307 ○ 妄想につながっている曼珠沙華
「曼珠沙華」という花は、墓地に咲いていいた幼い時の記憶が強くあって、好きなんだか嫌いなんだかよくわからない花である。
この頃、曼珠沙華の花を群生させて、見せるのがテレビなどで報道されているが、見てみたいとは思わない。
幼い時の記憶がどうも邪魔をしているからだろうと思う。
曼珠沙華→墓地→黄泉の国、土葬された遺体の土に帰っていく様子が連想されるからだ。
この句の「妄想」の核は、どうやらこのあたりにある。
なんとかやり過ごしている、日々の暮らしを相対化するように妄想は広がってとめどがない。
朽ちていく遺体に根を持ち、そこから地上に花だけを突き出している、そんなふうに曼珠沙華はどうしても見えてしまうのだ。
墓地以外でも曼珠沙華は咲くのだから、こんな記憶に拘泥する根拠はない。
だが、大きな生命と個別の死ということを考えたり、くりかえされる生死を思ったりすると、曼珠沙華につながっている妄想は、単なる妄想とも言い切れぬ。
妄想は人間だけが抱き得るものには違いないが、曼珠沙華につながっている、この妄想、意外と深いところに根拠を持っているかもしれない。
ひるがえって、秋葉系に象徴される若者たちが虚の上に現実(幻想)を展開しているのと、この句の「妄想」はどこかで重なり合っているようにも思われる。