昨日の「わかちゃいるけどやめられない」の間には、同僚の先生のご実父の葬儀に参列が挟まっていた。私の住む所から東へ12・3キロにある海辺の町で葬儀は執り行われた。
天台宗での告別式そのものは特別のものではなかった。おもしろかった(不謹慎な言い方か?)のは、親族が野辺の送りに就く前に、斎場の正面に設けられた、細木だけでで組んだ縦長の直方体(80×80×180/cm)を左回りに三度回り、最後にその中を通り抜けて往ったことだ。木組みの上の四隅には左から「悟故十方空」「無・南北」「無故三界城」「無・東西」(・は忘れてしまった字―さびしいことだ)の四枚の布がくくりつけてあった。何となくだが、この世と冥土ないしは浄土との境を象徴するもののように考えられた。このあと、死者に不必要なものということだろうか、銭が撒かれ、拾った人が私にひとつくれた。
年休をとっていたが、同僚から頼まれた香典のお返しがあったので職場に寄ったら、その撒銭は今日中に使うものだと言われた。私は茨城の出身ではないので、どうしてななかわからないが、「仏」と「死者」が融合している「神仏習合」があるのだろうと思った。そういえば、斎場を出てすぐに「塩」でお清めをしたっけ。
午後は雨だという天気予報なので、近くの山桜の並木を観に行った。それは2キロぐらいあるだろうか。車がひっきりなしに往来しているのだが、ほぼ満開で、染井吉野にくらべ、やはりずっと品がある。本居宣長が「朝日に匂う」と言った、赤い葉とともに咲く「花」は、でしゃばりでないのがいい。例年、幾度か車で往来し観てきたのだが、道路拡張で、来年はもう観られないだろうと思い、騒音の中ポコリポコリ歩いてきた。山桜はもう時代のなかに消えていくしかないのか。
街の発展とはどういうことをいうのか、街の文化とは何なのか。行政に聴いたところで、ろくな答えはかえってきやしないだろう。期待などしない。
桜が染井吉野であってもなんでも、その下に憩ったり、ドンチャン騒いだりできればいい。花見は贅沢だ、不謹慎だ、と誰かが言い出さなければ、それでいい。
昨日の香典返しのお酒を、今夜は飲むつもりである。
天台宗での告別式そのものは特別のものではなかった。おもしろかった(不謹慎な言い方か?)のは、親族が野辺の送りに就く前に、斎場の正面に設けられた、細木だけでで組んだ縦長の直方体(80×80×180/cm)を左回りに三度回り、最後にその中を通り抜けて往ったことだ。木組みの上の四隅には左から「悟故十方空」「無・南北」「無故三界城」「無・東西」(・は忘れてしまった字―さびしいことだ)の四枚の布がくくりつけてあった。何となくだが、この世と冥土ないしは浄土との境を象徴するもののように考えられた。このあと、死者に不必要なものということだろうか、銭が撒かれ、拾った人が私にひとつくれた。
年休をとっていたが、同僚から頼まれた香典のお返しがあったので職場に寄ったら、その撒銭は今日中に使うものだと言われた。私は茨城の出身ではないので、どうしてななかわからないが、「仏」と「死者」が融合している「神仏習合」があるのだろうと思った。そういえば、斎場を出てすぐに「塩」でお清めをしたっけ。
午後は雨だという天気予報なので、近くの山桜の並木を観に行った。それは2キロぐらいあるだろうか。車がひっきりなしに往来しているのだが、ほぼ満開で、染井吉野にくらべ、やはりずっと品がある。本居宣長が「朝日に匂う」と言った、赤い葉とともに咲く「花」は、でしゃばりでないのがいい。例年、幾度か車で往来し観てきたのだが、道路拡張で、来年はもう観られないだろうと思い、騒音の中ポコリポコリ歩いてきた。山桜はもう時代のなかに消えていくしかないのか。
街の発展とはどういうことをいうのか、街の文化とは何なのか。行政に聴いたところで、ろくな答えはかえってきやしないだろう。期待などしない。
桜が染井吉野であってもなんでも、その下に憩ったり、ドンチャン騒いだりできればいい。花見は贅沢だ、不謹慎だ、と誰かが言い出さなければ、それでいい。
昨日の香典返しのお酒を、今夜は飲むつもりである。