の乱)。細川勝元と山名宗全を大将として武士が2つに別れ、11年間も京都を中心に争いました。世の中は乱れ、たくさんの下克上がおこり、京の町はあれて幕府の力は衰えました。応仁の乱から約100年間を戦国時代とよんでいます。
1 4 2 8年
一夜にはじまる 正長一揆
正長(しょうちょう)の土一揆は近江(滋賀県)坂本の馬借(馬を使って物を運ぶ人)が徳政令を要求して京都の倉や酒屋をおそった出来事で、日本で最初の農民一揆といわれています。この一揆は近畿地方一体に広まったそうです。
1 4 0 4年
人知れよ 勘合貿易 ふだいるぞ!
室町幕府の三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)は、中国の王朝明(みん)と貿易をはじめました。当時、海ぞく(倭寇{わこう})と見分けをつけるため、勘合(かんごう)というふだを用いて貿易を行いました。これを勘合貿易といいます。
★倭寇・・・鎌倉末期から室町時代にいた、日本人を中心とする海ぞく集団。朝鮮半島や中国の沿岸で船をおそった。
1 3 92年
いざ国を 一つにしようと 南北朝
1392年、3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)のよびかけで、南朝の後亀山(ごかめやま)天皇は北朝の後小松天皇に位をゆずりました。ようやく約60年にもわたる南北朝の争いが終わりました。
1 3 3 8年
いざ見張れ 尊氏将軍 京都から
1338年、足利尊氏(あしかがたかうじ)は建武の新政に対する武士の不満を見て、武家政権をつくるため、後醍醐(ごだいご)天皇とは別の天皇をたて(北朝)、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となって室町幕府を開きました。後醍醐天皇も吉野にのがれて政権をたてました(南朝)。
1 3 34年
ひとみ 見よ 後醍醐天皇 建武の新政
天皇中心の政治をめざした後醍醐天皇は、1333年に鎌倉幕府をひろぼし、よく年新しく政治を始めました。年号が建武(けんむ)とあらためられたことから建武の新政と呼ばれています。しかし、武士たちの不満をまねき、新政はわずか2年で終わりました。