318 ○ 物騒な涙をこぼす女かな
「こぼさ」ないにしても、「涙」というものは、その人の感情の表出だから、それを見るとすぐにその理由を考えたくなるものだ。
涙に結実する感情は、は、可笑しいものから悔しいものまでそうとう広範囲にわたる。
それを見ている者にとって、すぐにわかるものから、なぜ泣いたのか、よくよく推量してみないとわからないものもある。
この句の「涙をこぼしているのは女」だから、何かというとすぐ涙をこぼす女性の場合は、涙の出どころを、さらに複雑にする。
女性自身にその理由を訊いたところで、明確な理由が返ってくるとは限らない。
ご本人だってうまく説明できないのではないか。涙がこぼれちゃったのだから仕方ないという答えも多い。
「涙」を「こぼした」ときの感情なり思いなりが、時間を置いて、行動、振る舞いとして出てくることはよくあることだし、
心の核のようなところから「涙」が「こぼれ」ていることなれば、人の生き方まで変えることだってあり得る。
「物騒な」という思いは「涙」から時間を置いたところで、その涙を忘れた他人にはよく起こる。
私などは、女性の涙がかわいらしいなどと思うことはまずないから、すぐ忘れてしまう。
もっと深いところからの「涙」の場合は、長い時間をかけて緩やかに、行動や振る舞いや考え方の変化として出てくるから、私のような者の「(人」知」をこえている。
変化に気づいた時点から、振り返ってもその「涙」に思い当たることは、まずないからだ。
いろいろ屁理屈をつけてみたが、この句は直観的にできたものである。