銀は午前11時半ごろ旅立ちました。
10歳と7か月でした。
私は仕事でいなかったのですが、たまたまいつも絶対にいない息子が朝帰りでいて付き添ってくれていました。
最期には声を出して何か訴えていたそうです。
息子によると「オカーサンをよろしくね」
日中から昨晩もほとんど寝ずにそばについていた私ですが、どうしても休めなくて後ろ髪をひかれる思いで出かけました。
もし今逝ってしまったらそれはきっと運命、というか銀がその時を選んで逝ったのだと思うことにしてました。
息子が言うには「あの最期の声をオカーサンが聞いたら絶対トラウマになるから聞かせたくなかったんだと思う…」とか。
昨晩は苦しそうに何度も人の顔を見たり、前足で突っ張ったり、排泄も寝たままして辛そうでした。
見ているのも辛くて風に何度も、もうお迎えに来てあげて、と頼むほどでした。
もう頑張らなくていいよ…と。
なので今は呼吸も楽になって身軽になって虹の橋のたもとに向かっているでしょう。
私は肩の荷が下りたというか、「今か、今か」という思いがなくなり、買い物をしていても何をしていても早く銀の所へ帰らなくっちゃという焦りから解放されて、放心状態です。
昨年の10月に手術して丸1年、転移が発覚して余命3か月弱と言われて2か月半、覚悟する期間としてはたっぷりあったのですが、奇跡を信じていたい気持ちもありました。
でもやっぱりその日は来てしまいました。
でも銀、心配しないで、オカーサンは大丈夫。
この子と一緒に元気に生きていくよ。
今日だってちゃんとお山へ行ったよ。
ちゃんと痩せさせて健康的にするために頑張るよ。
お福「アタイがいるモーン!」
走った後はいつものゴロゴロ。
そしてブルブル。
そんな姿を見て笑えるよ。
ちゃんとご飯も食べてるよ。
銀がいなくなってしまってとっても寂しいけど、沢山思い出を貰って、お友達も作って貰ってあちこちへ遊びに行って本当に楽しい10年だったね。
ありがとう、銀、そしてさよなら。
お福「後はアタイに任せるモーン!」
銀、安らかに…。
銀を心配して、励まして下さったり、アドバイスを頂いたり、応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
とても心強かったです。
10歳と7か月でした。
私は仕事でいなかったのですが、たまたまいつも絶対にいない息子が朝帰りでいて付き添ってくれていました。
最期には声を出して何か訴えていたそうです。
息子によると「オカーサンをよろしくね」
日中から昨晩もほとんど寝ずにそばについていた私ですが、どうしても休めなくて後ろ髪をひかれる思いで出かけました。
もし今逝ってしまったらそれはきっと運命、というか銀がその時を選んで逝ったのだと思うことにしてました。
息子が言うには「あの最期の声をオカーサンが聞いたら絶対トラウマになるから聞かせたくなかったんだと思う…」とか。
昨晩は苦しそうに何度も人の顔を見たり、前足で突っ張ったり、排泄も寝たままして辛そうでした。
見ているのも辛くて風に何度も、もうお迎えに来てあげて、と頼むほどでした。
もう頑張らなくていいよ…と。
なので今は呼吸も楽になって身軽になって虹の橋のたもとに向かっているでしょう。
私は肩の荷が下りたというか、「今か、今か」という思いがなくなり、買い物をしていても何をしていても早く銀の所へ帰らなくっちゃという焦りから解放されて、放心状態です。
昨年の10月に手術して丸1年、転移が発覚して余命3か月弱と言われて2か月半、覚悟する期間としてはたっぷりあったのですが、奇跡を信じていたい気持ちもありました。
でもやっぱりその日は来てしまいました。
でも銀、心配しないで、オカーサンは大丈夫。
この子と一緒に元気に生きていくよ。
今日だってちゃんとお山へ行ったよ。
ちゃんと痩せさせて健康的にするために頑張るよ。
お福「アタイがいるモーン!」
走った後はいつものゴロゴロ。
そしてブルブル。
そんな姿を見て笑えるよ。
ちゃんとご飯も食べてるよ。
銀がいなくなってしまってとっても寂しいけど、沢山思い出を貰って、お友達も作って貰ってあちこちへ遊びに行って本当に楽しい10年だったね。
ありがとう、銀、そしてさよなら。
お福「後はアタイに任せるモーン!」
銀、安らかに…。
銀を心配して、励まして下さったり、アドバイスを頂いたり、応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
とても心強かったです。